見出し画像

キャッシュレスでのお布施はなんでNG扱いなの?

 2019年10月24日、あの“Amazonお坊さん便”が終了した。運営元の株式会社よりそう(旧・みんれび)が方針転換し、Amazonでの取り扱いを止め、今後は「お坊さん便」の窓口を自社サイトに一本化するとリリースを打っている。「お坊さん便」は今後も存続するが、もう“Amazonお坊さん便”は存在しない。個人的に、それがとても興味深かった。

2015年末に物議を醸した「Amazonお坊さん便」

 お坊さん便は法要や法事を依頼するチケットの販売という立て付けのサービスで、宗旨宗派問わず3万5000円~で注文できる。2015年12月にAmazonでの取り扱いを開始したのを契機に一気に名が知れ渡ったが、同時に国内の伝統宗派の団体である全日本仏教会(全仏)の反発を招くことにもなった。

画像1

 2015年年末、全仏は同サービスについて「宗教行為としてあるお布施を営利企業が定額表示することに一貫して反対してきました。お布施は、サービスの対価ではありません」「世界的な規模で事業を展開するAmazonの、宗教に対する姿勢に疑問と失望を禁じ得ません」といった理事長談話を発表。これがAmazon.jpに無視されると、3ヶ月後に米Amazonに販売中止を求める文書を送った。こちらも現在まで無視されている。

 全仏はなぜ運営元ではなくAmazonに矛先を向けたのか。実のところ、葬儀や法事におけるお布施の目安を表示したり、オンラインで僧侶を斡旋したりするサービスは以前から複数あり、なかば黙認されているところがあった。それでも、「Amazonのような巨大企業の参入は見過ごすわけにはいかなかった」という。お目こぼしでいくにはあまりに目立ちすぎたというわけだ。当時の取材で同会広報から直接聞いた。

 今回の“Amazonお坊さん便”の終了は、外部からの圧力ではなく、よりそう独自の判断だったという。あれ以来アクションを起こしていない全仏がいまさら世間の反感を買うリスクを負ってまで動く理由もないし、おそらくは本当だろうと思う。

 それでも妙にモヤモヤが拭えないのは、ちょっと前に次のニュースを読んだからだ。

キャッシュレスお布施に京都仏教会がNO

 2019年6月、京都の有名寺院の集まりである京都仏教会はお布施や賽銭のキャッシュレス決済について反対声明を発表した。国内の寺院には外国人観光客などに向けてスマホで決済できる電子賽銭サービスを導入しているところもあるが、現在の潮流に明確に異を唱えた格好だ。理由として以下の3つを挙げている。

 ①宗教行為は対面で行われるもので、お布施をキャッシュレスで渡すのは本質的ではない。

 ②キャッシュレスにすると信者の個人情報や行為が第三者に把握される危惧がある。

 ③キャッシュレスだと中間業者に手数料が発生し、宗教行為なのに収益事業とみなされて課税対象となる可能性がある。
 
 ①の意図はお布施の本来の意味に基づいていると思う。お布施は人に施しを与えるという修行のひとつであり、金品を渡すだけでなく読経したり安心感を与えたりする行為も含む。確かにいずれも対面的な行為だ。ただ、現場でスマホを開いて「ピッ」とする行為を対面的と定義付けても問題ない気がする。キャッシュレスが対面的でないなら、お札や硬貨も信用価値を代替した存在でしかないので対面的とは言えない気がする。

 残る②はプロセスの工夫で解決できる問題であり、③は寺院側の財政的な都合でしかない。つまるところ、彼らの主張にどうにも筋を感じないのだ。「スマホでピッは伝統文化っぽくないから反対だよ」ならまだ分かるんだけど、妙な理屈をつけるからさ・・・。

「我々としては宗教行為だと考えております」

 そもそも、宗教行為であるお布施と経済活動で支払う対価は水と油なのだろうか? ITやネットを使ったサービスは対面的ではないのだろうか?

 そのあたりの議論がもっと活発になればいいと思う。いずれのスタンスも尊重しながら折り合いを付けることは不可能じゃないはずだ。

 冒頭のリリースの際、よりそうは“Amazonお坊さん便”の終了とともに、後から支払い金額を決定できる「おきもち後払い」サービスの導入も明らかにしている。法事法要が終わったあとに、僧侶の接し方や法務の質、お坊さん便全般のサービスの質などを目安にして、基本料に少しずつチップや心付けのように金額を加算できるというものだ。

 この“お気持ち”には、僧侶の宗教行為に対するお布施とサービスへの対価の評価が混合しているように思う。はたして、この新しいお坊さん便は宗教行為なのだろうか。はたまた商業サービスなのだろうか。

 11月に開かれた発表会でよりそうのお坊さん便事業部長に尋ねてみた。

「我々としては宗教行為だと考えております」

 宗教に普遍的なニーズがあるならば、お金の支払い方法も旧来に縛られないでもっと柔軟になればいいんじゃないかと思う。宗教行為と経済活動。税金の扱いがややこしいのは承知の上だけど、いろいろなアプローチができるはずだ。

※初出:『デジモノステーション 2020年1月号』掲載コラム(インターネット跡を濁さず Vol.44)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?