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松井宏彰さんへのお返事 その4

https://note.com/msfactory_21/n/n0c3d3b667e38
への返信の記事となります。

松井宏彰様は、アルミ加工会社を経営している方ですが、人文学にもかなり詳しく、大変に頭脳明晰な人物です。
彼のような優秀な方々が、日本の国力を支えてくださっているのであって、私は頭が上がらない思いであります。
ピエール・ブルデューは、1990年に来日した時には、理系の工場長が人文学の本を読んでいることに大変感銘を受け、「フランス人に比べて遥かに日本人は知的である」と述べましたが、日本人の知的好奇心こそが日本の経済成長と民主主義の礎となります。

科学技術は国力の基幹であって、「ものづくり」を軽視する国は、何も残りません。
武器を自分で創ることが出来ない国は、メンテナンスが碌にできるわけもなく、近代戦を戦うことは出来ません。
ウクライナの敢闘も、ウクライナが武器輸出大国であったということが重要な点なのです。

松井様の疑問&私の返信

>「対外子宮」が完成すれば、出生率が上がるというご意見と受け取ってよろしいでしょうか?
そこには、子育てにかかる親の負担を軽減させることについては表現が入っていないのですが、当たり前のことなので省略したという解釈でよろしいでしょうか?
そして、ウエイトとして「親の負担軽減」<「体外子宮」という風に受け取れたのですが、解釈としてあっていますでしょうか?


そもそも、アメリカや中国では既に精子売買、卵子売買が盛んであって、核家族と親子という形態が崩壊しかけています。
結婚の目的を次世代の再生産と教育とすれば、少なくとも、前者に関してはより良い手段が存在し始めているということです。
後者に関しても、子供は祖父や祖母が育ててもいいわけですし、国の公共サービスを充実させてもいい。
核家族が一般化する前は、三世代家庭が多かった時代もありますし、江戸時代では村全体で子育てをしていました。

少子化の解決の問題は、子どもを育てること以上に、子供を創ることから考えなければなりません。
そして、現代の日本においては、既に結婚制度が崩壊しかけているために、子供を創る手段の多様性をまず考えるべきであって、それを解決する最強の手段が体外子宮となります。

>また、教育の無償化は、鎗崎さんが過小評価された政策という手段によって、かなり進んでいます。



言葉足らずで申し訳ありませんでした。
教育の無償化といっても、無償化された教育の質が落ちれば機能は低下します。
政策そのものは、意思決定であって、物理的な有形力を発揮することは出来ません。

現時点で考えなければならないことは質を高めながら、無償化を達成すべきことであって、それには政策だけでは不十分です。
基本的に政策は、リソースの効率配分であって、政策そのものが無から有を造れるわけではありません。
マンパワーが存在しないところに、政府のお役人が命令を出したとしても、そこには何ら動きは発生しません。
兵隊が居ないのに将軍が命令を出しても、敵は一人も倒れないことと同じで御座います。

とはいえ、マンパワー自体は現在の日本にも多く存在しているので、確かに政策を効率化することによって、社会を変えることが出来るということは事実であるでしょう。
これは私が間違っていたと認めます。

>教育の無償化という親の負担軽減策において、
政策 < AIとオンライン技術の発展

という図式になるメカニズムが、私には思い描けませんでした。
どういう筋立てで、そういうお話になるのかを嚙み砕いてご教示いただければ、幸いです。

本質的に学校とは、親の代わりに子供に教育を与える手段です。
近代以前のヨーロッパの貴族は親か若しくは家庭教師が子供を教育していたものですが、それは労働の必要がない者か若しくは資本力に優位な者のみが可能なことでありました。

仮に、原始時代に政策を駆使しても、その負担を核家族で分担するか、集団の子育てで分担するかという問題になるので、集約化による効率化で負担を軽減することが出来ても、それには限界があります。
AIやオンライン技術があれば、それが子育ての全てを解決できるわけではありませんが、単純に人間の労力を使わずともマンパワー(マンではありませんが…)を増やすことが出来るという点において、画期的な強みがあります。


私の記事が面白いと思ったならば、私の食事を豪華にしていただけませんか? 明日からの記事はもっと面白くなります!