主役になりたいと思わなくなってきた
20代前半のわたしは「自分が先頭に立って、あるいは目立って何かをしたい!」という思いが強かった。だからこそ、自転車旅の様子をSNSやブログに毎日アップするモチベーションがあったのだ。
それはそれで、当時としては間違いではなかったし今に繋がっている。
ただ、現在のわたしは自分が主役に立ちたいと思わなくなった。承認欲求というのも、身の回りの数人にさえ認めて貰えればと思うようになってきた。
これは意欲の低下や諦めのようなネガティブなものなのか、精神的に成長した・オトナになったと言えるのか。自身ではわからない。
責任逃れという見方もできてしまうのが厄介だ。誰かの裏方をするとして、失敗したらその人に原因があったと逃げられる。もちろん、本当のオトナなら逃げたりはしないのだろうけど。
1つ感じることがある。主役というのは孤独だ。というよりも、昔のわたしは1人で目立とうとしていた。だから孤独だった。しばらくは耐えられたが徐々にしんどくなったのが事実である。それに気づいたのは、ちょうどコロナがきっかけだったかもしれない。
今でも人間は苦手ある。彼・彼女らは何を考えているかわからないし、何をされるかもわからない。恐ろしい生き物だなと思う。せめて、尻尾と耳で感情がわかればどれだけよいか。
こんなふうに嘆いていても時間は経つばかり。昨日で27歳になってしまった。
主役とはなろうとしてなるのではなく、自然となっていくもの。たぶん、それに気づけたのではなかろうか。
いつもありがとうございます。 また読みにきてくださいね(^^)