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その情報は発信する必要が本当にあるのか

・出先でTwitterを見る回数がめっきり減った。今は、iPhoneにいれていた公式アプリを消して、「Buffer」という投稿だけできるアプリを使っている。ついつい見てしまうSNSは根源を絶たないと無意識のうちにアプリを開いてしまうから。だらだらとTwitterを見ていた時間は、後で読もうと思って保存しておいた記事をInstapaperで読んだり、尊敬する人たちにおすすめしてもらった本を読むようにしている。

・投稿だけできるアプリ(Buffer)を使うようになってからというもの、投稿に対するハードルが上がった。そして、投稿に対する意識が変わった。

・これまで自分は、「いいものはすぐに発信したほうがいい」と思っていた。それは、自分が考えたことや感じたことは誰かの役に立つかもしれないはずだと感じていたから。だから、いい記事を読んだらすぐにシェアするし、いいものはRTするようにしていた。

・でも、それって本当に必要なんだろうか?と思うようになってきた。「これは知って欲しい!」ということを多くの人たちに伝えようとする、それは良いことだけど、その発信の仕方が適当だったり良くなかったりしたら、むしろその情報価値はマイナスになってしまう。それならば、少しゆっくりになったとしても、一度自分の中で精査した上で投稿したほうがいいのではないかと思いはじめた。

・今の自分は、「知ってたほうがいいよ」というような“教えてあげるスタンスの情報”よりも、「これは大好き」「これに悩んでいる」というような“感情がこもっている情報”のほうが知りたいと思う。

・もっとその人っぽさを見せてほしいと思うし、そういう情報を発信したいと思う。だから、ハードルは上がっていくし、どんどんツイート数は少なくなっていく。でも今は、それでいいやと思っている。

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