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1,000km離れた場所へ

船の警笛が鳴り響き、黒い排煙と共に出発したのは東京から1,000km離れた位置にある島。

東京の竹芝から出発した船は工場地帯を進み、大海原 太平洋へ出た。
小笠原諸島に近づくに連れ、海の色も濁った色から深い青へと徐々に色が変わっていた。

インターネットはと言うと、竹芝を出発した3時間後ぐらいから圏外になり小笠原諸島 父島に到着する30分前ぐらいにやっと電波が入り始めた。

24時間の内、電波が入るのは4時間ほど。20時間はインターネットが使えないのもまた船旅の醍醐味。

一度も陸続きになったことがない小笠原諸島。
都会の文明に侵されることなく独自の文化と生態系を築き上げた大自然が残るここはまさに東洋のガラパゴス。

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実はここ小笠原諸島に訪れるのはこの旅で二回目になる。以前に訪れたのは二年前のこと、ちょっとしたツアーの仕事で訪れたのが初めてだった。

その時にこの土地のポテンシャルに魅了され、この美しい大自然と島の暮らしや島民に恋をした。

そして、二度目となる今回の訪問の目的は自身の中での再確認だった。
心の片隅で島で宿をやりたいという漠然とした想い、そして一緒にやりたいと思える仲間がいるこの島に改めて訪れ、それは確固たる想いなのか、本当に今やりたいことなのか…

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カンボジアの任期終了が頭によぎる時期、たまにコンタクトを取っていた相棒。そいつとの出逢いは当時18歳、お互いにバックパッカーとして日本中・世界中を旅していた頃に偶然と会った。

その時から想い描く未来は似たような方向で「いつか、一緒にできたらいいな」なんてお酒を飲みながら話したのがつい最近のことのように思える。

ただ好きなこと、やりたいことに対して愚直で後先のことは一先ず置いて「とりあえず、やろうぜ」と、若さ故の軽いノリ。5年先10年先の将来なんてこれっぽっちも考えず、目の前にワクワクすることがあればとりあえずやってみた。ヒッチハイク、バックパッカー、ヴィッパサナー、ダイビング、サーフィン、イベント企画、旅行業、心が躍ることはなんでもやってみた。

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話を戻して、今回の再訪の目的は自身の再確認だった。
島に滞在し、様々な人と言葉を交わしながら小笠原の大自然を感じる日々の中で感じたことは「やられた」
この「やられた」という表現には2つの意味がある。

まず島のポテンシャルにやられた。
島の景色どこを切り取っても美しく、雄大だった。この光景を見て感動しない人はいないし、この自然を見て癒されない人はいない。感動して鳥肌が立つことは当たり前。都会に溢れているモノはこの島にはないが、都会には決してないモノがこの島にはある。

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もう一つの「やられた」はネガティヴな面だ。
まずはアクセス面、東京から船で24時間かかる上に往復で5万円はする。
この時代、24時間もあれば世界中のどこにだってアクセスができる。

次にキャパシティ。1航海で船に収容できる人数は892名に加え、1週間に1便しか運航しない。892名以上の集客は見込めないし、閑散期ともなればかなり厳しいのが目に見えてわかる。

最後に、物価。小笠原諸島は東京から24時間も離れているがここは東京都の区域に入る。家賃も高ければ、生活費もかなり高い。内地から船で物資を郵送する為、全て割増になっている。

マクドナルドもスターバックスもドンキ・ホーテはもちろんのことない。


等価交換

「人が何かを得ようとすれば、同等の代価が必要」
アニメが好きという訳ではないが、昔からこの言葉は鮮明に覚えている。アニメが好きな人ならこのフレーズでピンっとくる人もいるだろう。

何かをする時、それに伴う犠牲がある。全ては何かとの引き換え。
コンビニで何かを買う時、それを得るためにはお金が必要というのは誰でもわかる。
これは買い物以外にも、ビジネスやライフスタイルでも同じことが言える。

起業することはリスクを背負うこと、島に移住をするなら便利さを失うことになる。もし、小笠原諸島に移住すれば。もし、島で起業したら。それの引き換えになる代価がかなり大きい。
そして今の状況から判断すると「今ではない」気がする。「今」では。
なにより自分の腑に落ちないのと、昔から直感を大切にしてきたがその直感があまり働かない。きっとそういうことなんだと思う。

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足るを知る

物が溢れすぎているこの時代に「足るを知る」は必要なことかもしれない。

特に必要の無い物を買って、自分をより綺麗に着飾るために過剰に服を買ったり、お金をかけて髪色を変えたり。満たされない欲求を、モノで解消する。一歩引き、自身の本質と向き合うことが大切。

島生活は、そんな現代に欠けた美学をも教えてくれる。

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このタイミングで、島に行けて本当に良かったと思う。
また少し前に進めた気もするが、道のりが程遠くなった気もする。
やはり、行ってみないことにはわからないことだらけで。やってみないことにもわからないことだらけ。
まだ25歳だが、されど25歳なのだ。早まる必要はないかもしれないが、どこか早まる気持ちを抑えれていない。

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大海原へ航海するためには何らかの犠牲が必要。
だが、その犠牲の先には相応しい代価以上の美しいモノに触れることが必ずできる。


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