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私の軌跡
散文詩から何から
過去記事も多し。適当なこと書いてる
以前なるべく一日一本投稿していたもの。 ほんのすこし読みたいのに、本一冊は重すぎる、と思っている人に。 束の間の小説を贈ります。 あなたの京都になれなくても、あなたの箱庭になりたいです。
小説作品全般について。 試みの発信、記録など。
・絶望する気がないんだったら文章なんて書かないでくれない? ・挨拶定型文が「どうしてとち狂ってしまわないのですか?──よしましょうその話は」の国 ・久しぶりのnoteです。無理矢理書いているので滅茶苦茶です。箇条書きでなんとか完成させます。 ・最近、文章に対して不真面目ならざるを得ないフェーズに入っている。 ・親身になる体力も絶望する気もないのであれば文章は書かない方がいい。 ・文章(特にこういった不特定多数へふわっと投げかけるもの)はなにかの過不足や不自由を抱えて
(カクヨムにあったものをnoteにて再投稿します。) シャッター音をコピー&ペースト&並べ替えしたものと、その解説(*X) 紹介文 (→*A)まで来たら、(*A)まで戻っても、戻らなくてもいいです。アルファベットはA~Nまであります。 アルバムを開く→(茜色の遊び紙、和紙の手触り) 乱れた掛布団を、手繰り寄せて、体を寒さに縮こまらせる。 窓とカーテンは閉め切っている。 LINEの着信が軽快に鳴るので、手を伸ばした。 ”あかね” 脳が勝手に覚醒する。ベッドの
なにを書けばいいかわからないけど、思いついたままに書いてみるね、 そうじゃないと書けなくなりそうだから、 これは作品ではなく文章として書いています 生きる上での文章です こういう文体も自分でキモって思ってるんですよ、 だけどやめられなくて、 キモさを自認するのが結局一番いいのかな、 わからないです、 でも私から爆発というものがなくなってしまったので、 前よりつまらないし誰かを救うナニカも持っていないと思います、 静かになりました、 静かになったことで生きやすくなったのかとい
(前回の記事で、記事の終わりに楽曲をおすすめしていたのですが、その部分を削除しました。記事の主張する内容と楽曲をおすすめするという行為が矛盾していると気づいたからです。いや、こういうのってむずかしすぎる。)
「生きていく」というのが、『欲望する』ということだとしたら、 「資本主義社会で生きていく」というのは『広告を受け入れる』ということかも知れない。 東京メトロの地下鉄は洞穴だと思う。 そしてそんなところを生き抜いている私たちはグロテスクな地底生物だ。 ムカデかサソリかモグラか知らないが、そういう粘膜をひくつかせて呼吸しそうな、しぶとくて心の欠片もなさそうな生物だ。 そう思うことにしないと生きていけない。 吊革につかまって揺られながら、車内広告を眺める。 英会話のプログリッ
15時にふと家を出る少しだけ自由になった自分が嬉しい 15時にふと家を出る。 昨日の雨で濡れた中敷き。 一年前のスニーカー取り出す。 靴底がすり減っている。 少しだけ地面が近い。 自由になった自分が嬉しい。 15時にふと家を出る。 学校に行かないけれど死にもしない。 図書館で本を読むだけ。 動かないはずの気怠い両足が今日はなんとか玄関跨ぐ。 少しだけ自由になった自分が嬉しい。
大人になって君を守りたいけど 大人にならなきゃ理解できない歌詞があるなら理解したくないな 誰かに飼われてペットになる夢を見たけど 人間の練習をしすぎたから現実には難しそうだね 詩的な君の脳はルールを覚えるのに向かなかった 叫んだままに歌える曲探してた こんなんじゃなにひとつ救われない わかってるのにやめられない 人間のつもりでやってたことじゃないの 奥ゆかしいロックはいらないんだって * 花に花言葉 私に名前を 支え合うその関係を 美しく歌わないで 苦しくなるの
Twitterのいいね、SNSのいいね、「いいね」って、新しい距離感ですよね。 生きているといろんなものに心惹かれたり、何かを気に掛けたりしている。でもそのすべてが行動に出るわけではない。 だけど、SNSならその心の動きが可視化されるわけですよ。いいねをする方も、いいねをされる方も、それを端から見ている人からも。 SNSの「いいね」が、賛同や賞賛の意味からずれていくとき、そこに新たなコミュニケーションが生まれます。 いいねして、いいねを返されて、でもお互い一言も会話し
本当のことから遠ざけよう。 虚言と嘘とで周りを固めてその中に孤独を守っていよう。 もう何も信じられないから信じるべきものから距離を取ろう。 もう無理だ、自殺以外でどうやって生きていったらいいのかわからない。 いいよな、芸術家は。芸術ができて。いいよな。
僕が人を殺したら「やっぱお前メンヘラだったからな」って言うのかな。 僕も捕まったら自称youtuberって言おう。そして「やっぱ自称youtuberはおかしいやつしかいない」って思わせよ。間違っても自称ニートとか自称小説家とか言わないように。なるべく事実から、真実から、
結局孤独なんだなって思うしか最終手段はないみたいで、最終手段を最後までとっておくのか、それとも早めにその境地に達してあとは楽に生きたらいいのかわからなくて、教えてくれるなら教えてほしいけどどうせ人から聴いたことなんて信じられないから。
人の気持ちって推し量れるもんじゃないよな。言いたい。憶測してるやつレッテル貼るやつどうせって言うやつ、なんも知らないだろ、答えを丸写ししてるだけだろ、正解してるけど、それじゃなんか生きてる感じがないじゃん。関わってる人の何かを殺してるじゃん。
ぷすさんのニュースを見て、全然知らないんだけどかなり落ち込んだというか、勝手に仲間意識があったから、俺もそっち側なんだなって。自称youtuberって言ってくれたのは嬉しかった。なんなんだろうこの気持ちわけわかんない。
芸術にぶつけろよ、じゃないだろ。そんなに簡単に、人を殴るみたいに作品が生まれたらおかしいよ。何かが間違ってるんだろ、芸術の受け手側だった俺らが。
最近毎日ジョギングしようって決めていたので、暗い気持ちになりながら外へ出て、走り出しました。 夕方、雲は綿のように波打って、その表面を光らせていました。 その雲を背景にして、黒いシルエットとなった鳥がまっすぐに飛んでいく。 なにものからも恣意的な介入を受けない、ただ慣性に従って、重力とのつりあいを保ちながら飛んでいく。その姿は、糸で引っ張ったように私の視線を西の空へと誘導していきました。 その鳥が時速何キロで飛んでいたのかはわかりませんが、たらたらとジョギングをしていた私は
えー、全国のアーティストのみなさん、マジでサボるのやめてください。 あ、こう言うと「すみませんでした」って言ってパソコンや液タブに向かったりギターを弾き始めたりする人が多いと思うんですけど、マジでわかってないです。 それはサボってるんです。愛用の武器しか使ってないから、同じような物しか作れない。実際には価値がない「商品」しか作れないんですよ。 「場」を開拓する、愛用の武器から離れる、別の人と会話する、ターゲットを変える。 前々からずっと思ってたんですよ。音楽とか小説と