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拝啓、さめざめ様。

さめざめ 10周年おめでとうございます。

さおりさんと出会ったのは、令和の前の、平成っていう元号のときでした。
私は東京の、インターネットが好きな高校生。mixiを一生懸命やっていた頃で、
ここでは書けないけど、「ビッチ」をあらわす業界用語があって、さおりさんは「ピアノガール」というハンドルネームで、その「ビッチ」なる名前のコミュニティを運営していて
「なんて勇気の人だ!」とぶったまげて、いっきに興味がわいてしまいました。

共通の趣味がきっかけで、私はあなたに会いに行きました。
インターネットの世界の人と会うのはちょっと怖かったので、知り合いの女性にもついてきてもらって、カラオケボックスでお茶をしましたね。

「歌をやっているんです」

と言って、カラオケで少し歌ってくれました。

お別れしてから家のパソコンで、さおりさんが自主制作で発表している歌をいくつか聴きました。
あれもこれも、私が憧れてる、ピュアなのにけだるくて、不純なのにまっすぐで、いやらしいのに切ない、そういう世界の恋愛を歌っていて、
「うぉー、大人になるとこんな恋愛が待っているのかあ」って、エロ本を読むみたいにドキドキしました。

私は大学生になって、さおりさんとの共通の趣味を少しお休みして、
新宿とか渋谷で、恋愛ができるようにと奔走しました。
その頃の心の中のBGMは「スカートめくり」。
さおりさんと頻繁には会えなかったけど、恋に破れたり、平気で遊ばれた夜には、
さおりさんのホームページのドアを叩いて、歌詞集を読んで心を慰めると、また大人のふりで歓楽街へとでかけていけたのです。

就職活動を始めた頃、生まれてはじめて自分をすごく愛でてくれる人にも出会って、エロいだけとか、魅力的なだけの、危険な恋愛からは離れて、だんだんとさおりさんの音楽に助けてもらわないでも大丈夫になっていました。

ある年の寒い夜、私は深夜2時、長野県のすき家にいました。
大好きな人と、旅行に行ったのです。
牛丼を食べていると店内のスピーカーから、ドス黒くってめちゃめちゃやらしくてかっこいい曲が流れてきました。
それが「コンドームをつけないこの勇気を愛してよ」でした。
まったりと、好きな人に頭を撫でてもらい牛丼を食べたりする毎日が急に退屈に感じるぐらいの衝撃で、それからほどなくして、私はその穏やかな人を捨てて、また、報われない恋愛をする方の女の子に戻りました。

あぁ、あの時、あの曲を聴いてなければ。さめざめがいなければ。
さおりさん、どうしてくれるの(笑)

社会人になって少し経ってから、私にも後輩ができました。
東京に出てきたばかりの、おしゃれで可愛い女の子でした。
山手線に乗っている時にはじめて好きな音楽の話になって
「私……さめざめとか好きなんです。」と突然告白されました。
私はびっくりして「ひゃっ!」と声をあげて、でもそれからすぐに私たちの距離はぐっと近くなりました。
彼女は言いました。

「さめざめって、私たちメンヘラ界のカリスマなんです」

さめざめの音楽が「私とその周り」だけじゃなくて、たくさんの女の子の心を確実にとらえ、支えていることを確信した瞬間で、とっても嬉しかったのを覚えています。

時には道でばったり会ったり、一緒にアートギャラリーを見に行ってからカレーを食べたり。そういう時いつもさおりさんは、ガラスのアクセサリーみたいな八重歯を見せて笑ってくれましたね。
歌っている時は身体中から妖気が満ち満ちているのに(笑)、会えばその邪悪な毒は戸棚のどこかにしまい込んでいるみたいで、そういうの、やっぱり、プロのアーティストなんだよなーって、えらそうながら思うんです。

女の子限定のライブに遊びに行った時、懐かしの「死なないワ」が流れてきて涙がぽろっと出ちゃったよ。
「新宿ドキュメンタリー」を聴けば、楽しくて楽しくて死んでしまいそうなくらい楽しかった毎日のことがみずみずしくよみがえってしまって、もう、いつもどうにかなってしまいそうなのだよ。

こうして振り返ると、思春期からずっと、私があでやかな恋愛に憧れる時、ざらざらとした男心に傷つく時、いつもさおりさんの音楽が良くも悪くもその思い出の輪郭を濃くしてくれました。
たとえばそれは、教室の机に掘られた片思いの相手の名前のような、純粋すぎて愚かな刻印で、恥ずかしいのに、絶対になくてはならない傷なのでした。

デビューから10年、出会ってからはそれ以上。そして時は平成を終えて次の時代へ。

ずっとギラギラと輝き続けてくれてありがとう。悩める女の子たちの涙を拭くハンカチでいてくれてありがとう。負けられない女子たちの意地を張るつっぱり棒でいてくれてありがとう。

これからも愛とか夢とか恋とかSEXのこと、歌い続けてね!


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