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玉置浩二さんの歌う「愛」はどう定義したらいいんだろう?

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わたしの母親のはなし

母親が息を引き取るとき,わたしは母親のそばにいた。

薬も飲めなくなってからは,母親の目は知らないひとの目のようだった。

ただ,亡くなる,ほんの数秒前。母親の目に光が戻った。わたしの知っている,母親の目になった。

そして,母親に名前を呼ばれた気がした。笑っている。来てたの。ずっと,そばにいてくれたんだ。そうじゃないと,困るよ。

目が笑って,それで心拍が止まった。

母親が病気で倒れたとき,すこし回復したときに言っていた言葉を思い出した。

「あんたがいたらそれでいい。あんたが一番大事。」

玉置さんと玉置さんの母親のはなし

玉置浩二さんのエピソードでよくわからなくて,なんでだろうとずっと考えていることがある。

志田歩さんの本に「玉置浩二★幸せになるために生まれてきたんだから 」がある。そのなかに,玉置さんの心身のバランスを崩した話,そしてそこから回復したはなしがでてくる。

東京で音楽に疲れてしまって,北海道に帰った玉置さん。どん底。その玉置さんに玉置さんのお母さんがこうおっしゃった。

「そんなに音楽が辛いなら,音楽なんてやめて,一緒に農業をして暮らそう」

その言葉を聞いて,玉置さんはわーって泣いて,でも,そこから少しづつ少しづつ元気になっていっていうはなし。

歌うために生まれてきた玉置さんに,歌わないでいいよっていうその言葉が,どうして効くんだろう,なんか,全然,ピンと来ない。わからない。

他人のはなしなのに,ずっと気になっていた。それは確かに他人のはなしではあるけど,みんなのはなしにつながっているからなんだというのが今はわかる。

純情という曲

玉置浩二さんに「純情」という曲がある。作曲が玉置浩二さんで,作詞が須藤晃さん。

「いつだって会いたいよ。かあちゃんに会いたい」そんな言葉で始まる歌詞だけど,その歌詞は須藤晃さんの歌詞であって,玉置浩二さんの言葉じゃないと,ずっと思っていた。

その純情,こんな言葉が繰り返される。

大バカもので,なんのとりえも,なくても,おまえが宝物。その言葉だけ,投げ出さずにいた

純情 作詞:須藤晃

玉置さんが大バカもので,なんのとりえもないとは全然思えないこともあって,全然ピンと来なかった。

でも,自分の,わたしの母親の言葉を思い出して,はっとした。

「あんたがいたらそれでいい。あんたが一番大事。」

生きているんだ,それでいいんだ

わたしたちは,ちょっと得意なことにすがって生きている。すごい得意っていうわけではない。けっしてひとに「得意です」なんて言えない。ちょっとだけ楽にできることに,すがって生きている。

みんな何かにすがって生きている。それにしがみついて,生きている。

なんにも持たずに生まれてきた。なんにもないと不安。

「そんなに音楽が辛いなら,音楽なんてやめて,一緒に農業をして暮らそう」

そんなにあなたを苦しめるんだったら,音楽のことも,お金のことも,人間関係も全部考えなくていい。全部,放り投げたらいい。ふたりで農業をして生きていこう。

一生懸命努力して手に入れたものを捨ててしまっていい。

なぜ,この言葉に力があるんだろう。不安になるだけじゃないのか?

なぜ,どん底のひとを立ち上がらせる力がこの言葉にあるんだろう。

ロシアのゴーリキーの戯曲「どん底」。その登場人物の一人にルカという名の巡礼者がいる。

岸田國士はこのルカをこうとらえている。

「最大の悪人、最も有害な存在。人を油断させ、人を嘘で酔はせる。空ろな希望に身を任させる。これが、やさしさの正体。」

岸田國士「どん底」ノート

玉置さんのお母さんの言葉には,嘘がない,地に足のつかない,たよりなさも全然ない。

そういえば,わたしたちはなんにも持たずに生まれてきた。裸で生まれてきた。そのわたしたちを親は宝物だと思った。

そこに嘘はなかった。

太陽さん

玉置さん作詞作曲の「太陽さん」。わたしが好きな言葉がある。

愛はどこかたよりなく,みなぎるものじゃなくて,影になっても毎日,けして絶えないで

太陽さん 作詞:玉置浩二

めらめらと燃えるような,情緒的なものは愛じゃない。楽しいときも辛いときも,どんなときも,ずっとあるもの,消えないものが愛というメッセージ。たぶん,信念とか,意志とか,決意とか,そういうもの。全然,情熱とか,パッションとか,そんなものとは縁遠いもの。

なんにもなくても,自分は大丈夫。雨の日でも,嵐の日でも怖くない。ずっと,自分を信じてくれるひとがいる。なんにもなくても大丈夫。「雨の日も 風の日も 嵐の夜も 怖くはないの わけもなく 意味もなく あなたがいれば「心晴天」」。あ!根尻七五三さん!

生きているんだ。それでいいんだ。

どん底にいるひとを回復させる言葉。

ずっと玉置さんは,自分が受け取った愛を歌っている?

玉置さんの歌う愛はなんだか辞書に載っている愛とは全然ちがう。

なんのとりえも,なくても,おまえが宝物。

玉置さんの曲を聴いて,なぜかわからないけれども,涙が流れるのは,こういう愛を,広辞苑に載っていなくて,わたしたちもきづかない愛を,玉置さんが歌っているからじゃないかと思う。

以前,玉置さんがインタビューかなにかで,「安全地帯ではロマンティックな恋の感じ,玉置浩二では人間愛のようなものを歌っている」というような意味のことをおっしゃっていた。人間愛かー。

「太陽さん」という曲,アルバムに入っているのを聴くと,冒頭,アフリカの草原に太陽がのぼってくるようなイメージがわく。もちろん,アフリカの草原なんて行ったこともないけど。原初的な,根源的な,言葉じゃない,なにか。そんなイメージ。

そんなイメージの愛。

今のわたしたちのくらしのなかで,愛は条件付きになっている。

それは愛ではないです。

わたしたちが忘れてしまった,玉置浩二さんの歌う愛はどう定義したらいいんだろう。

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