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17.「ふつう」って何? 「みんな」って誰?

17回目にして、
割と「自分の違和感の核心に気づいたんじゃないか?」という気がして、まとめたくなり、一気に書きました。
(今回は、少し日記テイストで長文です。)

キーワードは、「ふつう」と「みんな」。

今日、スーパーの入り口で、4,5歳の子どもが泣いて駄々を捏ねている場面を見かけ、小さな頃の自分を思い出しました。

小さな頃の自分には、ありのまま感情を出す自分がいました。
しかし、大人になる中で、「これが正しい」「"みんな"こうだから」と教わりました。

(1)"みんな"ってだれ?
でも、ここに疑問を感じました。「この"みんな"とは誰なのか?」
恐らく、答えられないのではないですか? それは何故か?
▷「答えを知らないから」「考えないよう、
育てられてきたから」と僕は思います。

(2)刷り込まれる"みんな"
保育園や幼稚園、小・中・高・大と、ほぼ全ての過程で、集団生活、つまり"みんな"を教えられる。
進学の毎に教わるため、"みんな"は凝り固まり、いつしか周囲は"みんな"しかいない。
▷つまり、長年をかけ、"僕" "私"が、"みんな"にすり替わるのではないですか?
だから、今更"自分"を問われても分からない

思えば、子どもの頃は、劇で勇者や王様、お姫さまになりたかったのに、いつの間にか、何となく「みんな」を演じる(=村人A)。
偶々、「みんな」に疑問を感じた人、「みんな」から少し外れた人は、「発達障害」として疎外され、異質なものに仕立て上げられる。
そして、恐らく、自ら矛盾に気づいた人が、「異端児」と称される。

(3)"みんな"って、そんなに大事?
なぜ、誰も答えられない「みんな」になる事の方が「自分らしさ」より大事なのか?
鬱になると、途端に「大丈夫?」「ゆっくり休め」「無理するな」と言われました。

けど大事なのは、そこじゃない。
「みんな」に埋もれた「自分らしさ」を取り戻すこと!。
"じぶん"を殺して、"みんな"を演じる事が「自由主義」だとすれば、不自由すぎる!

(4)ADHDは"じぶん(僕/私)"を失わなかった人?
真偽は分かりません。ただ、僕はそうじゃないかと少し感じています。
もちろん、実際に不便もあるが故も事実でしょう。ただ、この点に気づかれたくないため、「発達障害」という言葉で罪悪感を植え付けているのではないかとも感じます。

結局は、
"みんな"、"ふつう"から外れていることは、それ自体が悪ではなく、ある意味、"自分らしさ"なのではないでしょうか。
ただし、あくまで自分が感じた事であり、研究者ではないため、自分なりの気付きです。

#ふつう #みんな #自分らしさ

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