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自己肯定の分母は自己受容

先日、こんな風にかっこよく生きたい。
と思っているお坊さんの…いや、師の…
いや、ジャズシンガーの…いや、講師の…
いやjumponのインストラクター目指している人の…
とりあえずなんでもできてしまう尊敬する方の
お話会があったので行ってきた。

このとんでもないお坊さんの話しは
また近々違うとこでしたいと思う。

そこのお話し会で今回は書き写さず
しっかり心にとめて聞く
1つでもいいから実践していく
ということだったので
ノートをとじ聞くことに集中した。

今回は私の中ではなんと!!
という気付きにつながり
それとともにこれはハードル高い案件だと
覚悟を決めなければという内容だった。

私は今では少しましになったが
根っからの自己肯定感低め
ネガティブ気質
コンプレックスのかたまりである。

それらが時として
とても生きづらくさせるので
なんとか自己肯定感をあげて
モチベーションをあげたいと
自己啓発の本を読んでみたり
スピリチュアル系の
ヒプノセラピーを学び自己癒しを
はかってみたりした過去がある。

そのことに関わっている間は
かわった気になっているのだが 
しばらくするとまたでてくる。

いつもなんでかわれないのか
変われたらもっと楽にいきれるのに
そう思っていた。

その答えがこの前のお話会にあったのだ。

自己肯定は自己受容が分母
自己受容が終わらなければ
自己肯定にはすすめない。
いろんな手段で一時的にあがることはある。
しかし、その場を離れると下がっていく。
1度あがった自己肯定が下がると
反動が大きく
またあの肯定感の向上を感じたくなり
そのようなセミナーなどに通っていく。

自己受容は過去に向かっており
能動的と受動的がある。
能動的とは
~したかった。~になりたかった。
など自分ができなかったこと。
これは出来なかったことを
今やることが出来ればクリアできる。

もうひとつの受動態がやっかいだ。
~されたかった。~してほしかった。
など他者がかかわっている。
そして出来事は過去だ。

その多くは親子間での問題が多い。
愛されたかった。
甘えたかった。
優しくしてほしかった。
認めてほしかった。
などそういったものは過去にもどれないので
解消されにくい。

私はまったくもってこのタイプだ。
そしてこのタイプは
人に何かを頼まれたりした場合
正当な対価をもらうことも苦手とする。
というくだりで

それもなのー!!って思った。
私はそれは優しさだと思ってた。
私は人に甘えるのは苦手だが
人に頼まれたらやりがちで
しかも相手が対価をくれるといっても
断ってしまう。
まさか自己受容が終わってないことに
つながってたなんて夢にも思わなかった。

そういった過去の思いを受容する
それが自己肯定につながってるから
いくら知識を学んだところで
頭でっかちなだけで
心がついていってないから
いつまでも乗りこえられてなかったのかと
とても府に落ちた。

理由がわかり府に落ちたが
過去のそういう思いを
本当の意味で理解し受けとめることは
なかなか時間がかかりそうだ。

しっかり自分の中の
つらい思いとむきあい
納得する作業…
考えただけで暗くなる。

ということはこの時点で
まったく自己受容に片足も入ってない(笑)

地道にゆっくりと
自己受容できるように
すすんでみようと思う。
自己肯定できたら
もっと楽しい人生になりそうだから。

ノートを書かずに
しっかりと聞いた話しは
実践あるのみ。

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