見出し画像

生存(者)バイアス

生存(者)バイアスとは何か

▼「生存(者)バイアス(survivorship bias / survival bias)」という言葉があります。何らかの状況を切り抜けた人が,自分の経験だけを基準にしてしまい,切り抜けることができなかった人のことを考慮に入れずにものごとを判断するようになることを指します。

Survivorship bias or survival bias is the logical error of concentrating on the people or things that made it past some selection process and overlooking those that did not, typically because of their lack of visibility.
(生存バイアスとは,何らかの選択過程を通過することに成功した人々や物事に焦点を当て,成功しなかった人々や物事を見過ごしてしまう論理的誤謬のことで,たいてい,視認性が欠落しているために生じる。)
( https://en.wikipedia.org/wiki/Survivorship_bias

▼この言葉を誰が初めに言い出したのかはわからないのですが,Google Ngram Viewer によれば,survivor bias / survivorship bias という言葉は1980年代半ばから使われ始めたようです。

▼「俺はこのやり方で生き延びた!だからみんなもこのやり方をすればいい」とか,「私にはできたのに,あの人はなんでこんなこともできないんだろう」とか,「これぐらいのことで大騒ぎするなんて,今の若いもんは弱いね。昔はこんなことぐらいで騒ぎ立てたりしなかった」なんてのも,生存(者)バイアスと言えるでしょう。

▼生き延びたのも,自分に何かができたのも,「たまたま」だったかもしれません。もちろん,ある事象の原因をさかのぼれば,理由はあるかもしれません。しかし,再現可能性は保証されてはいないのです。たとえば,飛行機の墜落事故で生き延びた人が後部座席に座っていたとしても,そこから性急に「後部座席に座れば生き延びられる」という結論が導けるわけではありません。

「合格者体験談」という生存(者)バイアス

▼よくある「合格者体験談」というのも,一種の生存(者)バイアスが含まれている可能性があると言えるかもしれません。「私は●●を××回繰り返して合格しました」とか,「△△△という参考書を使って英語ができるようになりました」という「体験談」は,「たまたま」だった可能性もあるのです。

▼当然のことですが,「Aという方法で合格した(又は,何かができるようになった)」と言う場合,それは「A以外の方法では合格できなかった(又は,何かができるようにならなかった)」という意味ではありません。また,「Aという方法〈だけ〉で合格した(又は,何かができるようになった)」という意味でもありません。まして,一人の人間が「Aを使って何かができるようになった自分」と,「Aを使わずに何かができるようになった自分」や「A以外の方法で何かができるようになった自分」とを比較することは不可能です。

▼だからこそ,「合格体験談」を読む場合,そこに書かれていることはあくまでも「その人がたまたまそれでできるようになった可能性」を常に念頭に置いて解釈すべきなのだと思います。

「授業」すらも生存(者)バイアス?

▼しかし,そうなると,実は「授業」ですらも生存(者)バイアスに陥っている可能性があるのです。教える側が「自分はこのようにしてできるようになった」と考えてその方法を教えたとしても,授業を受ける側が必ずしもその方法でできるようになるという保証はありません。

▼だからこそ,教える側は,常に自分の方法を疑う必要があります。そして,自分の方法以外の多様な方法もできる限り習得し,多様な観点から伝える必要があると思うのです。自戒を込めて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?