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ゲーセンSTは何を目指すのか

どうも、霜月です。

私が先日から始めているゲーセンSTシリーズ。

このシリーズに付いて考えていることをまとめたいかなと。

尚今回の記事では、広義的に《VOICEROID・A.I.VOICE・VOICEVOX・VOICEPEAK》などをボイロとまとめ、《AquesTalk》をゆっくりとまとめます。

 ゲーセンSTは、ソフトウェアトーク実況プレイ好きな作者がソフトウェアトーク実況プレイな方の為に創ったシリーズです。

 昨今のゆっくり及びVOICEROID実況プレイの出来は、あくまで静かにですが、一昔前では考えられない位進化したと思います。
 しかし私にとってはどうしても納得のいかない方向に進んでいる様に思えます。その大きな要因は、編集量のインフレ、会話量が多いだけのもの、派手で綺麗だけど見辛いエフェクト、ゲーム画面を考慮に入れない茶番、あたりだと思っています。
 動画として面白い場合も多くそれはそれでいいのですが、場合によっては
「唯の実況は面白くない。エフェクトがあるのは実況としての当たり前」
 という感覚が何処かにある様に見えるのです。
 そう見えるのは実況の面白さを追求しないなら、何故茶番を排除してから動画を考え直さないのだろう?と思うからです。

 そんなこんなで実況の原点に帰り奇抜な編集も避けて、本来のソフトウェアトーク実況プレイの面白さを追求してみました。
 ゆっくり実況プレイ黎明期の頃の実況本来の存在意義を、20年代になってもずっと昇華させていたらこうなるだろう、という気で創っています。20年代世紀の10年代延長型、と謳ってるのはそういうことです。
 勘違いしないで頂きたいのは、00年代後半の動画にノスタルジーを感じて
「やっぱ、ゆっくり実況プレイはあの頃が一番だったなぁ」
 とか言ってあの頃の動画を創ったわけではありません。
 そんなこと言うくらいならその次代の動画を見ます。わざわざ創りません。

「やっぱ、動画に限らず新しい物の方が面白いと感じていたい」

「東方紅魔郷 ~ the Embodiment of Scarlet Devil.」おまけテキストの文面を改変
オリジナル:ZUN

ゆっくりのボイロ化

最近のゆっくり実況は、【ゲームを実況すること】よりも、【キャラクターの反応】に重きをおいて作られている印象があります。

サムネは集中線やらブラーやらを使い、本編の前に超編集量の映像を見せ、ゆっくりが動画内の事象に一挙一動する。ここまでではなくとも、ゲーム画面を置き去りに百合っぽいことをし始めたり企画を始めたり、ギャグを入れたり。要はそのゲームである必要性があまりなさそうな、茶番劇動画として成立するであろう動画が増えています。

その様態はゆっくり実況プレイと言うよりも、ボイロ実況。

この記事で解説されているかのように、個人的にはゆっくり実況プレイは「一緒にゲーム画面のプレイを見ている感覚」に近く、ボイロ実況プレイは「キャラのゲームプレイをカメラ越しに見ている感覚」に近いと思っています。いわばキャラの動きを覗き見しているような。

ゆっくり実況プレイで喩えるならまさにこれを体現しているのがあまみん氏の「少女たちのお泊り実況」シリーズでしょう。博麗霊夢、霧雨魔理沙、魂魄妖夢(、+α)が博麗神社でゲームでワイワイ遊んでいる。少なくともMMDパートはこの側面が強いと思います(ゲームパートは「一緒にゲーム画面のプレイを見ている感覚」に近くなるが)。

YouTubeではゆっくり実況よりも人気が劣るボイロ実況に、ゆっくり実況が歩み寄っているのはいささか不思議な話ではあるのですが。

ゲーム画面をほっぽりだして茶番を繰り広げるというのは、10年前のやんばるさんの頃から存在していました。というか彼が発端では?

しかしそれでは、「ゲーム実況」とは言えないでしょう。いいとこ「ゲーム茶番劇」。となるとそれは「ゆっくり実況プレイ」とは言えないのではないでしょうか。

【「ゆっくり実況プレイ」の名を冠した別のなにか】。こうなっていると思うのです。文化の進化は「〇〇」の名を冠してどんどん定義が変わっていきました。しかし、本来の名前の定義からあまりにも離れるというのはいかがなものでしょうか。

私はこの流れに納得がいきません。

まるでゲーセンのギャラリー

ゲーム実況者を名乗りながら、ゲームミュージック系アレンジャーを名乗りながら、私はあまり子供の頃ゲームプレイをした体験がありません。
ゲーム機なんてろくに持っていた記憶がありませんし、友人と遊ぶときもどっちかというと友人のゲームプレイを見ていた、所謂ギャラリー側です。

それでも友人のプレイを見てある程度満足していましたし、最終決戦などの深刻なシーンでは自分が遊んでいるかのように汗をかいていました。

数ヶ月前「怒首領蜂大往生 ブラックレーベル」の黒緋蜂落としを見たときは筐体の斜め後方で立っていましたが、やはり(初めて見る実機蜂落としに興奮していたのはあれど)手に汗握っていました。

本来「実況プレイ」の文化は、誰かがゲームプレイしているのをギャラリーのごとく見る文化の発展形だったと思います(e-sportsにも同じことは言えますが)。そうでなきゃ回復手段も無い背水の陣でラスボスと戦う様子を見て、視聴者が手に汗握ることはないでしょう。無事ラスボスを撃破したら大量の大文字で「うおおおおおおおおおおおお」といった弾幕が押し寄せることもないでしょう。

「ネットゲーセン構想」

閑話休題的な。

 今回はキャラや設定よりゲームの方が好評な声が多く寄せられて、まあそうでしょうね。
それはともかく、ネット対戦、実は既にテスト版が動いてます。ただ、60fpsで動作させるには高い通信速度とネットワークに関するある程度高度な知識が必要になります。その為、表だって堂々と発表しにくいんですよねぇ……(質問も山ほどきそうだし……)
まあ、腕に自信のある人同士戦わせて、そのプレイ内容を第三者が自由にウォッチ出来たりしたら非常に面白いだろうと考えています(ネット三人プレイ)。実現できたら良いですね(他人事)

東方書譜の形跡。2ch東方スレッド兆しと神主 ~古の東方掲示板、東方書譜から東方天空璋~P2より

そう、隠していてもしょうがないので先手を打っておきますが、今回のネットワーク実験には次回作に関してのちょっとした野望が込められています。
それはギャラリーを集めるゲーセンのSTGを、ネット上で創ること
次回の東方にはネットギャラリー

東方書譜の形跡。2ch東方スレッド兆しと神主 ~古の東方掲示板、東方書譜から東方天空璋~P2
より

V:さて、ここでいう「ネットゲーセン構想」ですが、まず、花映塚では「ネット対戦のギャラリー観戦機能」を含め、実現することはありませんでした。

K:2005年10月に『ver1.50a』5としてネット対戦機能は実装されていますが、観戦機能はありませんね。

V:これは、その後2005年12月に頒布された東方文花帖1の「号外」を含め、追加分の開発が打ち切りとなった2ためです。

K:号外の構想段階では「今のところ一つもありませんが、後日おまけステージが追加されていく予定です。文花帖(メモ段階)より記事にするべき刺激的な事件です、きっと。」と記していますね。

V:しかし、「ギャラリーを集めるゲーセンのSTG」、ネットゲーセン構想は生きていました。この断片が2年後、2007年の東方風神録に現れることになります。

K:どのようなものですか?

V:風神録固有の機能4である、ヒント機能です。
 ヒント機能とは、「ゲーム中で被弾した箇所が記録され、再プレイ時にその箇所に到達すると被弾地点に『Caution!』との警告が表示される」機能です。そして、それに加えて、ユーザーが記録ファイルを作成することで、「ゲーム中の任意の箇所で任意の地点に任意の文字列を表示できる」という機能をも備えていました。
 つまり、画面上へのコメント表示、今で言うニコニコ動画のコメント機能のようなものをゲーム本体に取り込んだ機能だったのです。
 そして、この記録ファイルが、ゆくゆくはネットワーク上で流通し共有されることで、ニコニコ動画で実現されたような、ゲームプレイに時間と場所を超えてコメントが付く世界、つまりネットゲーセン構想を実現しようとしていたのではないか、と。

(中略)

 ただ、このヒント機能は、風神録限りでした。これは、その後のニコニコ動画でのスーパープレイ動画やゲームプレイ実況の興隆を見るに、「ゲーム本体に必ずしも備えるべき機能ではない」との判断がされたのだと思います。

K:ニコ生、YouTubeのようにリアルタイム配信も当たり前の時代になりましたからね。

兆しと神主 ~古の東方掲示板、東方書譜から東方天空璋~P2-3より

東方花映塚頒布後、東方Project原作者のZUN氏はこのような考えを持っていたようです。「兆しと神主」はZUN氏の思考などに迫った評論本なのですが、このあとの本文の内容的にはZUN氏がゲーセンを大前提においているわけではないことが記されています。

が、私はあえてこの「ネットゲーセン構想」に着目をしました。引用にある通り、「ネットゲーセン構想」を取り入れたと思われる「東方風神録」のヒント機能は後のニコニコ動画に通ずるものがありました。そのニコニコ動画はコメントのメッカであり、実況プレイのメッカでもある。

今回のテーマと外れますが、私がニコニコ動画を拠点にすることにしたのも、これが理由になっています。

何故「ゆっくり・ボイロ」と分ける

ゆっくりのボイロ化ともう一つ、私が納得のいっていないことがあります。ゆっくりとボイロが極端に壁で仕切られていること。

何故この二つが分けられるのでしょうか。どっちも同じ合成音声でしょう。ソフトウェアトークでしょう。

声=キャラクターとして作られているか否かの違いはありますが、もはやAquesTalkの女1・音程100、女2・音程100はゆっくり霊夢、魔理沙の声となるくらい染み付いているでしょう。前者は唄音ウタ(デフォ子)の声ともされていますが……

ボイロの投稿祭でよく「ゆっくりは使用不可」とされているのを目にします。VOICEROIDオンリーの投稿祭だから? そうではありません。VOICEVOX、VOICEPEAK、COEIROINK、CoeFontなどのソフトはOK。しかしAquesTalkは禁止。何故。

声自体にキャラ性が無いと言われれば、確かに「そう」と首を縦に振ります。ゆっくり霊夢、唄音ウタはあくまで後天的に声のイメージとしてついたものですし。とはいえ、AquesTalkをハブって良い訳にはならないでしょう。

同じ合成音声ソフトなのだから、合成音声全部まとめて良いじゃないですか。

そんなわけで

ゲーセンSTはソフトによる垣根を無くし、結月ゆかりとゆっくり霊夢が、ゆっくり魔理沙と紲星あかりが一緒の画面で実況をする。あまりメジャーではない方法を取りました。

その上で、実況プレイ文化がゲーセンのギャラリー文化から生まれたのなら、そこへ立ち返る。「プレイ内容を第三者が自由にウォッチ」できる状態にする。そうなれば必然と動画が目指すのはボイロ実況の「キャラのゲームプレイをカメラ越しに見ている感覚」ではなく、「一緒にゲーム画面のプレイを見ている感覚」になる。ここを特に重視しました。

「一緒にゲーム画面のプレイを見ている感覚」のレベルに戻し、「視聴者はゲーム画面を見て、キャラたちは画面の前の前で喋りながらプレイしているだけ」という形にしました。視聴者はあくまでキャラたちの後方でベガ立ちをして見守り、プレイが佳境を迎えた時は一緒に盛り上がる。その形は実況プレイの原点であるゲーセンのギャラリー文化に近しいもの。

「ゲーセン」の名を関するのは、勿論実況プレイ界隈の始祖「ゲームセンターCX」へのリスペクトが込められているのは当然ながら(今回は取り上げませんでしたが)、

  • シューティングや格ゲーがゲーセン由来のジャンルであること

  • このゲーセンのギャラリー文化を取り入れたこと

  • ソフトウェアトーク実況プレイの始を重視すること

  • 全て込みで懐かしき原点に戻ること

と言った理由が込められています。字幕もシンプルに、キャラの表情が変わらないのもキャラクターをメインに推してないからです。

リアルゲーセンならプレイヤーは背中でしか見れない(表情はほぼ見えない)ので、キャラがどんな反応をしているのか知る意味で(せっかくネットゲーセンだから顔を見せる)表情を変える……のはありですが、編集が面倒くさいのでやらない

先に言ったゆっくりのボイロ化にも当てはまることではありますが、私の動画に出てくる東方出身キャラは全員「ゆっくり」であり「人間・妖怪」ではありません。つまり「博麗霊夢」「射命丸文」は出てこないが、「ゆっくり霊夢」「ゆっくり射命丸」は出てくる。ゆっくりのほうが設定をつけるのが楽という面もありますが、ゆっくりのほうがボイロキャラたちと共存しやすい経歴を持っています。

博麗霊夢は弾幕シューから出てきたキャラで、もとから動画向けに作られたキャラクターではありません。それを言ったらゆっくり霊夢にしたって煽り目的から生まれたようなもんですが、博麗霊夢よりはボイロキャラと混ざっていてもそこまでおかしくない経歴を持っているだろうと。

というかゆっくり霊夢ではなく博麗霊夢を起用する流れ、起用することも私は納得がいっていません。今回のテーマに関係ないので説明は省きますが。

立ち絵に関してはこいつらだけほぼ生首なので、ちょっと一工夫は必要かも。だからって体を生やせばもはやただのケヒヒ霊夢。ひょっとして身体を生やしたから博麗霊夢にするんでしょうか? 昔からゆっくり霊夢に博麗霊夢の高等身MMDモデルを使ってもゆっくり霊夢って言えるのに。それはそうとケヒヒ霊夢実況いいじゃん。いつかやろうかな。

つまり、ゲーセンSTは今流行している(ゆっくりに限らず)ソフトウェアトーク実況プレイに対するアンチテーゼのシリーズとなります。特に「ゆっくりのボイロ化」の動きに関しては真っ向から反対し、もはや「ボイロのゆっくり実況プレイ化」にしていますが。

世間に逆張りする俺カッケーとは思っていませんが、これを起点にソフトウェアトーク実況プレイ界隈になにか動きが起これば良いなあとは思っております。知名度が低いので可能性も低いでしょうが。

最後に

私の座右の銘を紹介して終わろうと思います。この言葉に出会ってからずっと、私のソフトウェアトーク実況動画はこれを重視しています。

自然とゲーム画面に集中できる独特なテンポ。何週もしてしまう中毒性。そして何より動画から伝わる投稿者の熱意

ゆっくり実況は、アングラであるべきなのか

全ソフトウェアトーク動画投稿者は読め。

以上。

ちなみに

実況のスタイルはゲーセンミカドの配信がベースになっています。

ゲームのプレイを見ながら、プレイヤーとギャラリーがわちゃわちゃゲーム(及びSTG)について喋る形式。厳密な役割こそ違えど、この形式を踏襲し、キャラをソフトウェアトークに置き換えています。

上では触れなかったものの、「ゲーセン」にはこの「ゲーセンミカド」の意味も込められています。

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