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良し悪しの基準を持つ

感じたことをそのまま素通りさせてしまうと、いざとなったときに自分で考えることができないと思い、最近、日常を過ごしているときに感じたあれこれを書き出すようにしています。例えば、お店で何か買ったとき、散歩がてらぷらぷらと歩いているとき、誰かがシェアしていた記事を読んだときなど。「感情に準じる訓練」として記録している自分のためのメモです。

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スマホで会計をすることによって、罪悪感が減るというのはわかる!口座振替だったりクレジットカード支払いにすることで、ある程度高価だったとしても買えてしまうけど、銀行口座振り込みだと、札束分の重みをずしりと感じる。
https://note.com/marketing/n/n4c9361dec0f1
「この人、これがめっちゃ好きなんだな!」と思う記事って、箇条書きで整理されてまとめられたものよりも、思わず愛情がこぼれてしまった記事のほうがグッとくる。それは、読む側は敏感にわかる。「これを書いたおれすごい」という気持ちはすぐにわかる。いくらわかりやすくまとめられられたものであっても、そこに愛は感じられない。愛を文章で伝えるのは難しいからこそ、その愛ある記事を読むたびにすごくうれしくなる。「#わたしが応援する会社」の記事を読んでいて思った。
これまで、家は固定費だからできるだけ安いところを探そうとおもっていたけど、そういう考え方は仕事をベースにした考え方なので、家探しは「その家に住むとわくわくするかどうか」で考えてもいいのではないか?と思った。多少高かったとしても、帰りたくなる家のほうがいいんじゃないかと。
「イベントレポートを書くならその日のうちに!」熱は熱いうちに打てという言葉があるように、公開するなら粗があってもいいから、夜のうちに、もしくは翌日までに公開すると、登壇者にすごく喜ばれるのと仕事ができるように映る。前職で、しおたんさんから学んだこと。
ネクスト・イン・ファッション」で、審査員がランウェイの一瞬でここまで判断できるのがすごすぎて、なぜなのかがわからない。彼らには、ファッションに関する自分なりの良し悪し(哲学とも言うかもしれない)の基準がしっかりしているんだろうか。プロとは、その業界において自分の見解をちゃんと言語化して他人に伝える(楽しませる)ことができる人なのかもしれない。
正しさを強く押し出すよりも、感情に訴えかける方が伝わりやすい。そのまま伝えれば伝わる、というのは良くない思い込みだなと思った。正しさだけは、共感しないし、おもしろく感じないから。逆に、岸田奈美さんが広く読まれているのはそれが理由かなと思った。

> カーソンは「知性」にのみ訴えたが、トランプはそれ以外のすべてに訴えかけていた。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/satoru-ishido_jp_5e33f5fcc5b69a19a4ad4c28
直感とか、センスとか、美しいと思うものとか、そういうものを「後回し」にせずに、何でそう思うのか考えてみることが、回り回って素晴らしいものをつくる力になるのかなと思った。
ワタナベアニさんの「ロバート・ツルッパゲとの対話」を読んでいる。拠り所になる「哲学」を持っていないと、誰かの価値観の上で動くことになってしまう。やはり、自分なりの哲学やセンスを持っている人になるべきだなと感じる。浅くではなく、深く。
自分が人前で話すとき、すごく苦手だと感じる理由は、話す内容がうまく言えないところがあるからだと気づいた。練習するもしくは、苦手なところを抑えれば自信を持って話せそう。
DearMedia Newsletter を毎日作成している味岡さんのように、日々浴びるように情報をつかむべき。まずは、何が今動いているのかを把握する。それから、抽象化をする&汎用性をつけるために企画化する。noteも、編集部が選んだものだけではなく、主要ハッシュタグのRSSを引っ張ってきて見るようにしよう。

> ニュースレターにピックアップする記事はPocketに溜めた記事を眺めながら、そのニュースの本質と私の視点を合わせていきその中で「今これを言いたい」と一番思えるものをピックアップするようにしています。
noteで新しくアカウントを作って日記を書いていたけど、noteを開くのが辛くなってやめてしまった。なので、何かのサイトで見た「3行ポジティブ日記」というものをここ数日やってみている。やり方は簡単で、その日良かったことを3つ寝る前に書き出すというもの。3つ、小さいことでもokなので意外に続けられている。
視力を矯正するための道具だった眼鏡が「おしゃれ」のひとつになったように、マスクもいつかは「おしゃれ」のひとつになるのだろうか?
「できることとできないことを知りたいから」勉強をするのだと加藤さんが以前noteに書いていた。だから今も加藤さんは、新しい技術を勉強しようとしているのだなと思った。1日1,2時間ぐらい勉強をする時間を取れないと、まだまだ長い社会人生活をアップグレードできないなと感じた。
https://note.com/sadaaki/n/n3a5eb291d3e0
時短を目的にするのではなく、時間を増やす(体感としての)ようにしないと、余裕がなくなるので料理を楽しむことができない。「料理をしたい」と思うと、能動的になるので楽しくなる。
- 「公開cook対談」参加メモ
これびっくりした。なんで気づかなかったんだろう。ぐんぐん、ニョキニョキ、ギクッ、フフフ、ボリボリ……。確かにオノマトペは肯定文で使われるかもしれない!
https://twitter.com/terada50397416/status/1229973216103297024?s=21
篠原健太さんのコマ撮りの話を聞いて思った。情報発信をすることは、スキルを流出してしまうリスク以上にファンをつくることにつながるのだと。それを「初恋理論」と話していてすごく分かりやすい。最初に見た人はその人のことを忘れないと言っていて、見るべき業界は同業界ではなくもっと広いところを見るべきなのだなと。

師匠と崇める峰岸さんの記事を読んだけど、これはすごい。
https://www.1101.com/21c_working/minegishi/2013-01-09.html
popIn Aladdinの据え置き型プロジェクターが届いた。でも、リモコンの電池が付属されていないから先に進めない。最低限セットアップが必要なものは最初に用意しておいてほしいと思った。
一億三千万人のための『論語』教室」を読んでいる。君子と呼ばれる人は、一人だけで君子になれるのではなく、周りに別に君子がいて、切磋琢磨したからこそ君子になれたという考え方は、すごく人間関係の本質を現しているなと思う。学びは、一方的ではなく双方向性なのだと。
『きのう、何食べた?』のドラマの中で、「関係がいつ崩れるかわからないから、関係を築きつづけるために努力をする」と話すシーンがあって、その努力こそが関係性を保つ秘訣なのだなとじーんときたことを今でも思い出す。何かしてあげる、とか、そういう即物的なものではなく、何かしようとする姿勢みたいなものが、人と人とをつなぐ潤滑油になるんだと思う。
ネクスト・イン・ファッション」を見た。どれだけ褒められても自信を持てなかった××(※ネタバレになるため)が、最後に優勝したときに見せた誇らしい顔が忘れられない。司会者のタン(クィア・アイにも登場)がいるからなのかもしれないけど、最後の決勝戦では「誇りに思う(I'm proud of you)」という言葉が何度も言われていて、存在そのものを肯定してくれる素晴らしい言葉だなと思った。ファッションのことを知らなくても楽しめるし、人間の成長ストーリーとしても楽しめる素晴らしいドキュメンタリー番組だった。


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