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話のネタ3大タブーは政治と宗教、あとは死後

 気の置けない間柄以外では、政治と宗教(あと、ちょっと古くはプロ野球)の話題を持ち出すのはタブーとよく言われている。ここにもうひとつ、「死後の世界を信じるか?」という話題を加えてもいいと思う。

日本人の7割が無宗教、けれど4割は死後を信じている

 死後の世界云々は、一見、宗教ネタと被るように思えるが、ユダヤ教のように死後の世界に否定的な宗教は少なからずあるので、信仰がある=死後の世界を信じているとはならない。

 また、無宗教を自認しながら死後の世界を信じている人も増えている。たとえば、統計数理研究所が60年前から実施している「日本人の国民性調査」の2013年版では、「宗教を信じるか?」という設問に対して、「信じている」が28%で「信じていない」が72%となっている。7割の国民が自覚的には無宗教というわけだ。ところが、「あの世を信じるか?」の設問では、「信じる」が40%で、「信じない」の33%や「どちらとも決めかねる」の19%を上回って多数派となっている。

 宗教性と死後の世界は、関わり合いつつも別個の価値観とみなすのが正しいと思う。

 そして、やっぱりタブーだ。亡くなった家族が自分を見守っていると信じている人に対して、死後は何もないと主張するのは配慮に欠ける。死後を信じていない人に「肉体から離れても魂は安らかになります」と慰めても、生きる力にはなりにくい。こちらと相手の死後観が一致していないと、ツーカーで語り合うのは無理そうだ。コミュニケーションのカードとしては、どうにも扱いづらい。

ネット上に残された本気の死後観

 一方で、タブーな題材というのは、心の根本を揺さぶる危険があるからタブーなわけで、深く突きつめるのに値するところがある。

 家族や友達もの安易に相談できない死後の世界。思索を深めるにはどうしたらいいだろうか?

 書籍を漁るのもいいし、臨終の専門家の話を聞くのもいいと思う。しかし、インターネットという、手軽にアクセスできて、かつ深みにある場を見逃すわけにはいかないだろう。拙著『故人サイト』から、3例紹介させてもらいたい。

「死とは無である」

 2007年4月、30代にして腎臓がんと診断されたある男性は、それまで不定期で更新していたブログを舞台にして闘病記を綴るようになった。関わる医師が口を揃えて「進行が早すぎる」というほどのスピードで病状は悪化していったが、治療を諦めるそぶりは骨に転移してもみせなかった。そのうえでこうもつぶやいている。

死とは無であると思っています

 辞世の日記をアップしたのは同年11月25日。

ついに痛み止めも効かない
もうひと踏ん張り
今までみんな有難う御座いました。

 その後、何度か持ち直して2回ほど辞世の投稿を果たした後、12月に亡くなった。最後まで別の死生観を取り入れる姿勢は見られなかった。

「死は喜ばしい」

 アコースティックデュオでヴォーカルを担当する女性は、2015年4月、乳がんにより36歳の若さで亡くなった。その後、公式ブログには彼女が生前準備していた「ファンの皆さまへ」という日記がアップされた。以下はその抜粋。

人は面白いものです。自分が死んでゆくのを悟れるものだとわかりました。その悟りをしたあとは気持ちが晴れ、すごく楽になりました。私はもともと人が死ぬことを悲しいという風に思っていませんでした。むしろ卒業というような喜ばしいことだとどこかで感じて生きていました。なのでそれでもあり全然死に対しての恐怖もなくつらさもなかったです。周りで支えて下さった方には寂しい気持ちにさせてしまったかもしれません。ですが私は今とてもワクワクしています。皆さんとひとつになれるような気がするからです。私の身体はなくなっても、私は存在します。だから悲しまないでください。

「地獄でもいいから行きたい」

 生後間もなくに腸に異常が見つかり、重病とともに生きてきた女性は、2010年8月、20歳のときに小腸の移植手術を受けた。手術は成功したが拒絶反応が収まらず、それまで病と折り合いをつけてきた彼女の精神を徐々に蝕んでいく。2009年1月からつけてきたブログは、2012年8月、彼女の悲痛な投稿で幕を下ろしている。

あんなに辛い治療はもうこりごりです。延命治療も望みません。早く天国に行きたい。地獄でもいいから行きたい。生きてることに疲れた。(略)本当に死んだらどこにいくんだろう。試してみたいね。
ククク 死

 1990年代、医療の現場ではがんの告知が一般化し、2000年代には痛みを抑える技術も飛躍的に向上した。それは、亡くなる直前まで自分の死を見つめやすくなったことを意味している。
 インターネットで個人が盛んに情報発信するようになったのは、まさにこの頃だ。結果として、インターネットには新時代の死生観がたくさん蓄積されることになった。
 そこには書籍や専門家の情報に負けない何かがあると思う。

※初出:『デジモノステーション 2016年12月号』掲載コラム(インターネット死生観 Vol.7)

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