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ベンゾジアゼピン・コラム - 離脱症状としての疼痛に関する備忘録 [Free full text]

ベンゾジアゼピン減断薬の相談や臨床において、「離脱症状としての疼痛」、時に慢性疼痛の訴えが患者さん・相談者様から聞かれることがあります。
これに関して僕が自習した内容を、本稿にまとめておこうと思います。

ベンゾジアゼピンはNSAIDs(非ステロイド性消炎鎮痛薬 )やオピオイド(麻薬性鎮痛薬)、その他の鎮痛治療薬のように痛覚の経路に直接影響を及ぼしません。

いろいろある鎮痛薬 | 町医者の診療メモ - みやけ内科・循環器科 より引用

ベンゾジアゼピンに鎮痛作用があるとすれば、それは抗不安作用や筋弛緩作用を介した間接的なものであろうと考えられています。しかしそうした間接的な鎮痛作用をベンゾジアゼピンが有していたとしても、依存や副作用といったリスクのために、ベンゾジアゼピンが鎮痛補助薬として第一選択薬として考慮されるべきではないでしょう(Reddy, S., & Patt, R. B. (1994). The benzodiazepines as adjuvant analgesics. Journal of Pain and Symptom Management, 9(8), 510-514. DOI: 10.1016/0885-3924(94)90112-0. [https://www.jpsmjournal.com/article/0885-3924(94)90112-0/pdf])。

慢性疼痛の治療において、ベンゾジアゼピンは、オピオイドの鎮痛効果を減弱させ、長期使用によって痛覚過敏を引き起こして痛みの閾値を低下させ疼痛を悪化させる(しかし依存性のために中止が困難である)ことが報告されています。

私の研究の時点でも、慢性疼痛を抱える患者によるベンゾジアゼピンの使用は一般的に禁忌でした。その後の研究によっても、この前提は補強されてきました。特に、ベンゾジアゼピンがオピオイドの鎮痛効果を減弱させることを示す研究や、その長期使用が過敏症を引き起こし、痛みの閾値を下げて痛みを悪化させることを示す研究がその根拠として挙げられます。

精神科医によく知られた問題も考慮に入れる必要があります。ベンゾジアゼピンには依存性があることです。実際、私の経験では、ベンゾジアゼピンを中止することはオピオイドを中止することよりも難しいことが少なくありません。患者が痛みを減らすために何でもすると言ってくれた後、ベンゾジアゼピンの使用を中止することを勧めると、彼らが「それ以外なら何でも!」と前言を翻すことがしばしばあります。

King, S. A. (2013, May 15). Benzodiazepines and Pain. Psychiatric Times, 30(5). [https://www.psychiatrictimes.com/view/benzodiazepines-and-pain]

ベンゾジアゼピンには、或いはその離脱症状には、痛みの感じ方や鎮痛治療薬の効果に影響を及ぼすような薬理学的な作用があるのかもしれません。

ベンゾジアゼピンが抗不安作用や筋弛緩作用によって間接的に鎮痛効果を発揮するのであれば、減断薬によってこの効果が弱まり、あるいはリバウンドが起きて、痛みに対する心理的な感受性の亢進や筋緊張による痛みが現れうることは理解できます。僕の臨床経験でも、減薬中の患者さんが肩こりや腰痛、緊張性頭痛を訴えることはしばしばあります。
こうした、ベンゾジアゼピンの「本筋」の作用(GABA神経系を介した作用)の鏡像としての痛みでは説明できない、しかしベンゾジアゼピンの離脱症状として訴えられる慢性疼痛の原因を説明しうる、エビデンスレベルが高い仮説はまだ存在しないようです。

ベンゾジアゼピンの減断薬に伴う痛みの感じ方の変化と感受性の亢進は、ベンゾジアゼピンが、GABA神経系だけでなく、身体のより広い範囲にもたらす変化の結果であるとする研究があります。ベンゾジアゼピンの離脱症状として慢性疼痛が起こるのであれば、リバウンドでは説明が付かない他の多彩な離脱症状と同様に、未だ医学的なコンセンサスが得られるには至っていない薬理学的機序が背景にあるということになるでしょう。

たとえばペルオキシニトライトが、ベンゾジアゼピンの離脱症状としての慢性疼痛の原因物質としてしばしば取り上げられます。
線維筋痛症や慢性疲労症候群との関連性が疑われている物質でもあるペルオキシニトライトは、一酸化窒素(NO)とスーパーオキシドが結合して生成される強力な酸化剤で、細胞内で炎症反応を促進し、細胞損傷を引き起こします。これにより痛みの閾値が下がり、通常は痛みを感じない刺激に対しても痛みを感じやすくなります。さらに、ペルオキシニトライトは組織の修復プロセスを妨げ、痛みの慢性化に寄与する可能性があります。
ベンゾジアゼピンの使用を中止すると、ペルオキシニトライトの体内血中濃度が上昇することが実験レベルで確認されています。このため、ベンゾジアゼピンの離脱症状として、線維筋痛症や慢性疲労症候群とオーバーラップするような症状が現れるのであろうとする説があるのです(LaCorte, S. (2007). How chronic administration of benzodiazepines leads to unexplained chronic illnesses: A hypothesis. Medical Hypotheses, 118, 59-67. DOI: 10.1016/j.mehy.2018.06.019)。

ベンゾジアゼピンは、一部では既に「過去の薬」として扱われることもある、長い歴史を持つ向精神薬です。しかしその作用・副作用には未解明の部分が多く残されています。ベンゾジアゼピンの処方にあたって、個々の医師には、現行のコンセンサスに照らし合わせてリスクとベネフィットを慎重に評価する姿勢が必要であることは言うまでもありません。そして、理解が難しい有害事象が現れた場合にも、処方薬との因果関係を安易に否定することなくそれと向き合う謙虚さが求められるとも言えるでしょう。


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