寄り添いながら、アドバイスすることは難しい

 産業保健スタッフであれば、日常的に労働者からの相談に対応することになりますが、どういったスタンスで接するかって難しいですよね。産業保健スタッフ=(ほとんどが)医療職ですから、寄り添うことって大切です。当然ながら、寄り添って話を聴かないと、本人が状況や気持ちを話してくれないでしょうし、こちらのアドバイスに耳を傾けてくれないでしょうし、その後の対応に際してこちらを信用して預けてくれることもないでしょうから、適切な対応をするためにも「寄り添って話を聴く」といったスタンスは必要だと考えています。

 その一方で、産業保健スタッフは、医師ー患者関係のように、目の前の人の健康を第一に考えて仕事をするわけではないですから、自分の体調を守りながら働いてもらうために、「話を聴く」だけではなく、時には諭すようなことをアドバイスしなければならないこともあるわけです。

 例えば、上司に対する陰性感情が高まっている際に、それに対して共感することは寄り添った対応ではありますが、共感することで、陰性感情が高まってしまうこともあるでしょうし、裏側で上司からも相談を受けていて、上司も色々と考えて適切に行動している、本人の言動や受け止め方にも行き過ぎた部分がある、といった見方があるととしたら、共感だけが望ましい対応ではないと考えています。かといって、例えば、上司は「○○といっていましたよ」とその人に対する評価などをダイレクトに伝えることはしません。人に対する評価(特にネガティブなもの)は、その評価に関する議論や、未来に対する建設的な議論も合わせてして欲しいので、当人同士でコミュニケーションをすることが大切(その場に同席して円滑なコミュニケーションを促進するのはあり)だと考えています。

 「諭すような」と書いてしまいましたが、決して上から目線で「諭す」のではなく、本人が不快に感じるかもしれなくても、産業医としての意見は、本当に必要なことに絞って「端的」に述べることが大切、と考えています。「本当に必要なこと」が何かはとても難しいですが、その場面で最も重要なことや、当該事業場の活動の原則に照らし合わせてズレていることなどを想定しています。そして、「端的」としたのは「端的」な方が自分の中であれこれ考えてもらえそうな気がしているから、です。一方で、直接の面談であれば、たとえ話をすることもありますし、「本人が自分から相談することが望ましい」といった意見に「それができたら苦労しないといった気持ちがあるのは理解しているのですが」と、そっと目の前の人に立場に寄り添った言葉を添えることはあります。ただし、その言葉は、これまでの産業医としての経験から想像している一般論に近いものなので、間違っていれば訂正できるようなソフトな表現にするように心掛けています。

 上記のように、ケースバイケースのアドバイスではあるのですが、自分の中で言葉に仕切れていないくつかの原則があってのアドバイスなので、同じ状況に対しては同じアドバイスが出てくるんだろうな、と考えています。なので、矛盾したことをアドバイスしてトラブルになることはほとんどありませんし、誰かから「○○っていっているのを聞いたのですが」と聞かれれば、その背景を確認しながらコミュニケーションすることで、課題は解消することがほとんどです。もちろん、最後までかみ合わない場合もありますが、だからといって相手に寄り添いすぎることは次の課題が生じる切っ掛けにもなってしまいます。つまり「誰にでもいい顔をする」と、どこかで破綻する、と考えています。

 「誰にでもいい顔をする」と共通しますが、相手に過大な期待(例:産業医に相談すれば解決する)を持たせないことも大切です。そのために「産業医に期待することはあったりしますか」と具体的に確認して、できる、できない、を明示することも大切です。メールなどでは、○○まではできます、○○はできません、と書くこともあります。このときにはより一層、表現には注意しますが、過度な期待を持たせず、役割を明確化することが、事業場内で一貫した対応につながり、社員との信頼関係構築に役立つこともあります。

 また、こういったコミュニケーションをするには、目の前の人とコミュニケーションをしながら、自分や相手の立場やコメントを客観的に捉えたり、自分が発しようとしている言葉を相手がどうやって受け止めるか、今、目の前にいない関係者が聞いたらどう感じるか、質問を投げかけられたらちゃんと説明できるか、といったことを想像しながらコメントをする必要があります。

 この辺りも、教科書などには著せない、産業医の醍醐味なのかな、と考えています。

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