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とかくに人の世は住みにくい

▼夏目漱石の小説『草枕』の冒頭に,こんな一節があります。

山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

夏目漱石『草枕』

▼『草枕』が書かれたのは1906年(明治39年)のことです。この時代にも,現代に通じるこうした生きづらさ,息苦しさがあり,それを言葉にした漱石は慧眼だったとしか言いようがありません。

▼松沢裕作さんの『生きづらい明治社会――不安と競争の時代』(岩波ジュニア新書)を読むと,その生きづらさ,息苦しさの原因の一端が見えてきます。

▼息苦しさの原因とは,「通俗道徳(のわな)」のことです。

人が貧困に陥るのは、その人の努力が足りないからだ、という考え方のことを、日本の歴史学界では「通俗道徳」と呼んでいます。この「通俗道徳」が、近代日本の人びとにとって重大な意味をもっていた、という指摘をおこなったのは、二〇一六年に亡くなった安丸良夫さんという歴史学者です。
 安丸さんは、勤勉に働くこと、倹約をすること、親孝行をすることといった、ごく普通に人びとが「良いおこない」として考える行為に注目します。これといった深い哲学的根拠に支えられるまでもなく、それらは「良いこと」と考えられています(だからそれは「通俗」道徳と呼ばれます)。

松沢 裕作. 生きづらい明治社会 不安と競争の時代 (岩波ジュニア新書) (pp.63-64).
株式会社 岩波書店. Kindle 版.

▼「通俗道徳のわな」に陥った状態では,貧しくなった場合,それは本人が頑張らなかったからだ,本人が怠けていたからだ,と非難されます。しかし,残念ながら,世の中には,努力してもどうにもならないことが沢山あります(むしろ,努力してどうにかなることの方が少ないかもしれません)。ところが,努力したにもかかわらず貧困に陥ったとしても,それは「自己責任」とみなされ,努力が足りなかったとみなされます。しかも,「努力すること」は道徳的に「良いこと」とみなされているのですから,「努力しなかった(努力が足りなかった)こと」は道徳的に「悪いこと」とみなされます。

これは支配者にとっては都合のよい思想です。人びとが、自分たちから、自分が直面している困難を他人のせい、支配者のせいにしないで、自分の責任としてかぶってくれる思想だからです。

松沢 裕作. 生きづらい明治社会 不安と競争の時代 (岩波ジュニア新書) (p.65).
株式会社 岩波書店. Kindle 版.

▼こう考えると,この「通俗道徳」の延長線上にある「自己責任」や「自助努力」といったことばを持ち出す政治家や官僚は,「国は面倒見ないよ。お前たちが頑張れ。どうにもならなくても,お前たちの努力が足りなかったんだからな」と言っているに等しいと言えるでしょう。

▼また,とくに,成功した(金持ちになった)人はこの「わな」から抜け出せません。「成功したのは道徳的に正しいことである自分の〈努力〉の結果だ」と考えてこの「わな」にしがみつき続けるからです。ただ単に幸運だっただけだとか,親からの資産を受け継いでいたからといったことは無視して,いわば「生存者バイアス」に陥るわけです。そして,そうした「通俗道徳のわな」から抜け出せない富裕層の人々を中心として成り立つ政府が,貧困にあえぐ人々の救済を本気ですることはありません。何しろ貧困層は「努力をしない,道徳的に誤った人々だ」という思い込みがあるのですから。

▼明治時代の「生きづらさ」「息苦しさ」を象徴するもう一つのことばに「立身出世」ということばがあります。これもいわば,「通俗道徳のわな」の延長線上にあると言えるでしょう。たとえ貧しい農家の出身でも,努力すれば上級の学校に行って国家公務員や大企業に勤めるエリートになれる,という「立身出世」を信じた若者が増加したのもこの時代だったわけです。逆に言えば,富裕層の若者であっても,「転落」しないように努力しないといけなかったわけですが,そもそも田舎から出てきて働きながら苦学生をするのと,裕福な家に生まれ育って何不自由なく勉強に集中できる環境にいたのとでは,スタートラインで大きな差があるわけですから,貧困層から這い上がることの方が難しいと言えるでしょう。

▼先日,共通テスト前の会場で事件を起こした高校2年生は,現場で「僕は来年東大受験するんだ」「偏差値73の高校から来た。実力はある」と叫んだと報じられています。

▼もちろん,こうした発言は切り取られたものであり,彼の本心ではなかったかもしれませんが,仮に彼が富裕層出身であってもなくても,ひょっとしたら彼もまたきっと,「通俗道徳のわな」にはまっていて抜け出すことができなかったのではないだろうか,と思ったりもしました。

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