![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/123073534/rectangle_large_type_2_31a6d7c3e846041da0edf2c27053b7a3.png?width=800)
【短編小説】へこっほこ
1,912文字/目安4分
駅に向かう途中、レモン果汁が目に沁みるのは当然だと思った。
綱渡りの人生、バターロールは少しつぶした方がおいしく食べられる。あの時もきみはクリームパンの中のクリームをパンの表面にぬって食べていた。まだ絹と木綿の違いも自信がなかったぼくは、なるほどと思いながら、クッキーをビスケットではさんで食べたのだった。
まわりはちっとも信じてくれないけど、クッキーをビスケットではさんで食べるのは、少しも崩さずにアボカドの皮をむくくらい難しい。ビスケットをクッキーではさんで食べるのとはわけが違う。いろいろと意見はあるのだけど、とにかくぼろぼろとこぼしてしまうのがポイントだ。
だけど、もしチョコチップクッキーをビスケットではさむとしたらどうだろう。どんな気持ちになるだろう。牛乳を飲んでひげができた時みたいな白い思いがよぎるのだろうか。それとも、硬くなったジャムの瓶のふたが開きそうな、その時の手の痛みのような、そういうものを感じるだろうか。
やっぱり、なにではさむかよりも、なにをはさむかが大事なんだろうな。時間が経って今にも冷たさを忘れそうな豆腐は、ひび割れて汁があふれている。
階段を降りると、きみはテーブルで豆腐とプリンを交互に食べていた。ぼくもそれにならって、卵の白身を眺める。どうしても黄身がちらついてしまう。だんだんと黄身に集中してしまうから、「見てられないよ」とだけきみに伝えて、外に出ることにした。
目的もなくただ歩く。すぐそこには家がある。もう少し先にも家がある。その隣にも家がある。さらに向かいにも家がある。コンビニなんて一つもないのに。家の間を通って進んだ先にも家がある。ここは家がいっぱいなんだと思いながら、足下に転がっていた小石を蹴り飛ばした。
しばらく歩いていると、さなえちゃんと公園で待ち合わせをしていることを思い出した。
さなえちゃんはかわいい。さなえちゃんが笑うと、ぼくは照れて何もできなくなる。
平日最後の夜はやっぱりざわざわしている。どうしても好きになれない。
駅のホームでは若い男が、たぶん飲み過ぎたんだろうな、まともに歩けていない状態でいる。倒れまいと嵐に挑む勢いで地面を踏みつけ、真っ赤な目で宙を睨む。ふらふらでドアが分からなくなったのか、すんなりと電車に乗れず、入り口を勘違いしたまま窓にぶつかり続けていた。
危ない、と思ったところで、ようやく公園にたどり着いた。
すでにさなえちゃんがベンチに座って待っていて、ぼくに笑いかけた。かわいい。照れて何もできなくなるから必死で顔を背けるけど、そのせいで何もできなくなった。
さなえちゃんと並んで座って、手をつなぐ想像をする。
ゆったりとした時間が流れていく。カラスが何かをついばみ、飛んでいった。風が落ち葉を運び、秋を連れていく。若い男は電車の窓に挑み続けている。日が昇り、そして沈む。
二人でじゃがいもしりとりをして過ごしていると、鳩が二羽、首をかくかくさせながら近づいてきた。さなえちゃんはそれを見て「来た来た」と言った。さなえちゃんはぼくではなく鳩を待っていたのかもしれない。
ぼくは「そろそろかな」とさなえちゃんに向けてつぶやく。すると、さなえちゃんは「そんなこと言うなんてひどいよ」と勢いよく立ち上がった。
「それでも菜っぱの端くれなの?」
それだけは絶対に違うと思ったけど遅かった。さなえちゃんは顔を真っ赤にして、目をうるうるさせている。キッと睨みつけるその顔がすごくかわいい。
電車の窓に挑み始めないようにしないと。平日最後の夜は危ない。
こうなったら、どんなに謝っても許してくれない。いや、もはや自分が悪い悪くないの話じゃない。さなえちゃんを傷つけてしまった。
何も言えないでいると、さなえちゃんはわたあめに乗って逃げてしまった。鳩はもういない。
またやっちゃったな。傷つけたくないのに、いつも傷つけてしまう。ぼくはひどく傷ついた。
一人ベンチに座ったままで、どのくらい経ったかわからない。カップラーメンが少し伸びているから、それだけの時間はこの場所で過ごしていたことになる。
「仕方ない、行こう」
無理に元気な声をつくって、ぼくは歩き出した。家の間を通って進んだ先には、やっぱり家がある。ここは家がいっぱいなんだなと、口から自然にこぼれた。
レモン果汁がやけに目に沁みる。
嫌なほど自分が情けなくなる。バターロールをポケットにしまって、ため息をついた。つぶれているから、ちゃんとおいしく食べられる。
クリームパンの表面にぬられたクリームは、そろそろ溶けてしまうだろう。ぼくはいつかの黄身を思いながら、駅に向かって進んでいく。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?