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私を想い返したら割とネタ帳①

こんにちは。Rinです。
ネタ帳とか言ってるけど、そうでもないよな?て思う方もいらっしゃるかも知れないですね(笑)
まぁ普通の主婦なんで、そこのところは薄目で見て頂けると幸いです。

私がわたしを俯瞰して、ちゃんと向き合う事を記してみたくなったのです。

幼少期の私と母と妹と

私は今、関東におりますが生まれも育ちも沖縄県です。
那覇市内の某所で、会社員の父と専業主婦の母との間に産まれたごくごく普通の家庭の長女。
ちなみに父は愛知県出身で、沖縄は母の地元です。
まぁ…惚れた弱みなんでしょうかね?父が母の地元に転勤してきて、そのまま結婚・移住となったそうで(笑)

母はまぁ…いわゆる今で言う若ママ?なのかな?
20歳で結婚して、22歳で私を出産したので。
初めての子育てで必死だったんだろうなぁ。と同じ立場になって、初めて痛感したけど幼少期の頃は、本当に理不尽な気持ちしかなかったし、未だに拭えない所もあります…。

記憶にはないですが、3〜4歳頃の私はパーマをかけていて(かけられて)、当時のホームビデオや写真に写る私はほぼすべてアフロヘアかモッサリ髪を2つ結びです。
本気で全く意味が分かりません。
どブスが目も当てられない人…?…もはや人なの?になってる人生最初の黒歴史の始まり。

当時の事を聞いたら「パーマをかけたらどうなるかと思ってかけたら、予想以上にかかって持ちも良すぎちゃうからビックリしたわー( ・ᴗ・ก)」など。

いやまて…実験台かよ?怖いわー!
これを聞いたのが小学生の低学年頃だったけど、「ウチの母はなんか変な人だ…。」と初めて思った時でした。

時は戻って…私が3歳の時、妹が産まれました。
でも正直、妹が産まれたときの記憶がほぼない。
ただ覚えているのは…よく祖父母の家にお泊りに行ってた事。
週末から3〜4日ほど過ごしてた気がする。
祖父母の家は車で20分位の市内にあったけれど、免許を持っていない母。
週末に祖父母のどちらかが迎えに来て、一緒に行くという流れはよく覚えている。

初めのうちは楽しくて仕方なかった。
祖父母なので、だいぶ甘やかしてくれてたし(笑)
でも、だんだん「何でお家にいられないんだろう?」と思う方が多くなってた。

今なら、父が出張ばかりでほぼ居ない状態で、母も大変だったのかな?と少しは察する事も出来るけど…。

その頃から大人(特に母)の機嫌を伺うようになって、怒られると異常に落ち込むようになった気がする。
母は、怒ると言葉で異常にひたすら追い詰めてくる人で、それは今でも変わらない。
自分は必要ない…何やってもしかたない。
怒られる=死ぬほど心を折られる。と同じだった。
自己肯定感が異常に低くて、今もまだそれを…全てを克服できてない。

いろんな人の想いや考えに触れて、少しは克服させて貰ったところもあるけど。
だけど、私なんかが…と思ってしまう事もまだ沢山で。
思考のクセを矯正するのはなかなか難しい。

妹とは大きくなるにつれて、仲は良かったけどケンカをするとそりゃまぁ大ゲンカになったし、大体悪くなるのは私。予想出来るね(笑)

1番覚えてるのは大ゲンカして、妹が魔法使いサリーちゃんのステッキ(買ってもらって数日)で、私を思いっ切り殴り折れて(凶器)腰に大きな青あざが出来たにも関わらず、ステッキを振り回すほど妹を怒らせた!お前が悪い!(要約)となったのは未だに本当によく分からない。


と…まぁ、こんな風にゆっくり書いて、わたしを見つめて自分自身を大丈夫!こんなに頑張ってきた!と言えるように。
少しでも…今よりちょっとずつでも、私がわたしを1番好きと思って自由になれるように記していく。



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