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テレビは仏壇化した!?高齢者だけが拝む時代遅れのメディア

テレビは一昔前の仏壇と同じ、高齢者が前で拝んでいるオワコンである

かつて、テレビは日本の家庭において絶対的な存在でした。家族全員がテレビの前に集まり、ニュースやドラマ、バラエティ番組を楽しむ姿は、今や少し懐かしさすら感じさせるものです。しかし、現在のテレビはその栄光の時代から大きく様変わりしました。そして、テレビが「オワコン」、つまり時代遅れの存在であるという認識も広がりつつあります。その状況は、仏壇を敬うように高齢者だけがテレビを重要視し続けている光景と重なります。今回は、テレビがなぜそのように見られているのか、そしてメディア消費の変遷について考察します。

若者とテレビの距離

今日、多くの若者にとって、テレビはもはや情報の中心ではありません。スマートフォンやパソコンが主な情報源であり、YouTubeやNetflix、さらにはSNSといったデジタルコンテンツが圧倒的な存在感を持っています。これらのメディアは、視聴者がいつでもどこでも自由にアクセスできるという利便性を提供しています。対照的に、テレビは時間に縛られ、放送内容も視聴者が選べないという制約があります。若者がテレビ離れを進めるのは自然な流れであり、彼らにとってテレビは一昔前の遺物、あるいは「仏壇」として扱われているのです。

また、若者にとって、テレビは受動的なメディアです。彼らが日常的に触れているSNSや動画配信プラットフォームは、インタラクティブであり、自分の好みに合わせてカスタマイズされた情報を提供してくれます。それに対し、テレビはただ流れているコンテンツを「見せられる」だけであり、視聴者が能動的に関与する余地がほとんどありません。この点でも、テレビは若者にとって時代遅れのメディアとして映ります。

高齢者とテレビの結びつき

一方で、高齢者にとってテレビは依然として生活の一部です。彼らにとって、テレビは情報を得るための主要な手段であり、日々の生活のリズムを作る役割を果たしています。特に、ニュース番組やワイドショーは、高齢者の生活に密接に関連しており、世の中の出来事を知るための大切な窓口です。さらに、高齢者にとってテレビは孤独を和らげる存在でもあります。テレビの音が流れているだけで、家の中に誰かがいるような安心感を得られるという点で、仏壇に祈るようにテレビの前に座る姿が見受けられます。

しかし、この現象は、時代の流れに取り残されているようにも映ります。かつて家族全員でテレビを囲んでいた風景は、今や高齢者が一人でテレビを見つめる姿へと変わりつつあります。テレビの存在がかつての仏壇のように、尊敬されつつも若い世代からは距離を置かれ、疎外されたものになっているのです。

信頼性の揺らぎとテレビのオワコン化

テレビは長らく、インターネット上の情報に比べて信頼性が高いとされてきました。しかし、近年その信頼性にも陰りが見え始めています。報道の自由度を示す国際的な指標において、日本はG7の中で最下位の70位という低い順位に位置しています。この事実は、テレビを含む日本のマスメディアが真実を伝える役割を十分に果たせていない可能性を示唆しています。

報道の自由度が低いということは、報道機関が政治的な圧力や自己検閲により、本来伝えるべき情報を伝えられていない、または偏った報道を行っている可能性があるということです。視聴者はそのような状況を敏感に察知し、テレビの報道に対する信頼を失いつつあります。この信頼性の低下は、テレビが「オワコン」と見なされる一因ともなっているのです。

一方で、インターネット上では多種多様な情報が飛び交っており、その中には質の高いジャーナリズムも存在します。若者は自ら情報を取捨選択し、多角的な視点から物事を理解しようとしています。そのため、信頼性が揺らいでいるテレビ報道に固執する理由がますます薄れているのです。

質の高いコンテンツの存在と可能性

しかし、テレビが全て時代遅れであるというわけではありません。実際に、質の高いコンテンツであればテレビの内容であっても高視聴率を維持しています。例えば、社会問題を深く掘り下げるドキュメンタリー番組や、高品質なドラマシリーズは依然として多くの視聴者を魅了しています。

これらの番組は、テレビが持つ制作力と資源を最大限に活用し、他のメディアでは実現しにくいスケールとクオリティを提供しています。また、ライブ放送やスポーツ中継など、リアルタイム性が求められるコンテンツにおいてもテレビは強みを持っています。このように、テレビにはまだ可能性が残されており、それをどのように活かすかが今後の鍵となるでしょう。

テレビ業界の現状と課題

このような状況にあって、テレビ業界も大きな変革を迫られています。視聴率が低迷し、広告収入も減少する中で、業界は生き残りをかけてさまざまな試みを行っています。しかし、その多くは若年層をターゲットにしたコンテンツのデジタル化や、配信プラットフォームの開発に注力しており、従来の放送形態に固執し続けることのリスクが浮き彫りになっています。

特に、バラエティ番組やドラマは、若者を引きつけるためにインターネットやSNSとの連携を強化していますが、その効果は限定的です。若者の興味は個別のニッチなコンテンツや、自分たちのライフスタイルに合わせたオンデマンド型のサービスに向いているため、テレビのように一律に流されるコンテンツには関心が薄れています。

また、テレビ業界全体の問題として、従来の広告モデルが崩れつつあることも見逃せません。インターネット広告の急成長により、テレビ広告の価値は相対的に低下しています。企業もよりターゲットを絞った広告手法を求めており、従来のテレビCMではそのニーズに応えきれない場面が増えているのです。

テレビは本当に「オワコン」なのか?

では、テレビは本当に「オワコン」なのでしょうか?確かに、テレビの影響力は以前ほどのものではなくなり、高齢者を中心とした視聴者層に依存していることは事実です。しかし、一方でテレビには他のメディアにはない強みもあります。例えば、災害時や重要なニュースが報じられる際、テレビは瞬時に全国へ情報を届ける力を持っています。また、長い歴史の中で培われた制作ノウハウや技術力、そして広範なリーチは無視できない資産です。

さらに、テレビとインターネットの融合が進む中で、新たな可能性も生まれています。テレビ番組がネット上で見逃し配信されるなど、視聴者のライフスタイルに合わせたサービスが増えており、これにより若年層の視聴者を取り戻す動きも見られます。

結論

テレビは、かつての仏壇のように、高齢者の前で大切にされつつも、若者からは距離を置かれ、時代の変化に取り残されている存在となっています。信頼性の低下や報道の自由度の問題も、その「オワコン化」を加速させる要因となっています。しかし、それでもテレビには独自の役割と可能性があり、質の高いコンテンツは依然として高い視聴率を維持しています。

テレビが「オワコン」として捉えられる一方で、その存在意義をどのように進化させていくかが、今後の課題であり、未来に向けた挑戦なのです。報道の信頼性を回復し、視聴者のニーズに応える質の高いコンテンツを提供することで、テレビは再び輝きを取り戻す可能性を秘めています。

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