見出し画像

勉強するのは、他者への想像力を養うため

わたしはお米が好きだ。
365日、明けても暮れても、ご飯を食べない日はない。

でもわたしは、白米ひとつぶが私の胃にすいこまれるまで、いったいどれほどの工程のなかで、どれくらいの時間がかかって、何人のおとながそれに携わったのか、わからない。

それはただ、わたしが勉強不足だからである。

愛する白米を知るためには、勉強するしかない。

農業を知る。流通を知る。小売を知る。

そうして初めて、白米ひとつぶの、本当の重みを知ることができるのだ。

知識をつけること、勉強すること。

それはつまり、他者への想像力を育てることを意味する。

農家さんが24時間365日、気候という自然現象とにらめっこしていること。

近くのスーパーに毎日お米が届くのは、流通業者さんの並々ならぬ販路情報の蓄積があること。

農家さんと消費者の需給をくみとって適切な価格設定にしてくれるスーパーがあること。

そうして初めて、わたしは毎日おいしいお米にありつけるのである。

それはそれは、ことに長い道のりであるはずだ。

お米ひとつぶを見ただけで、その道のりが、携わった人たちの顔が、たゆまぬ努力と知識が、想像できるのか、できないのか。

だから勉強するのである。

大学に入ってばかりの頃、「学生のうちは遊んだほうがいいよー!」という人もいれば、「しっかり勉強するべきだ」という人もいた。

わたしは、学生のうちは勉強するべきだとはっきり断言する。

お米ひとつぶの話に、これだけの時間をかけて本を読み漁ることができるのは、学生ができる贅沢のひとつだと言っていい。

勉強する、知識をつけるということは、人より上に立つとか、たくさんお金を稼ぐとか、そんなことのためにあるのではない。

会ったこともない人たちを想像し、たった一言の「ありがとう」をつぶやくため。

そのために、本を開くのである。

#読書 #おにぎり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?