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どうか私の願いを一つだけ聞いて欲しいのです。

お願いがあります。
寝る前の10分間を私にください。
そしてこのnoteを読んで欲しいのです。

私の母は、11年前に亡くなりました。お腹が痛いのと不明熱が続き、症状が出始めの頃は原因がわかりませんでした。近所の病院では原因を突き止めきれず、大きな病院に移りました。大きな病院で検査を行ったところ、珍しい病名がつきました。全く聞いたことがない病名でしたが、当時、2万人に1人と言われる病気だと聞きました。そしてその病気を治すための治療が始まりました。ですが病状は進行していくばかりで、もう家には戻る事は出来ないかもしれないと言われました。私はその時大学生で、変わらず毎日大学に通っていました。大学の友達に、お母さんがもう家に戻ってこれないかもしれないと言われた、と話したことを覚えています。友達は優しいので、驚いた様子で私のことを心配していました。私は、その時自分の感情がない状態に近いことに気付いていました。何を感じればいいのかわからなかったのです。珍しい病気?わからない。家に帰れない?わからない。いつ何かが起こるかもしれなかったけど、いつ何かが起こるかもわからなかったので、家族は必死で普通の生活を続けていました。居なくなるかもしれない、ということがわからなかったから。居なくなるかもしれないと言われたところで、どうしたらいいのか、何をしたらいいのか、わからなかったから。理解出来なかったから。信じられないとか信じたくないとかじゃなくて、わからなかった。
月曜日の朝、私は大学に向かっていました。大学生なのに、中学生みたいに40分かけて徒歩で通学していました。通学中の空を見上げると雲ひとつない快晴でした。その空を見て「今日は大丈夫」そう思ったのです。月曜日は3講までしかない。終わって真っ直ぐ向かえば昼過ぎには病院に着ける。お昼ご飯に、どこかのデパートの下で天むすを買って向かいました。本州から兄夫婦が来ていました。私と歳の近い従姉妹も来ていました。母の容態はその日に急変し、快晴の空で大丈夫、と思ったその日が最後の日となりました。よく当たる私の勘は外れたのです。
病理解剖をすると母の病気は癌でした。2万人に1人の珍しい病気ではなかったのです。ですが治療法は間違っておらず、そのことに家族は納得しています。

私自身納得していないのは、母が自分の人生を全う出来たのかわからない、ということ。そのことを確認も出来ずにお別れになってしまったこと。そして一番の後悔は、もっと早く母の人生について考えてあげられなかったこと

いつも家族のために働きに出て、ご飯を作って洗濯して、自分のものなんて全然買っていませんでした。お母さんてそういうものなのかと思ってしまっていた。そんな訳ない。どうしてこうなってしまってからそのことに気づいたのか。

もう私はそんな想いをしたくないのです。

終わってしまってからでは遅いのです。

私はあなたに、自分の人生を思うように生きて欲しいのです。


10年後、倒れてしまうとわかったら、今から始めたい新しいことはなんですか?

5年後、倒れてしまうとわかったら、続けていたい趣味はなんですか?

3年後、倒れてしまうとわかったら、今の仕事を続けていますか?

1年後、倒れてしまうとわかったら、行きたいところはどこですか?

明日、倒れてしまうとわかったら、今日一緒に過ごしたい人は誰ですか?


最愛の自分のために、今から、たった今から自分の人生に向き合ってほしいのです。自分の大切にしたいものを、大切にしたい人を、全力で大切にしてほしいのです。一日は24時間。時間は平等だけど有限です。時間は命です。行きたいところがあればすぐに行きましょう。会いたい人が居ればすぐに会いに行きましょう。声を聞きたい人が居ればすぐに電話しましょう。そして自分の人生を、自分の大切なもので埋め尽くしましょう。

ハッシュタグとやらで私の願いが届くなら、そのハッシュタグに託したいのです。自分の人生を、大切なもので埋め尽くしていける人が、一人でも増えますように。

こちらのnoteも併せてお読みください。


#とは #届け #願い #自分の人生を大切なもので埋め尽くそう

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