見出し画像

消えた豊臣秀吉を追いかけて Part 1 はじめに

●本記事について

 本記事は2021年(令和3年)6月2日〜9日にかけて取材・執筆を行ない、門真市立歴史資料館に提出した『古川橋変電所に存在した豊國神社の造営から廃社に至る経緯の調査と報告』を加筆・修正しつつ、noteに転載したものになります。


●本記事で取り上げる豊國神社とは

 かつて関西電力送配電株式会社の古川橋変電所(大阪府門真市古川町12番地64号)に、豊臣秀吉を祀る豊國神社(ほうこくじんじゃ)が存在しました。どうして京都でも大阪でもない門真市に秀吉を祀るんだろうと疑問に思い、2021年(令和3年)5月に取材の下見に訪れてみると、何と姿を消してしまっていたのです。跡地を見るに、つい先日に撤去したばかりという感じでした。一足遅かったのですね。しかし、撤去したばかりだからこそ、造営の経緯はともかく、廃社の経緯を正確な記録に残せると思い、関係者に取材を行いました。

 古川橋の豊國神社はあくまで変電所の敷地に祀られた神社であり、古川橋の産土神(うぶすなかみ)でなければ秀吉の遺した足跡でもありません。したがって、本記事の内容は広く一般の神社にあてはまりませんが、秀吉を愛する方や、政治に翻弄される神社の有様に興味のある方にとって、一つの参考資料となれば幸いです。

 なお、社号の混同を避けるために、本記事に登場する複数の神社を次のように呼び分けます。7か所に見えますが、実質は古川橋と大阪府と京都府の3か所です。

 <古川橋変電所の豊國(ほうこく)神社>
 古川橋豊國神社  (古川橋・1922〜2020年)

 <大阪府の豊國(ほうこく)神社>
 第一期大坂豊國廟 (大坂城・1598〜1615年)
 第二期大阪豊國神社(中之島・1880〜1912年)
 第三期大阪豊國神社(中之島・1912〜1961年)
 第四期大阪豊國神社(大阪城・1961年〜)

 <京都府の豊国(とよくに)神社>
 第一期京都豊国廟・第一期京都豊国神社
          (東山・1599〜1615年)
 第二期京都豊国廟・第二期京都豊国神社
          (東山・1875〜)


●目次

消えた豊臣秀吉を追いかけて Part 1 はじめに ※このページです。

消えた豊臣秀吉を追いかけて Part 2 豊国大明神の来歴
https://note.com/yoyoyonozoo/n/n2cf3dbd20866

消えた豊臣秀吉を追いかけて Part 3 政治に翻弄される天下人の尊厳
https://note.com/yoyoyonozoo/n/nb952ff95d9a5

消えた豊臣秀吉を追いかけて Part 4 豊臣秀吉が鬼門を封じるか
https://note.com/yoyoyonozoo/n/n93572b3ee813


●取材協力 及び 情報の出典

豊國神社社務所(大阪府大阪市中央区大阪城2番地1号)
豊國神社リーフレット『出世開運の神豊國神社』
豊国神社社務所(京都市東山区大和大路正面茶屋町530番地)
関西電力送配電株式会社野江電力所(大阪府大阪市城東区野江2丁目12番地12号)
関電不動産開発株式会社(大阪市北区中之島3丁目3番23号)
門真市歴史資料館(大阪府門真市中町1番地1号)
京阪電鉄萱島駅/萱島神社(大阪府寝屋川市萱島本町19番地1号)
『朝日新聞』1938年(昭和13年)4月16日「都計の大手術」
『朝日新聞』2021年(令和3年)5月18日夕刊「鎮守の大木 黄色い線の内側で」
『大阪春秋』1977年(昭和52年)3月10日発行「天満堂島中之島」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?