偉大な人は偉大なことだけしていたわけではない!
内容の質に関しては視点の違いなので、あまり考えることもなく、考えないわけでもなく、あらゆる角度から攻めるのも一点集中して攻めるのか。
その辺はそれぞれ考えがあると思います。
納豆が嫌いな人でも食べられるように、匂わない納豆に変容するのか、納豆の良さは臭さということを攻め続けるのか。
もしくは、どっちも試すのか。
それは、あまり議論することではなく、やってみることしかない。
こんばんは。大山です。
では、偉大なお話。
タイトルにある通りだと思いませんか?
どんな偉大なことをした人でも、偉大なこと「だけ」していた訳ではありません。やっていた結果偉大なことになった人でも、です。
今から何かを目指すのも、何かをはじめるでもいい。
何が言いたいのかというと、タイトルの通り。
偉大と言われる事柄があります。
それを成し遂げた人は偉大な人だと思います。
自分には真似できないことだと思うのも分かります。
自分には特別な能力も才能もないし、これから何かを成し遂げることができないと思ってしまうかもしれない。
でも、知っていてほしいのは偉大な人は偉大な部分にフォーカスされているだけで、偉大でできている訳ではないのです。
そう考えると偉大ではない私たちでもできることが見つかるかもしれません。
つまり、どこにフォーカスするかの問題で、社会を変えたとか、世界の何人を救うことができたとか、スケールに違いはあるかもしれませんがそこには触れる必要がなくて、
どんな行動をしていたか、でもなく
「生きている内に動いたかどうか」だけ
そして、もう少し言うと、何か障害があったからこそ思いつくことの方が誰かのためになる、ということ。
何不自由がない状態からの創造と、自分には足りないものがあると思っている状態からでは創造のエネルギーが違います。
だからこそ、今、辛いとかしんどい想いをしている人は自分のことをしっかりと見てあげてほしい。
偉大な人もしんどいと思うことがあったと思うし、しんどいことで間違ったこともしてしまっていると思います。
心だっていつでも健康じゃなかったはず。
できることをやるでもいいし、できないことにチャレンジするでも、できてもできなくても行動あるのみ。
ちなみに動かないというのも行動の一つ。
それをやろうと思うかどうかの違いだけ。
「よし!今は動かない」
立派な行動です。
そして、やらない方がいいと思うことは逆にあります。
行動しようとしてやらないこと。
これはやらない方がいい。
とはいえ、これが8割くらいあるんじゃないかな。
私はそのくらいあります。
やろう!って自分で決めるくせにやらない。
大きさはいろいろあります。
ちょっとのことでも。
「じゃあさ、2割に目を向けてみて!」
1割だっていいし、もっと割合が低くてもいいから、やろうと思ったことでやったことを見てみる。
それが先に書いた偉大なこと。
偉大な人のやろうと思ってやらなかったことって見えない。
だって、やってないから。
なので、できないとか、やってないとか、やろうと思ってできなかったこととかいっぱいあっていいけど、それに集中しても誰も得しない。
損得の話じゃないけど、それはそれでちょっと放っておいて。
やろうと思ってできた。だけに集中!
では、今日はこのへんで
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