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私を構成する5つのマンガ③:土田世紀

#私を構成する5つのマンガ の第三弾は,漫画家・土田世紀氏の作品です。残念ながら土田氏は8年前,43歳の若さでこの世を去りました。去年は生誕50年ということで,原画展などのイベントも行われたようです。

▼私は土田氏の漫画を全て読んだというわけではありませんし,代表的なものだけに限られますが,5作品挙げてみました。

▼初めて読んだのは『俺節』(1991-1993年,『ビッグコミックスピリッツ』連載)でした。生まれ故郷の津軽から演歌歌手を目指して身一つで上京する男の物語です。希望と絶望,信頼と裏切り,成功と挫折,恋と失恋…そうした重層的な構造を背景に,泥臭く,不器用で,それでも真っ直ぐで情熱的な登場人物たちのやり取りにぐいぐい引き込まれました。

▼そして『同じ月を見ている』(1998-2000年,『週刊ヤングサンデー』連載)。主人公・ドンちゃんのモデルは,宮沢賢治と山下清ではないか,と聞いたことがあります。彼の愚直さは,私の大好きな小説『おバカさん』の主人公・ガストンと通じるところがあり,どうか,人を幸せにするだけではなく,彼自身も幸せになってほしい,と願いながら読み進めた作品です。

▼『ギラギラ』(2002-2004年,『ビッグコミックスペリオール』連載,滝直毅原作),そして『夜回り先生』 (2004-2009年,『月刊IKKI』連載,(水谷修原作)はともに,原作者によるストーリーを描いた作品です。前者はホストクラブが舞台に一度は引退した伝説のカリスマホストが復活し,大きな抗争に巻き込まれていく物語で,後者は「夜回り先生」として有名な水谷修氏のエピソードを描いたものです。

▼『編集王』(1994-1997年,『ビッグコミックスピリッツ』連載)は漫画雑誌の熱血編集者(モデルと原案は小学館の八巻和弘氏とのこと)を主人公に,部数争い,漫画家との関係,合理化との闘いなど,漫画制作の裏事情を描いた作品です。

▼土田氏のデビューは17歳の時。デビュー作とされているのはこの
『未成年』です。

▼彼の作品に出てくる男たちは,アル中だったり,高校の校内でタバコを吸って酒を飲む不良生徒だったり,無職なのにギャンブル好きで借金まみれだったり,とことん下品だったり,金持ちだけれど人を追い落とすような冷酷な男だったりと,かなりの割合で「ダメな男」が多く,このデビュー作にもそうした男たちがたくさん登場します。

▼驚くべきは,17歳にして既にこれだけの「人間」を描くことができていた,土田氏の観察眼と表現力です。おそらく,土田氏自身の生い立ちの中で見てきた男たちが(あるいは,土田氏自身が)モデルなのだと思います。そして,ここに出てくる「ダメな男」たちは,その後,上に挙げた作品の中にもたびたび登場します。ただ,一つの傾向ですが,長編(特に原作者が他にいる場合)の場合,「ダメな男」であり続けるのは脇役で,主役はむしろ「ダメな男」の状態から這い上がっていくような描き方がなされているように見受けられます。逆に,短編では,「ダメな男」を主役にすえ,そのダメっぷりがじっくりと描かれているように思えます。そして,そうした「ダメな男」を非難するのではなく,自分や自分の周囲の人間の分身として愛しく思っていたのではないか,とも思えます。

▼土田氏は,ギリギリのところで生きている人間の感情の機微を精緻に描いていました。たとえば,この『雲出づるところ』 (2000年,『モーニング』連載)もそうした作品の一つです。不遇な環境の中で,理不尽な目に何度も遭いながらも,それでも必死に歯を食いしばり,少しでも笑顔を絶やさずに生きていこうとする夫婦を描いた作品で,「泥臭く,健気に生きる人々」への透徹した優しい眼差しに満ち溢れています。

▼ふと,フランス文学者の渡辺一夫氏が『狂気について』(岩波文庫)の中に書いていた一節を思い出しました。

要は,我々は,「天使になろうとして豚になりかねない」存在であることを悟り,「狂気」なくしては生活できぬ存在であることを悟るべきかもしれません。このことは,天使にあこがれる必要はないとか,「狂気」を唯一の倫理にせよとかいう結論に達すべきものでは決してありますまい。むしろ逆で,豚になるかもしれないから,豚にならぬよう気をつけて,なれないことは判っていても天使にあこがれ,誰しもが持っている「狂気」を常に監視して生きねばならぬ,という結論は出てきてもよいと思います。

▼土田氏の作品には「豚になるかもしれないから,豚にならぬよう気をつけて,なれないことは判っていても天使にあこがれ,誰しもが持っている「狂気」を常に監視して生きねばならぬ」という姿勢があるように思えます。もちろん,豚のまま,狂気にとらわれたままの人も描かれています(ダメ男のままである,ということですね)が,その一方で,『雲出づるところ』の主人公夫婦のような「天使にあこがれ」る人々や,『同じ月を見ている』の主人公・ドンちゃんのような「天使」そのものの人物も登場します。

▼おそらく,土田氏自身も,狂気にとらわれた「豚」としての自分と,天使を目指そうとする自分とのはざまで揺れ動きながら生きてきたのではないでしょうか。そしてそのことが,彼の数々の漫画とその登場人物に反映されているのではないでしょうか。

▼人間が持つ「矛盾」や「業(ごう)」といったものを,ひたむきに原稿にぶつけた土田氏の作品が,これからも読み続けられることを願っています。

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