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デジタルはリアルな死を残す――私のnoteのコンセプト

デジモノステーションの連載コラムを再掲載

 紀元一世紀に噴火したヴェスヴィオ山は逃げ遅れた人の姿形を降り注ぐ火山灰に閉じ込めた。ポンペイ遺跡から発掘された“鋳型”は犠牲者の最期の姿を今に伝える。そうした“鋳型”の役割をデジタルが担うことがあるんじゃないか。

 ネットやデジタル機器にはあらゆる行動のログが保存されるし、SNSやブログをやっていれば本人の言葉も残る。スマホやデジカメで撮った写真も意図の有無は無関係に膨大な情報をパッケージする。2000年の保存期間は無理にしても、環境が保っている数年や10数年の間はそのままの状態を維持しそうだ。

 そう思って故人が残したサイトの調査を始めたのが2010年。しばらくすると、そこから敷衍してデジタル遺品全体のことが知りたくなった。調べていくうち、デジタル遺品に関するIT業界の対応はまだ整備途上で、法律や技術面でも様々な課題があることが分かってきた。10年続けても飽きないどころか、次々に新しい視点が浮かんでくる。多角的でとても調べがいのある。けれど、興味の根底には、やっぱり人間の最期をありのままに残すという特性がある。デジタルはリアルな死を残す。

 だから、モノ雑誌の『デジモノステーション』が電子雑誌化する際にコラム連載を打診されたとき、そこを遠慮なく書きまくろうと思った。連載タイトルは「インターネット死生観」。途中から「インターネット跡を濁さず」に変わった。そして、このたびコラムのバックナンバーの転載許可を編集部からもらったので、せっかくだから多くの人に読んでもらえるnoteにアップしようと考えた次第。

 連載は50回あるけど、下記の『死とインターネット』に収録した回は省くので、ここにアップできるのはおそらく20~30本くらいだと思われる。
 できるだけ毎日掲載していくので、良かったら読んでやってください。

ついでに拙著の紹介を・・・

 そんなわけで、このテーマに関する書籍も数冊書かせてもらっているので、ついでに紹介します。買ってもらえたら、それはそれは喜びます。






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