見出し画像

マインドの重症化2022

この記事は2021年8月に書いた「マインドの重症化1・2」に加筆、修正を加えたものです。

2021年8月9日掲載「マインドの重症化」

常に陽性者中心の報道であったか?

いつまでも新規陽性者数中心の報道でよいのかという話が出ているけれど、東京の陽性者数が少ない時は全国の重症者数が過去最多だとか、全国の死者数が過去最多という見出しが踊っていたと記憶しているので、この一年半ずっと陽性者数中心の報道をしてきたんじゃなくて「その時その時の過去最多の数字中心の報道」をしてきたというのが本当のところでしょう。逆に「昨日の都内の退院者数」だとか「過去最多の退院者数」なんて報道は聞いたことがないので、正確には「人が不安になる数字中心の報道」だ。

好き勝手出歩いて今感染しても入院できないかもしれませんよとか、現場は限界だから家に居ろと医療従事者がSNSで発言するのも見かけるけれど、その人が本当に医療従事者がどうかはさておき、本当のプロなら「我々に面倒をかけてくれるな」なんて言うわけがない。壊れた部品を修理する工場で働いている感覚なのかもしれない。ただ治すだけで生活を指導するということがなければそのように思ってしまうのもしょうがないのかもしれない。
だとしても、国民に対して怒りをぶつけていてはメディアの思う壺であって、本当に怒らないといけないのは一年半経っても町医者が診ないことであり、診にくい原因となっている指定感染症の分類の問題であり、もっと振り返れば「常に満床にしないと経営が成り立たない」コロナ以前からのシステムの問題と、考えないといけないことは山ほどあるのに「出歩くな」はないだろう。早く野戦病院を作れと言うが、近所の町医者は今週から例年通り1週間のお盆休みだ。医療の逼迫とはなんだろう?

生活様式が重症者を増やす

お子さんに消毒のやり過ぎはよくないことを説明をするのに「バイキンマンを殺しちゃうとアンパンチのやり方がわかんなくなっちゃうよ」と言うのだが、最近は大人でもこの説明でいいやと思って使っている。免疫というのは筋肉と同じで常に使うことで鍛えられる。しばらく溜めていくということはできないのだ。前もって何から何まで消毒するということは免疫力を発揮せずに済むということなので、その間どんどん力は衰えていく。1年ぶりに出くわしたバイキンマンにいつものアンパンチが繰り出せるだろうかという話。デルタ株は感染力が強いというが、感染力が強くなっていくということは毒性は基本的には弱くなっていくということであって、にもかかわらず重症化する人が増えているとすればそれはその人のアンパンチが弱体化しているのではないか。RSウイルスも今年は爆発した。極端に抑えればその後極端に増える。新しい生活様式はコロナだけでなく「ただの風邪でも重症化しやすくなる生活様式」だということに早く気づいたほうがいい。

生活習慣が重症者を増やす

極度の肥満が重症化の原因になるのは従来の風邪も同じ。BMIという肥満度を表す指数があるけれど、被害の大きかったアメリカは国民の3分の1がBMI30以上とのこと。(180cm100kgでBMI30、日本基準はBMI25以上で肥満)

もちろんイギリスでも肥満率の高さが問題になっている。アメリカでは自粛生活で平均18kg太ったなんて話もあって、とにかくスケールが大きい。日本で重症化した人がインタビューに答えていたりするけれど、やはり極端な肥満体型の人が目立つ。例によって「デルタ株の恐ろしさを知りました」と言うだけで今までの生活習慣は振り返らない。スピリチュアルな言い方にはなるがコロナ騒動は「このまま人間の好き勝手やるのはよくないよ?」という地球のメッセージでもあるのだが、躍起になるのはワクチン接種。人間はどこまでも傲慢になれる。

ワクチン自体に必ずしも反対ではないけれど、
・偏りのない食事をすること
・十分な睡眠
・適度な運動
・日光浴
・ストレスをためないこと

これらをすっ飛ばして「とにかくマスクと消毒、ワクチンしかないんだ」という姿勢にはどうにも疑問がある。コロナ以前はこれらが健康に重要だと啓発していたはずの立場の人たちが、これらを鼻で笑うのはなぜだろう。比較的生活習慣の良い日本人が、そして日本の子どもがここまで恐れ、ワクチン接種をする必要があったとはとても思えない。
重症化するかどうかに生活習慣が関連していることを強調し過ぎると肥満警察が生まれるので注意したいが、全くその要素を無視すると今のように自粛警察が元気になるので、バランスが大切。

制度が重症者を増やす

発熱しても近所の町医者が診てくれないとなれば風邪だろうがインフルエンザだろうが何だってパニックだ。発熱相談センターに電話→発熱外来へ行く→自宅で検査結果を待つ→保健所からの連絡を待つ。こうした間に重症化する人はあっと言う間に重症化するわけで、制度が早期の診断と治療を妨げている。自宅療養するにしても、適切な療養ができる人なんて少ない上、連絡を取れる相手が保健所の人しかいないというのも心許ない。入院が必要になってきた人かどうかを保健所の人に判断させるのも酷な話で、せめてテレビ通話でいいから医師が容態を見た方が良いだろう。満足な療養ができないのはホテル療養でも同じ。数日間ホテルに閉じ込められたら既存の風邪でもインフルエンザでも悪化するだろう。


2021年8月24日掲載「マインドの重症化2」

コロナ騒動は「ライフセーバーのいない海水浴場」


8月の初めに海水浴に行った。
初めて行った海水浴場で、人の少ない場所から海に入ったら岩があちこちにある。足に岩が当たらないよう恐る恐る入っていたら、ライフセーバーの女性がやってきて「この辺りは岩が多いのであっちの方に行くといいですよ」と言われ、案内された場所に移動してみると確かに岩がない。その辺りに客が多かったのには理由があったのだ。もちろん全ての客が岩の多い場所を知っていたわけではなく、同じようにライフセーバーに促されて移動したのだろう。岩のない場所を教えてくれただけでライフセーバーが女神のように見えた。

なんでもかんでもコロナ問題に当てはめることに自分でもうんざりするのだけど、今の日本のコロナをめぐる状況は「ライフセーバーのいない海水浴場」みたいなものじゃないかと思った。ライフセーバーがいない代わりになぜか保健所の職員が砂浜に立ち、溺れた人を救急隊員が海に飛び込んで救助するとこからやってたら、そりゃ疲弊するでしょう。早期にライフセーバーに救助され、救護テントで休めば何事もなかったはずの人も意識不明になって運ばれたらそりゃ病院は逼迫するでしょう。保健所の職員や医者が海に入るなと叫び、一年以上客が怒られ続けていないか?

もちろんここで言うライフセーバーとは町医者のこと。
ちょっと熱が出たくらいで、ちょっと咳が出たくらいで病院に行くなんて生き方はやめなさいと戒めるのが私の仕事だけれど、「すぐ病院に行ける」ことが多くの人にとって安心できる社会だったのは事実で、それが急に出来なくなったのだ。「すぐ病院に行け過ぎた」日本人が、「原則自宅療養で」と聞いて見捨てられた気になるのも無理はない。去年の初期に話題になったスウェーデンは「風邪は自分で治すもの。病院は重症の人のために空けておく」という考え方が国民に浸透しているので入院できなくてもパニックにはならない。

マインドで重症化

今の日本人は「デルタ株は怖いんだ」という不安以上に、「今感染しても自宅放置されるかもしれない、重症化しても入院できないかもしれない」という不安の方が大きく、その気持ちがさらに重症化を誘発させる。日本人に必要なのは専用病床でもワクチンでもなく「すぐ診てくれる町医者がいる安心感」だ。残念ながら日本人は町医者なしに正しい自宅療養なんて出来ない。

本当に不思議だけれど、こういうことが起きるのが人間。
酸素飽和度なんて絶対自分の意思ではコントロールできないはずなのに、「不安」で簡単に変化する。気持ちをどう持つかでそれが体に良い影響を与えたり、悪い影響を与えたりするということが非常に重要なことであると考えるのが整体で、風邪の効用というのは風邪を引くと体が掃除されて良いのと同時に、「風邪は引いた方が良いと思った方が経過(治り)が早い。

以下「風邪の効用/野口晴哉(ちくま文庫)」から抜粋

病気になりたい要求(p.99)
「あの人は自分を見てくれない、病気になれば親切にしてくれるだろう」と思うと病気になりたい要求が起こる。(中略)そういう心で風邪を引いたのだから、「私が風邪を引いたというのにちっとも親切にしてくれない」とか、「こんなことで治ったら損だ」などという考えも出てくるわけです。

未練症状(p.103)
病気の治りかけになって、もうちょっと病気をやっていたいという要求が起こって、それでまた病気を繰り返すというようなことがよくある。私はそれに「未練症状」という言葉を当てましたが、どこかに不平が抑えられている場合には、「治る」などと言われると、「もっと悪くなりたい」と思う。

気張りは体の自然を乱す(p.108)
癌になったと言われてハッとなり、癌と闘おうなどと決心すると、自分の心の中の全部の消極的なはたらきが動員されてしまって、その反抗作用で、自分の体のはたらきを弱めてしまう。

受身な心と風邪(p.118)
風邪の性質そのものが細菌に困るものでないこと、だから予防注射をして風邪を防ごうというような受身な心が、風邪を誘発しているのかもしれないということを解って頂きたい。

前回書いたようなことが重症化が増える重要な要素だが、こうした「病は気から」の部分を舐めてはいけない。

陽性という判定を見た瞬間に、「死ぬかもしれない」という空想が働いて、重症化するようなコンディションではない人がどんどんそちらの方へ向かう。

「これだけ対策したのに感染した、ひどくなるに違いない。悲惨な目に遭った私を見て欲しい」という気持ちが重症化へ向かう。

自分で自分を大変だと思い、周りもまた防護服を着て大変な人として扱うから、ますます深刻な事態のように思え重症化していく。

「絶対に感染してはいけない危険なもの」という発信をしている限り、こうした重症化は減らない。入院できないかもしれませんよという脅しも逆効果。

コロナから逃げ続けるという神経症。感染させるのが怖いという神経症。どちらも「忘れさせる」しかない。「いつからそれが気にならなくなったか覚えてない」というのが神経症克服のゴールだが、専門家がメディアに出続ける限りそれを忘れられない、忘れさせてくれない。

2022年7月。
イギリスのロイター通信社は感染者数データの更新を終了し、日本の専門家は緊急事態宣言を検討する時期ではないかという。

近所の小学校で開催される盆踊り大会は今年も中止だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?