バレンタインの夜に超絶真面目に自己分析する回

いつも物書きニートをやらせてもらっています。雨乃よるるです。
そういえばこの名前変えたい…。

今日はバレンタインでしたが、その話題は置いておきましょう。

真面目に自己分析します。

物好きな方だけお付き合いください。


つい先日Twitterの方で、「自分のことを大好きになれるようにがんばる」とお話ししたと思います。

今まで私は、「自分を好きでいよう」とする時、現状肯定の姿勢をとっていました。

ありのまま、男性としての自分を受け入れる。できない自分を受け入れる。可愛くない自分を受け入れる、というふうに。

そして、その現状の「ありのまま」の自分はどう形成されていったのでしょうか。それは、他人から求められる〈本名〉の姿を鏡のように写して形成されました。

私はいわゆる「マイペースな男の子」という愛されキャラの立ち位置で、さらに中学生からは「成績のいい天然キャラ」という属性も加わって、様々な人間関係の面倒ごとを回避していました。本当に私の周りは平和でした。ひとつの世渡り術ではあったと思います。

ただ、これらの属性はいわゆる「背伸び」や「オトナ」、「競争」とはとても相性が悪かったのです。その属性を演じ、その属性を求められる。つまり、永遠に成長や変革を求められないわけです。「そのままでいてね」と何人の先生に言われたことか。3人くらいはすぐに思い付きます。さらにこの属性に甘んじている限り、周囲との摩擦は最小限。極めて温室育ちのおぼっちゃまが出来上がりました(笑)。

周囲の人々がたくさんの摩擦を経験し、常に親や先生から変革を求められている間、私はなにも求められない。その間、私は内発的エネルギーによって行動するほかなかったのです。自分でやりたい勉強をする。自分の興味のあることを突き詰める。もともと持っていたマイペースさが助長されるわけですね。

ただ、ここでひとつ問題になってくるのが、私が周囲の人が思うほど自分独自の世界を持っていなことでした。興味はすぐ移ろいました。小学生の時には社会問題への意識が高くなり、中学生の時には(少々遅いですが)オシャレやスクールカースト、ダサさといったことを気にし始めました。そして、高校受験では偏差値を気にします。公立難関校に入る、それが成績上位で優等生の私が選ぶべき道だと感じ取ったのでしょう。

私には、想像以上に自分の世界がありませんでした。ニュースや先生、親が言っていたことを真に受け続けてきた結果が私でした。そして、自分は恵まれているから、他人に尽くさなければならない、という強迫観念のようなものも出来上がってしまいました。小中学生のあいだ親に言われ続けた結果、挨拶や言葉遣いに異様に気を遣う人になっていました。

「普通の成長」の土俵に遅れて参加してしまった、と言いますか、極めてビミョーな立ち位置を取ってしまったわけです。

私は発達障害の傾向がありますから、当然、コミュニケーションに気を遣うと疲れますし、塾でやる受験のための詰め込み学習には向いていませんでした。性別違和の問題も絡んで、私は精神を病み、もともとなかった計画性や継続力が失われていきました。

ここ数日はさらに調子が悪く、1日に「皿を洗う」「風呂を洗う」「外に散歩行く」の3つのタスクをこなすことだけに精神を削っています。

今まで、求められたことをこなすことによって他者肯定と自己肯定を同時に得ていたわけですが、できなくなった。できなくなっても幸い周囲は優しく、他者肯定がなくなることはありませんでした。ただ、着実に自己肯定感は失われていっていたと思います。

こうなった時、自己肯定感を保つ方法は、「現状肯定」しかありませんでした。風呂も入れない、親にキツく当たる。そんな自分を受け入れる。

そういうと聞こえはいいですが、つまりは自分の気持ちを捻じ曲げているわけですね。本来好きになれるはずがない自分の行動をなんとか肯定してあげようと必死になるわけです。そして、この現状肯定の手法がうまくいったんですね。私は自分の世界を持っていない。他者の意見を間に受ける、よくいえば「柔軟性」がありました。この柔軟性が、今度はできない自分を受け入れるための気持ちのすり替えに一役買ったわけです。

私がインターネットに出会ったのは中二の時でした。これは、おそらく私の求められる自分への順応性を強引に奪い、自我を芽生えさせるのにいい薬になったと思います。明らかに、吸収し切れない量の情報や意見が錯綜する世界では、自分を保つために「一線を引く」という行為が大事になってくるからです。


と、ここまで書いて筆が止まってしまいました。やっぱり論理的に文章を書くのは疲れます。今日はこの辺で。

現状肯定だけでなく、「どんな自分が好きか」という視点を持たないと停滞してしまうなというのが結論です。

憧れ、というのを少し具体化した表現としての「自分の好きな自分」という感覚は、自己確立にも大事なことだと思います。

そういえば、公開がバレンタイン翌日になってしまいましたね。

それでは。

もらったお金は雨乃よるるの事業費または自己投資に使われるかもしれないし食費に消えるかもしれない