学ぶ=真似ぶということ

最近弊社の社長たる友人がTwitterにあげていたのが「上達には先駆者の真似をすることが大事」(要約)ということ。確かに、上達するには、学ぶには真似をすることが大事だと、筆者も考える。

タイトルにもある通り、学ぶ=真似ぶ。これは筆者が小学生時代の担任の先生の言葉を拝借している。どういうことかと言えば、何かを始める時、上達しようとするとき、上手い人の真似をしろという至極単純なことである。「当たり前でしょ」と思う方もいらっしゃるかもしれないが、これが意外と難しい。

前提:上達の定義

本題に入る前に、そもそもの上達の定義をしておこう。当記事の指す上達とは、「できないことができるようになること」である。難しい文字がかけるようになった、野球でヒットが打てるようになった、など何でもいい。

そしてもう一つの前提条件、上達には何が必要か。それは努力。「努力せずともできました」というのは、最初からできるので当記事の指す上達には当たらない。1回目でできず、2回目で成功した場合、それは上達と言えよう。2回目を行うにあたり改善した行為を、それが頭で考えるだけであっても努力ということにする。

それでは本題に入ろう。

真似することの意義

筆者はスポーツマン故、スポーツを例にとることにしよう。(スポーツしかできない、知らないだけだが)

もしあなたが今まで経験したことのないスポーツを始めるとして、まずは何から始めるだろう。筆者は間違いなく、経験者の話を聞き、実際にその様子を見せてもらう。それは何故かと言えば、努力をするにあたり、正しい努力の仕方を見つけるためである。

スポーツの世界において求められるのは結果。結果を出す人間が求められ、結果を出す人間が偉い、そういう世界。だからこそ全てのアスリートは結果を出すためにトレーニングをし、最適なフォームを作る。そして、結果を出すために様々な戦術を考えることで勝利を掴み取るべく日々を過ごしている。

その一方、スポーツの世界にはアスリートの動きを研究する人、戦術を研究する人、そしてそれを他の競技者に指導する人がいる。

つまり、全てのアスリートは結果を出すために全力を注ぎ、それを研究する人がいて、それらの結晶が今日の各種スポーツにおける指導理論に落とし込まれているのである。

ここまでの話だと、最高の理論を勉強した指導者に習うことが最も近道のように思えるだろう。だが、筆者が最初に書いたことを思い出してほしい。筆者は話を聞くだけでなく、「その様子を見せてもらう」ことに重点を置いている。

仮に、野球のピッチングの動作において、各フェーズの動きを最も効率的に行う、各部位の角度に関する理論があったとして、それを全て正確に記憶し、各部位の角度を正確に計ることは可能だろうか、いや、できない。

前述の話をひっくり返すことになるが、研究者はあくまでもアスリートの動きを基に理論を作っている。逆を言えば、アスリートの動きを再現できれば、研究者の理論で弾き出された理想の角度に近づくことができるのだ。

言うは易し、行うは難しであることは重々承知ながら、上記の理由から、上達のために行うべき努力とは、ひたすらにアスリートの真似をすることだと筆者は考える。

仕事において/最後に

では、仕事においてはどうだろう。先刻、あたかもスポーツだけが結果を求められるかのような記載をしてしまったが、資本主義社会における仕事は全て結果が求められる。結果というのが何を指すのかはそれぞれ異なるが、結果を残せば評価が上がり、そうでなければ評価が下がるのが普通。

そしてスポーツと同じく、各仕事における結果を残す方法を出版していたり、学術的な方面から論じている専門家というのがいる。というところまで書けば、仕事においても「真似ぶ」が大事なことがわかっていただけるだろうか。

スポーツは興行化されており、真似をするのが容易だが、仕事においてはそうもいかない。かと言って、偉い人が仕事ができるのかと言えば、日本社会においてはそうとも言い切れない。

最終的には各人任せな話になってしまうが、自分が憧れる人、理想とする人の真似をしてみてはどうだろう。それはスポーツであれ、仕事であれ、趣味であれ何でもいい。

「真似ぶ」先に何があるのかはそこにたどり着いた人のお楽しみ。そこから先はご自身の手で道を切り開いていただきたく。




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