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No.127 『スター精密』 名経営者との交友録

スター精密の佐藤肇さんはわたしが最もお世話になった経営者です。初めてお会いしたのは2000年代の初頭、佐藤さんがまだ常務取締役の頃と記憶しています。わたしが勤める信託銀行の受託部門は当時、外苑前から歩いて5分の場所にオフィスを構えていたのですが、禁煙に対する世の関心が高まる中でもクリスタルガラス製の灰皿を応接室に置いている寛容な組織でした。「お、タバコが吸えるとは珍しい会社だねえ」。ソファにどかっと座るなり、当時の社長を差し置いてタバコをうまそうに吸い始めた佐藤さんの姿を鮮明に覚えています。

「ちょいワルオおやじ」。今では死語とも言えるこの表現がぴったりの風貌でした。顔立ちはそう、クレイジーケンバンドの横山剣。浅黒い肌に彫りの深い目鼻立ちは端正と呼べる部類に属するでしょう。黙っていると強面なのですが、ひとたび話し出すと茶目っ気のある柔和な表情にパッと変貌する。声音はそう、「一週間で最も長時間、テレビの生番組に出演する司会者」としてギネス記録を持つ、みのもんた。とにかく話がうまい。つい引き込まれる。外苑前の応接室はいつもワイドショーのスタジオと化しておりました。

佐藤さんは人の心を一瞬で掴む天才でした。わたしが属するチームのメンバーTも心を奪われた男のひとり。現在は中小企業診断士を志すTは当時、ファンドマネージャーとして佐藤さんを迎えておりました。一度目のミーティングからしばらく時間が経っていたにもかかわらず、二度目にお越しいただいたとき、「どうも、Tさん」と佐藤さんから名前を呼ばれたことにいたく感動していた姿を今でも覚えています。「人たらし」と表現しても良い佐藤さんの人心掌握術は、学習院大学の学生時代、デパートの店頭でおばさま方を相手に家庭用品を実演販売して磨かれたものでした。「ジャパネットたかた」が登場するはるか昔から、「目白のサトウ」としてトップセールスの地位を欲しいままにしていたようです。

必然的に女性も放ってはおきません。確か2000年代の半ばと記憶しておりますが、50歳を過ぎたときに奥様と離婚して若い女性と再婚されました。最初の奥様との間には息子の誠吾さんがいらっしゃいまして、スター精密の主力である特機事業部(小型プリンター)で営業部長を現在は任されていると思います。「息子のためにも前の奥さんには幸せに暮らしてほしいからなあ」。所有する土地を売却して数億円を用意されたと聞きました。ちなみに、佐藤さんが再婚された後、新しい奥様と東京駅でタクシーに乗り込む姿を偶然にお見かけしたことがあります。「DOLCE&GABBANA」と思われる黒のシャツを着た佐藤さんはまさしくクレイジーケンバンドそのものでした。

当然ながら経営者としても優れております。佐藤さんは創業社長の息子なのですが、二代目に貼られがちなバカ社長のレッテルとは無縁でした。むしろ、2009年の社長就任以降、先代が築き上げたスター精密の事業基盤をグローバルでさらに広げることに成功します。主力の小型プリンターや工作機械ではいずれもニッチな領域で寡占的な地位を確保しているといえるでしょう。ただ、それよりもわたしの印象に深く残っているのは佐藤さんのIRです。決算説明会では事業環境や競争戦略、株主方針などについて、原稿を棒読みすることなく、みずからの言葉で参加者の目を見ながら率直に語ってくれました。「あんまり頭が良くないから難しい話はできないけど、おれがどんな思いでこの会社を経営しているのか、集まってくれた投資家のみなさんに腹落ちして帰ってほしいんだよね」。目をつぶるとみのもんたとしか思えない声でかつて話してくれたことがあります。真の対話がここにあると感じました。

誤解のないように申し上げておきますが、佐藤さんは亡くなられたわけではありません。今でもご健在です。従兄弟の佐藤衛さんに社長職を2017年に譲り、現在は代表権のある会長職についていらっしゃいます。現在の年齢は69歳。かつて日経ビジネスのインタビューに、「70歳代の代表取締役会長がいる会社は変われない」と話していましたので、そろそろ引退を考えているのかもしれません。その前に本社のある静岡へお邪魔し、久しぶりにうまい寿司をご馳走になろうかと考えています。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。


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