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日本女子大学創立120周年記念事業を語る~母校のキャンパス再編に込めた思い~

2023年3月5日、日本女子大学創立120周年記念事業に関わった事業代表者たちによる座談会『卒業生がつくる目白の森キャンパス 〜4人が語るそれぞれの想い〜』が催され、建築の世界の第一線で活躍する卒業生4名が登壇しました。山下PMC 代表取締役社長 丸山優子も参加した座談会を再編します。

世界的な建築家・妹島和世さんを筆頭に、日本女子大学学長であり建築家の篠原聡子さん、清水建設の佐藤貴子さん、山下PMCの丸山優子が登壇。いずれも日本女子大学家政学部住居学科の卒業生。再編事業に関わった経緯や苦労した点などを語り合った。

―今日はお忙しい中ありがとうございます。座談会の前に皆さんにお伝えしたいことがあります。つい先日(2023年3月2日)、妹島さんがロンドンで『ジェーン・ドリュー賞』を受賞されました。それについて少しお話しいただいてもよろしいでしょうか?(進行役=日本女子大学家政学部住居学科の同窓会「住居の会」の三木泉会長)

妹島 ご紹介いただきありがとうございます。イギリスの建築雑誌が主催する女性及びノンバイナリーの建築関係者に贈られる5つの賞「Wアワード」があり、その一つが「ジェーン・ドリュー賞」だそうです。世の中には女の人と男の人がいますが、もしかしたら性差よりも個人差の方が大きいかもしれませんし、それから私は男の人とパートナーシップを組んで建築をつくってもいるので、今まで女の人の賞と言われるとちょっと躊躇したりしていたんです。でもだんだん歳を重ね、多様な社会をつくるために、いろいろな人がいろいろな形で関わることの大切さをより感じるようになり、女性の賞をきちっと受け取りたいと思い、ロンドンまで行ってきました。どうもありがとうございます。

”違う学問を学ぶ学生たちが出会い 多様な考え方が生まれる場になれば”

Kazuyo Sejima
妹島和世建築設計事務所主宰・SANAA主宰。建築家。ミラノ工科大学教授、横浜国立大学名誉教授、東京都庭園美術館館長。1981年日本女子大学大学院を修了。日本建築学会賞、ベネチアビエンナーレ国際建築展 金獅子賞、プリツカー賞、芸術文化勲章オフィシェ、芸術選奨文部科学大臣賞など、国内外の主要な建築賞を多数受賞。2023年3月、傑出した女性建築家に贈られるジェーン・ドリュー賞(イギ リス)を受賞した。

―おめでとうございました。私もあまり「女性、女性」と言いたくはないのですが、今回、百二十周年記念事業に際し、卒業生である女性がリーダーとなったので、お話を伺ってみたいと思い、この場を設けさせていただきました。つくる時と、完成した時、そして未来についてどうお考えなのかについて、今日は伺ってみたいと思います。では、前々学長から依頼を受けた時のエピソードからお聞かせください。

篠原 当時私は、キャンパス構想部会には入っていたとは思いますが、設計の専門家として加わっているメンバーの一人でした。そこに前々学長の佐藤(和人)先生から「妹島先生に(設計を)お願いしたいのですが、ご紹介いただけますか?」という電話がかかってきて、「はい」と言って妹島先生に電話して、私の車で学長を妹島先生の事務所にお連れした記憶があります。理事会決定になったのはその後だと思うのですが、佐藤前々学長のご英断と言いますか、「卒業生にやってもらいたい」という、その時の学長の思いがとてもありがたかったし、「すごい!」と思っていました。

”地域に開かれ、街と共存するのが これからの大学”

Satoko Shinohara
日本女子大学学長。日本女子大学家政学部住居学科教授、空間研究所主宰。研究分野は建築設計住居計画。 同大学院修了後、香山アトリエを経て空間研究所の主宰に。
1997年から同大学で教鞭を執り、2020年5月、同大学学長に就任。
日本女子大学創立120周年記念事業では、発注者として、事業を取りまとめる重要な役を担った。

妹島 私は、とにかく選んでいただいて、すごくうれしかったことを覚えています。初めのうちはどうしたらよいのか分からないところもありましたが、いろいろな方に力づけられながらイメージをまとめていきました。同時期にイタリアとイスラエルの大学の設計を手掛けていたのですが、やっぱり大学って大変ですね。あの、こんなことを言っていいのかどうか分からないですが、普段何もおっしゃらない隈さん(篠原学長の夫/建築家・隈研吾さん)が、偶然お会いした時に「お前のところどうなっているの?」って。篠原さんは相当大変みたいだと言われたことがあって、「ああ、やっぱりそうなんだな~」と思ったんです。そんなこと、本人(篠原さん)は全く言わないから。篠原さんはその後、構想部会の責任者になられて、後に学長に就任されて、ますます大変になっていったのだと思います。

建物全体が緩やかにつながる新図書館

妹島和世建築設計事務が設計を担当。大学創立120 周年記念事業の第Ⅰ期計画で再建された新図書館(奥)と 青蘭館(手前)。目白通り沿いにある美しい図書館が、大学の新たなシンボルのひとつとなった。
撮影:新建築社写真部
自然光が差し込み、全体が見渡せる明るい館。大きなガラス窓の外側には、建物を囲うように各階を緩やかにつなぐスロープが施されており、移動する人々の姿が目に入る。
画像提供:日本女子大学 撮影:鈴木研一

1つのキャンパス内で異文化をまとめる難しさ

篠原 ふふふ。どこまで言っていいのか分からないのですけど……。建物を建てる時は近隣説明会というものを開くわけです。本当の近隣説明会も2、3回あったわけですけど、大学の先生向けの説明会も都合2回ほど行いました。で、日本語をしゃべっていますけど、それぞれの学部の先生方は、建築
は専門外で、異文化の中で生きていらっしゃるので、結構話が通じないことが何度もありました。百二十年館に関しては、「中庭が沈んで水が溜まるんじゃないか」とか、「あれくらいなら全部屋根を架けてしまえ」とか、いろいろなご意見が飛んで来ましたね。たくさんのご意見に全部お答えしてい
く、そこが一番大変でしたね。異文化の中で一つのキャンパスをつくることの難しさをすごく実感いたしました。学長になって、今も似たようなことをし続けておりますけど(笑)。

滞在型のキャンパスを体感できる建築物

百二十年館はキャンパスのほぼ中央に位置する棟で、4つの学科の研究室、大小23の教室などが入り、広々とした中庭やピロティー空間が特徴的。キャンパス全体をつなぐ役割も果たしている。
画像提供:日本女子大学 撮影:鈴木研一

―ありがとうございます。ここでは言えないご苦労もたくさんあったかと思います。妹島さんの設計を清水建設さんが施工されたわけですが、苦労した点などはありましたか?

佐藤 非常に難しい設計を実現するために、社内一丸となり、いろいろな専門技術スタッフの応援もあり、妹島先生とご相談をしながら進めたわけですが、やはり、かなりレベルの高い経験をさせていただきました。
現場の施工のプロがモックアップをつくって、社内はもちろんのこと、妹島先生にも見てもらい、篠原学長にも見てもらい、一つずつ丁寧に了解をいただきながら進めていきました。一番苦労した点もその過程かなと思っております。

”プロジェクトを実現するために社内が一丸となれた”

Takako Sato
日本女子大学家政学部住居学科卒業。 清水建設株式会社設計本部設計長。清水建設設計本部で、集合住宅を中心とした、住まいに関わる施設の設計を担当。2003年清水建設技術系初の管理職となる。2007年から、日本女子大学家政学部住居学科非常勤講師を務める。

―設計するときの整合性を保つのは大変難しいことだと思います。次に丸山さんに伺いたいのが、ご苦労の中にも面白さがあったかと思うのです……。

丸山 なかなか難しい質問です(笑)。私ももともとは建築の設計をやっていました。私は今の職業に就く前に数年間デベロッパーとして開発していたことがあるのですが、建築だけで建築物ができているわけではないんだな、というのがその時学んだことです。
たとえば家具の引っ越しなど細かいところまですべてスケジュールが流れなければいけない。また、それぞれ本当に細かいところの製作まであるのですけれども、一つ一つの成果品がバラバラに出るのではなく、設計や施工とは全く別のスコープのものがいかにシナジー効果を出せるようになるのかをマネジメントするのも仕事です。
もちろん日本女子大学のような場合は、家具に至るまで妹島先生のデザインで進めていっているので一つ筋は通るのですけれども、それがきちんと時間までに、予算や品質も含めて、事業主、その建物が欲するものすべてを、どうまとめていくのか、というのが醍醐味といえば醍醐味なのかなぁと思います。醍醐味ですけど、すごく苦しいところでもありますね。
あとは、「どんなことがあっても、日本女子大学の味方でいよう。常に隣にいて、困ったときに困ったと言ってもらえるようにしよう」という信念は徹底して貫きました。

”建物が欲するものすべてをまとめるのは苦しいけれど、醍醐味でもある”

Yuko Maruyama
大手建設会社、不動産デベロッパーを経て、山下PMCに入社。
ホテルや医療、 MICE施設の建築においては、マーケティング調査、事業性検討、コンセプト立案等、事業の川上から提案を行い、プロジェクトを牽引。また、グローバル部門を立ち上げ、事業拡大に貢献した。2022年1月28日、代表取締役社長に就任。

学び合いの連続となる出会いや関係性を生む場に

―百二十年館ができて数年経ちますが、コロナ禍が明け、学生たちが学ぶ様子を見て思ったこと、今後に繋げていけることなどを一言ずつお願いいたします。

妹島 マスタープランを考えさせていただいた時にあげたことの一つに〝学生が溢れるキャンパス〟があります。そのためにキャンパス全体を見通せるようにして、グランドレベルに学生が集まる場所を点在させました。新しいキャンパスでは、歴史の中でつくられた場所と新しくつくられた場所がつながって、異なる専門を学ぶ学生たちが自然にいろいろなところで出会えます。そこから新しい発見、新しい学びが生まれてくると思います。住居学科の学生の方は、様々な関係性を空間で考えることを学んでいます。こんなふうに使えるとか、こうやって使ったら楽しいとか、率先して実践してもら
って、それを他学科の学生も学んで、みんなでみんなの学びの場をつくり上げていってくれたらと思います。
丸山 食育って、人生においてとても重要だと思うんです。普段からおいしいものを食べている人の方がそうでない人に比べて幸せだと思うし、他人にもおいしいものを提供できますよね。それと同じように、妹島先生の建築の中で勉強をしたたりキャンパスライフを過ごせたりするというのは、「空間育」という点で非常に恵まれていると思います。ここで学べる学生さんたちがすごく羨ましいし、その実現のための一助を担えたのだとすれば、すごくうれしいなと思いました。

デザイン性と使いやすさを両立させた空間

百二十年館の地下1階 にあるラーニング・コモンズかえで。用途や滞在時間によって使い分けられるよう、椅子の背もたれは短いものから長いものまで複数用意されている。
画像提供:日本女子大学 撮影:鈴木研一
不忍(しのばず)通りに面する新学生棟・杏 彩館。食堂として使用されるほか、大人数のためのレクチャーやイ ベントなど、学生たちの様々な活動をサポートするスペースになっている。
画像提供:日本女子大学 撮影:鈴木研一

都市のパーツとして開かれた大学に

篠原 最後に申し上げなければいけないのが、これはなかなかの難事業であった、ということです。苦難の連続だったとも言えます。この狭いキャンパスを運用しながら工事をする。1回も授業は普通の休み以外、止めない。で、瞬間移動しなきゃならない。加えて、予算が潤沢にあるわけではない。
コロナもありましたし、物価が高騰して建設費も高騰してということも追い打ちを掛けて……。正直に言えば、最後は、資金面が大きな課題となりました。しかしながら、泉会のサポートや皆さんのご協力で奇跡的に完成し、本当にありがたいと思っています。また、私の思いは、これからの大学は地域に開いていく、ということです。女子大なのでセキュリティは大事だけれども、地域の、そして都市のパーツとしてちゃんと生きていかなければならないとずっと思っていました。目白通りに架かっていた歩道橋が取れて、結果的に空間に広がりが出て、フロントヤードに青蘭館(学生の活動スペース)ができ、通りからも中の様子がうかがえます。不忍通り側にはアプローチがいくつもある杏彩館ができ、今ではキッチンカーが入ってきたりしています。そういう部分もオペレーションを考えればできるので、街と共存するよ
うな空間を持つ大学になり、ずっと私が思っていたことが実現できてきたなと思っています。本日は皆さん、本当にありがとうございました。

ガラス越しに地域とつながる空間

目白通り沿いにある青蘭館は、学生が自由に過ごすためのスペース。
通りを歩く人々からも 見えることで、地域に開かれた雰囲気づくりの一翼を担っている。
画像提供:日本女子大学 撮影:鈴木研一
新学生棟・杏彩館の外観。新図書館、百二十年館と同様のボールト屋根とガラスが特徴的。
キャンパス全体に連続性が生まれ、キャンパスと地域を空間的につ なげる建物となった。
画像提供:日本女子大学 撮影:妹島和世建築設計事務所



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