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定期的に湧き出す「都会欲」の正体

お盆で三連休になったので、広島に行ってきた。

広島は政令指定都市にもなっている、紛れもない都会だ。デカいビルがそびえたち、どこを歩いてもコンビニがあって、パルコやビックカメラといった都会の象徴ともいえるお店がそろっている。

政令指定都市をゆっくり回るのは実に1年半ぶり。行く前は「朝一でパルコにいって、モンベル・お好み焼き屋・ビックカメラの順で回ろう。広島駅前の蔦屋家電もおしゃれでいいよね。帰りはドーナツを買って、カインズがあるLECTに寄ろう」などとウキウキだった。

で、、

結果は人に酔い、歩き疲れ、路面電車で反対方面に向かってしまい、もうお家に帰りたい……。となった。たった半日の出来事である。(路面電車は自業自得)

本当はもう一泊して呉市あたりまで足を伸ばそうとしていたのだが、半泣きで人口3,000人の阿武町に帰宅。日暮れ後は真っ暗だしコンビニは町内に1件もない。普段は正直物足りなさを感じているが、今日ばかりは心を落ち着けるのにちょうどよいと思えている。

帰宅時の運転中、定期的に湧き出す「都会欲」について考えていた。新作の電化製品を見たいとか、夜遅くまで街を歩きたいとか、人混みのなかを歩きたいとか。細分化するとそういう欲求だ。

それなのに、実際にそれらを満たそうとすると一気に疲れてしまう。実は今回だけではない。昨年福岡を歩いた時もそうだった。理想と現実のギャップに苦しんでいる模様。

そりゃギャップはあるさ。ゆっくり家電を見たいだけなのに店員さんが話しかけてくるし、たった500mと言っても都会は信号ばかりだし、人間のざわざわとした話し声もわたしにとってはちょっとしたストレッサーなのだ。

うーん、都会欲の正体は単なる「寂しさ」なのかもしれない。家電巡りは趣味みたいな部分があるものの、夜歩きと人混みに紛れたいというのはわたしの性格的に違和感を覚える。本当はそうじゃないでしょ、と。

まあいい。今月末から約2か月間、たっぷり考えて自分を自分で実験する機会がある。「自分にとって何が心地よいのか」を言語化しよう。


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