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人はなぜ廃墟に惹きつけられるのか

 先週末の土曜日、仲の良い友人たちと地元で行われる祭りに向かっていた。祭りと言っても大したものではなく、田舎の駅前の商店街で催される清涼祭のようなものだ。その日のメインイベントはその祭りではなく、幼馴染夫妻の家でつくる広島焼きだ。ただ、せっかくだからちょっとだけ見に行こうよと、歩いて出かけることにしたのだった。

 シーズンになると釣りを楽しむ人たちで賑わう川沿いの道を、こっちの方が近道だからと下っていく。間違いなく車はすれ違えないであろう細い道々の両側に民家が立ち並ぶ。当たり前の話だけれど、ここにもそれぞれの生活があるのだ。前を歩く友人たちの後ろ姿を写真に収めながら、僕はふと立ち止まる。あやうくそのまま通り過ぎそうになったその民家は、明らかに崩壊していた。いわゆる空き家、俗にいう「廃墟」である。

 もう一人の友人も興味を惹かれたのか、二人してその荒れ果てた家屋を覗き込む。友人が「たまらん」と呟く。僕はその光景をカメラに収める。廃墟というよりかは、空き家という表現の方がしっくりとくるその家屋が異質だったのは、その周りはいたって普通の家々が立ち並んでいたからだった。こんなところにそんなものがあるはずがないと、虚をつかれたのだ。

 ところで、どうして人は(少なくともある一定の人たちは)廃墟というものに惹かれるのだろうか。そこにはいくつかの、そしておそらく個人的な理由が存在するのだろうけれど、人はきっとそこに「かつては存在していたが、今はもう失われてしまったもの」を見るのだろうと思う。もっと言うなれば、そこにかつて「存在してたもの」よりも、もうすでに「失われてしまったもの」に思いを馳せるのだ。

 少なくとも僕が廃墟に惹かれる理由は、そこに造形物としての魅力や面白みを感じるからではない。廃墟とは、自分もいつかきっと確実に失われゆくものの一部なのだということを、教えてくれるからである。

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