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何を選ぶにしても、出来れば、
正解かつ羨ましがられる選択がいい。


空の写真を1枚残すときも
次歌う曲をデンモクで検索しているときも
パンケーキ屋のランチメニューを見ているときも

この選択はどんな風に思われるだろう?
と考えながらそれぞれにカーソルを合わせ、プロパティに表示される詳細を見比べながら、決めたり、やっぱりやめたり、悩んだりしている。


周りの目なんて気にしなくていいじゃん、と思うし、対人関係で悩んでる後輩にそういう言葉を使って助言したりもする。

相手より高いパンケーキを選べないお前が言うな。



相手を否定したり、上回るボケで返すことによって自己を防衛しがちな私の口は、大小問わず今まで何度も災いを招いてきた。(この話は別で今度する)

自分は間違ってないと信じたい故に、強気でいるのをやめなかった。


そんなしょうもないプライドの盾を身構えている私なんて一瞬で霞んでしまうほどに、向かいで美味しそうにパンケーキを食べる友人の首飾りは可愛くて、インスタで見る姉の新しいヘアカラーは似合っていて、同年代と思わしきお客さんの左手薬指に光るダイヤモンドは眩しかった。


(いいな)
(羨ましい)



首飾りがほしいでもなく、
黒髪をやめたいでもなく、
ダイヤモンドに魅了されたでもなく、

その選択に、私は居ない。

それぞれが納得して満足して楽しく選択した「それ」こそが正解で羨ましいのだと気付いたとき、パンケーキの味が急に濃く感じた。



新姓になり、
アカウントを作り直したような感覚がある。

もちろんいきなり別人格になれるわけではないので、旧姓を生きた私のことは時間をかけてゆっくり愛すとして、これからは出来るだけときめく選択をしよう。

2月に産まれる娘の名前は何にしようか。


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