人はいつだって人との関わりを求める。何故なら弱いから。

普段に比べれば内容が薄くなってしまうのだが、ふと思ったので書いていこうと思う。
私は昔から人とあまり関わらないタイプだった。放課後友達と遊ぶよりも、ゲームしたりYouTube見たり読書したり、そういうことをしてきた人間だった。
しかし中学に入ってからだんだんと変わったような気がする。思春期に入ったのが大きな原因だろう。周りの目を気にするようになったし、クラス内でのカーストとか、めんどくさいことについても考えるようになった。
そこから逃げるように私はネットにのめり込んだ。リアルでは趣味が合わず蜜月な関係を築けなかった私だが、ネットでは自分と趣味が合う人がいて、自分の意見に賛同してくれればフォローしてくれたりいいねしてくれたりする。自分よりも格上の人(だと私は勝手に感じている)から「君は賢い」、「君は言語化が上手い」、など、リアルでは考えられないようなことを言われるようにもなった。嬉しかったし、やはり自分は人間関係なんていらない。私は私の好きなように生きればいいんだ、そしたら評価はついてくるものだと思っていた。世の中を甘く見すぎていたのかもしれない。
けど自分の居場所は変わっていくもので、受験を意識し始めて去っていくネッ友や、リアルで忙しくなって浮上頻度が減るネッ友、ひっそりと失踪するネッ友がちらほら出てきた。そしてネット全体も、この前の記事で書いたが凄いスピードで変わり続けている。
高校に入りたてなのもあって以前よりリアルでの人間関係は厳しいものになっている中でこれは…なんだか心に来るものがある。居場所がなくなった様な気がした。
そこで私は思ったのだ。結局のところ、私も人間関係に対する余裕は居場所がちゃんとあったからなんだと。ネットだけでなく、リアルでもこんな私に関わってくれる友達は多かった(友達に恵まれた)し、家族は常に支えになってくれた。恵まれた立場だったからこその余裕だったのだ。
人はいつだって他人との関わりを求める。こうやってnoteを書くのも、当初は自分の頭の中で生まれる行く場のない思考を吐き出すために書いてると思い込んでいたが、それなら適当な紙に書いてそれで終わりでもいいはずだ。なのに今こうやって書いて、わざわざボタンを押して投稿するのは、やっぱり人に読まれたい、自分の記事で他人に影響を与えたいっていう人との関わりを望む気持ちがあるからなんだろう。
人は社会的な存在なので他人と関わりたくなるのは仕方ないことだ。三大欲求と似たようなものだろう。これは仕方のないことだ。
しかし考えれば考えるほど、この寂しさと無力感、そこから来る虚しさが心に広がってくる。ちょっと前まで自分の柱となっていたものは、環境の変化によって無意識に作られてしまった新たな柱によって今や陳腐化してしまった。
けど一つだけ今の状況を打開できそうな案としては、何か没頭できることを作ることだ。今も好きなものはあるが、他人と話す際のネタになるから好きという側面があるのは否定できない。単体で好き、一人で永遠に楽しめるほど好きにならないと今の現状は打開出来なさそうだ。とりあえず知識欲はあるし、オタク文化は好きなので学問や漫画、アニメ、音楽でも嗜んでこの虚しさを晴らしていきたい。noteはその過程で投稿するつもりだ。そしていつか自分の道を見つけ、その道を探求していきたい。一つでも二つでも、それ以上でも構わない。

思ったより長々と書いてしまった。未来の私からしたらこの文章は黒歴史になっているか、それとも現状よりもっと悲惨な状況になっているかのどちらかだろう。環境は変わり続けるので少なくとも今と同じではないはずだ。だが今の私から一つ言えることは、やっぱり新学期は辛いということだ。

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