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100日後にロックダウンする街へ新婚旅行に行く夫婦

2019/03/13 - 03/19 の期間で、プラハ-パリ へハネムーンに行ってきました。

「欧州にハネムーン」なんて、日本でも緊急事態宣言が発令された今(2020/04/10)となっては、かなり愚かな行動に聞こえますし、実際私自身、思い返してみれば愚かだった思います。

この記事は、旅行前と旅行後の間にある自分自身の考えのギャップがどういう経緯で生まれていったのかを記録しておきたくて書いています。個人的な記録であり旅行記であり反省文です。
これは、たまたまニュースにはならなかっただけ、の帰国者の一例です。記事を通して何かを訴えたいわけではありません。

後で見れば「そこでその判断するの?」というような当時の自分の認識を含めて、つらつら書いてみました。
とにかく長くなってしまったので、要点だけ知りたい方は次のまとめだけ読んでください。

願わくば、この事態が早く落ち着き、その時この記事が”当時の記録の一つ”となれば良いなと思います。

まとめ

◆新婚旅行には、最終的に現地の人や妊娠中の奥さんの主治医の話を聞いて行くことにした。
◆ただ当時は、自分たちが感染・発症した場合のことしか考えておらず(それも見通しが甘く)、ウイルスの感染源になるリスクを認識できていなかった。
◆フランス政府、チェコ政府とも、コロナへの対応については方針の宣言から実行まで迅速で状況は一変した。
情報収集の面で行っていたこと
 ◆やっていてよかったこと(★の数は良かった度)
  [★★★] 現地状況を聞ける現地の人とすぐに連絡できる状態にしておく
  [★★★] 滞在予定のホテルとのマメに連絡をとる
  [★★★] たびレジへ登録する
  [★★☆] 各国内務省、日本大使館のコロナ関連ページをチェックする
  [☆☆☆] 日本にいる人から現地についての情報を教えてもらう
 ◆効果が不明だったがやっていたこと
  ・ホテル近くの病院・ドラッグストアの場所を事前に確認しておく
  ・現地の緊急連絡先番号(日本でいう119や110)を事前に確認しておく
  ・"covid" "corona" を含む滞在地付近のツイートをチェックする
◆予定より早く帰国し、その後はずっと自宅で待機orリモートワーク中。
◆帰国後、私だけ喉の痛みと晩だけ微熱の日が数日続いたため、念の為保健所に連絡しPCR検査を受けた。結果は陰性で、その後体調は回復した。
◆事態が落ち着いたら、いつか、プラハやパリには再訪したい。

準備開始から渡航まで

2019年11月
結婚式と引っ越しが落ち着いたので、新婚旅行の準備を始める。
2020年の2月末あたりでヨーロッパへの旅行の計画を始める。

2019年12月

中国武漢市で新型コロナウイルスの集団感染発生
【感染確認者数】日本:0人 チェコ:0人 フランス:0人

ひとまず旅行先をチェコ、フランス、イタリアの三カ国で検討をはじめた。
観光の詳細は決まっていないものの、航空券とホテルの手配をしてもらえないか旅行代理店に相談。
並行して、旅行代理店が てるみくらぶ のようにならなさそうか、怪しいキャンペーンをやっていないかなどを調べたりした。
そうこうしてるうちに、年末に奥さんの妊娠が分かり、一旦旅行を保留することに。

2020年1月上旬

【感染確認者数】

日本:0人 チェコ:0人 フランス:0人

産婦人科の主治医や両親らと相談して、
「3月か4月には奥さんのつわりが落ち着くはずだし、今が二人で行ける最後のチャンスだよ」みたいな話もあり、3月中旬に新婚旅行に行くことを決定した。二人で再度話し合い、航空券とホテルだけ広告代理店に手配を依頼する。
このとき渡航先からイタリアを除外してチェコとフランスのみに決定。滞在期間も3月13日 から 3月20日 を予定していた。
旅行プランは特に決めず、現地でショッピングとかしてぶらぶらしよう、くらいのゆるい感じで予定していた。

年始に、夫婦二人共好きだった東京事変の復活ライブを知り歓喜。
ファンクラブに入っていなかったので即入会した。

2019年1月中旬

国内初の感染者が確認される
【感染確認者数】2020年1月16日
日本:1人 チェコ:0人 フランス:0人

テレビを点けると新型コロナウイルスのニュースをよく目にするようになった。ニュースでは、人から人への感染の可能性があることを示唆しつつも、まだまだ中国での出来事であり対岸の火事という雰囲気だった。

「当選するかどうかで2020年が決まる」という気持ちで東京事変のライブチケットを申し込んだ。

2020年1月末

国内の感染確認者が10人を超える
【感染確認者数】2020年1月31日
日本:14人 チェコ:0人 フランス:6人

新型コロナウイルスの、人から人への感染が確認されニュースになる。
感染確認者が増える中国国内の死者は100人を越し、全世界の感染確認者は15カ国以上で数千人規模まで広がっていることがわかってきた。
日本のニュースでは、ウイルスの特徴としては”感染力が強い”ことだとし、致死率については、過去に流行した SARS や MARS ほど高くないとしつつも、今後ウイルスが変異して致死率が上がる可能性もあると報道していた。
また、今の所、重症化するのは基礎疾患のある人や高齢者のみで、それ以外の重症例はない、という報道を何度か目にした。

東京事変のライブのチケット当選結果が気になって気が気でない。

2020年2月上旬~中旬

【感染確認者数】2020年2月15日
日本:41人 チェコ:0人 フランス:11人

海外クルーズを予定していたダイヤモンド・プリンセス号が、ツアーを中止して横浜港に停泊、足止めを食らい疲弊する船客の方々の様子、政府の対応に対する批判などが連日報道される。その後、当初予定していたよりも前倒しで乗客の下船が始まった。

1月に国内で感染・発症が確認されていたバス運転手の男性が回復・退院される。
これ自体は喜ばしいニュースだったが、「コロナは治るもの」として好意的に報道されていたり、国内初の死者(80代 女性)が確認されたというニュースが流れるも、今となっては事態を矮小化するような、「ご高齢の方でしたしね」みたいなコメントがあったのが印象的だった。

日本国内で、イベントの自粛やリモートワークの推奨が活発になる。
東京マラソンの一般ランナーの参加の取りやめなどがニュースになった。

東京事変のライブチケット…あかんかった

2020年2月下旬

【感染確認者数】2020年2月25日
日本:157人 チェコ:0人 フランス:12人

ダイヤモンド・プリンセス号の乗客の中で、船での検査が陰性だったにもかかわらず、下船後に陽性反応となるケースが出て、検査の不確実性ウイルスの潜伏期間の長さが話題になる。

日本では北海道の感染確認者数が顕著になり、国外では韓国、イタリアの感染確認者数が目立つようになる

全国の小中高校などへの一斉休校要請が唐突に出て、「学校が休みになった学生たちがレジャー施設に集まりそうだな」と思っていたら、同日 TDR や USJ が2週間休館になるというニュースを目にした。

インフルエンザで年間万単位の人が亡くなっているのに、コロナでこんなに騒ぐのは過剰反応だ、お餅の方が人を殺しているぞ、みたいな言説をtwitterで目にした。

パリで日本食レストランに、コロナウイルスに関連した差別的な落書きがされるというニュースが流れた。
新婚旅行に無事行けるのか不安になってきたので、渡航予定先のパリとプラハにいる現地の人へ、知り合い等を通じて連絡を取り始める。

ライブの中止が相次ぐ中、東京事変の29日のライブは予定通り開催された。

トイレットペーパーが買えない日が続く。

2020年3月1日~3月12日(旅行前日)

【感染確認者数】2020年3月1日
日本:239人 チェコ:0人 フランス:100人

【感染確認者数】2020年3月5日
日本:317人 チェコ:5人 フランス:282人

【感染確認者数】2020年3月10日
日本:514人 チェコ:38人 フランス:1402人

【感染確認者数】2020年3月12日
日本:620人 チェコ:94人 フランス:2269人

欧米での感染確認者が3月に入り急増した。フランスでは感染確認者数が日本を上回った。

夫婦の間で旅行を中止するかどうかの話も挙がる。すでに入金していた旅行費のことや、パリでは一時休館した美術館などが再開した状況などから、渡航できるならとりあえず行くだけ行ってみよう、と判断をした。

そんな中、トランプ大統領が欧州から米国への全ての渡航を一時停止すると発表。WHO もこの時点で「パンデミックとみなせる」と表明した。
これに対しても我々夫婦は、欧州も米国の対応に倣うかも、という予想をしつつも「そうなったら怖いね」と軽く見てしてしまった。すっかり正常性バイアスにやられてしまっていた。

行くと決めたからにはちゃんと準備しようと、行くことに気持ちが固まってしまっていた
行く前提だったので、WHO が公開していたガイダンスQ&Aレポート 、各国内務省、日本大使館のコロナ関連ページに目を通したり、たびレジ に登録したりした。
また、万が一のために、ホテル近くの病院・ドラッグストアの場所や、現地の緊急連絡番号を確認した。

この時は旅行に行かない後悔より行って後悔したい、何かあっても自己責任だ、という気持ちもあり、渡航先でも病院は機能しているものと思い込んで、医療崩壊の可能性や、そもそも自己責任の範疇を超えるリスクを抱える可能性(ウイルスの保菌者となり拡散してしまう可能性)について冷静に判断できていなかった。

渡航から帰国まで

2020年3月13日

【感染確認者数】
日本:675人 チェコ:116人 フランス:2860人

朝から関西空港へ出発。
関空空港の到着直前に、チェコ政府が14日0時から入国規制を行うことを発表したことを たびレジ で知る。また、娯楽施設や美術館の営業停止も同時に告知されていて、引き返すかと話し合ったものの、ここまで来てしまったし行くか、と判断。
空港はガラガラ、と思いきや、全体的に空いてはいるもののツアー客などが一定数いる状況だった。今回利用したエールフランスのカウンターには列は無く、搭乗までスムーズだった。

シャルル・ド・ゴール空港に到着。乗り継ぎのためシャトルに乗ると、日本のツアー客の団体や学生のグループを目にした。
シャトル内で、娘に会いに行くという人と会話をした。我々がプラハに向かっていると伝えると、あそこは町並みが綺麗で小さくてかわいいお店がいっぱいあるよ、楽しんできてね、と教えてくれた。
夜遅くの到着になりそうだったのでホテルに連絡。ホテルからは、いつでも準備できてます、お待ちしてます、と返答が来た。

ヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港に到着。検疫などはなかったが、出口で手洗いうがい等を推奨するリーフレットを渡された。

プラハ空港からホテルまでは Uber を利用した。(チップを渡すのが便利なのでこの後も何度も Uber を利用した)
ホテルの受付では、チェコ政府のコロナ関連の発表を受けて、今回の旅行で楽しみの一つだったプラハ市民会館やミュシャ美術館が閉館しまっていること再確認した。観光したい気持ちがあったので残念だった。
部屋はアップグレードしてもらえてたので、めちゃくちゃ天井が高い3人部屋になった。

ポーターの人と会話して、日本から来たことを伝えると、日本だったら北海道でコロナが流行しているようだけど大丈夫だった?と心配された。
やけに日本に詳しいと思ったら、日本に在住していたことがあり、3.11 を機にチェコに来たとのことだった。

空港で買ったサンドイッチを食べ、この日は就寝。

2020年3月14日

【感染確認者数】
日本:716人 チェコ:150人 フランス:3640人

旧市街地広場の周辺を散歩。
我々のように観光客っぽい人はちらほら見かけたけど、ほとんどマスクをしていなかった。

プラハの町並みは本当に綺麗で、ショッピングできるようなお店は閉まっていたけど、散歩だけでも普通に楽しかった。

旧市街地広場には、みんなここに集まってるんだろうなと思うぐらい、多くの観光客がいた。日本語を話しているグループも何組か見かけた。

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レストランなどは閉まっていたが、テイクアウトの販売はOKだったので、お店の入り口にカウンターを置いてそこで商売をしている飲食店が何店舗かあった。消費税の簡易課税制度が適用された結果、店内飲食を回避しようとしていた日本のカフェやコンビニを思い出した。

広場を後にし、KFC でツイスターを買ってルドルフィヌム(有名なコンサートホール)の階段で軽食。他の人達も同じような感じで階段に座っていて、天気も良かったのでめちゃくちゃのんびりした時間が流れていた。まぁ2日後ロックダウンするんですが。

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プラハ城まで行ってみて(もちろん閉まってる)、街を眺めてカレル橋へ。カレル橋にも多くの人がいて、旅行客の他にも、犬の散歩をしている人や、お酒を飲んで騒いでいるグループ、騎士のコスプレをして闊歩している人などがいた。
ホテルへの帰りにテイクアウトで何か買っていこうとお店に寄ったら、Uber Eats が使えることを知り、ホテルから注文することにした。

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晩御飯を食べ終わった頃、パリにいる人から、フィリップ首相からコロナに関する発表があったと連絡を受ける。国民生活に必須なものを除く、すべての商店が明日15日から閉鎖されるとのこと。すぐにフランス内務省のページで詳細を確認した。

この発表内容を受けて早期帰国を決定。ただ、連絡をくれたパリの人とは会う約束をしていたので、帰国日を20日から18日(日本には19日着)にすることにした。

航空便を手配してくれていた日本の旅行代理店に、帰国便の変更を依頼して就寝。

2020年3月15日

【感染確認者数】
日本:780人 チェコ:214人 フランス:4469人

この日も散歩観光。
ドラッグストアで買い物をしたり(当時日本で見かけなくなったトイレットペーパーが売っていた)、ホテル近くの公園でLime(シェア電動スクーター)に乗って遊んだりした。

昨日に引き続き外はいい天気で、公園には親子連れで遊びに来ている人や、ベンチでおしゃべりしている人たちがいた。本当に、のんびりしていた日だった。

次の日パリへ向かう予定だったが、もともとパリへ直行する予定だった便が、アムステルダムを経由する、出発時間が早い便に変更になったので、早めにホテルに戻った。

日本の旅行代理店から連絡があり、18日の帰国便が手配できているはずので、明日は空港のカウンターで確認して、同時に20日の便のキャンセルをしてほしいと連絡があった。エールフランスのアプリで確認すると、たしかに言われたとおりに便が予約されているようだった。
この日はルームサービスでご飯を食べて、すぐに就寝することにした。

この頃親切心で、現地情報を調べて教えてくれる日本の人がいた。
ただ、教えてくれるのが時差的に現地の夕方以降だったので、結果的にこちらが情報を知る朝とはワンテンポ遅れて情報を教えてくれる形になっていたので、混乱する場面があった。(気持ちは本当にありがたかった)
一方で、当時の日本の報道はただただ不安を煽るような内容で、現地の雰囲気との間には思った以上にギャップがあった。

2020年3月16日

【感染確認者数】
日本:814人 チェコ:298人 フランス:5380人

朝4:00頃に空港へ出発、アムステルダムへ。
アムステルダム空港に着陸後、「オランダへようこそ」という機長のアナウンスがあって、同名のエッセイを思い出した。普通の旅行を羨む気持ちがあったのかもしれない。

17日に会う予定をしていたパリの人から連絡があり、今夜、もしくは明日から、(当時ヨーロッパで一番事態が深刻だった)イタリアのように、国全体で自宅待機の指示がでる可能性が出てきたとのこと。予定を変更して、この日(16日)の午後に会うことにした。

シャルル・ド・ゴール空港に到着し、帰国便の確認のためカウンターへ向かう途中、事前に連絡をとっていたパリのホテルから、政府の要請で急遽17日の午後からホテルが閉鎖されることになったと連絡があった。(事前にホテルとやりとりしていなかったら、この情報はホテルの受付で知ることになっていたかもしれないし、その後も対応が遅れていたと思う)
帰国は18日なので、これによって、17日の晩の宿が無くなってしまった。

実は空港泊の可能性も考えてレスキューシートなどを持ってきていたが、まさか使うことになるとは・・・と思った。
とりあえず帰国便の確認が優先なので、エールフランスのカウンターへ向かった。だが、既に長蛇の列ができていた。
我々が並び始めた後もどんどん人が増えていき、しばらくしてメディアもインタビューに来ていた。

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列に並びながら、午後に会おうと言っていた人(あとでホテル勤務だったと知る)から、今夜の大統領の会見で外出禁止令または戒厳令が出て、パリ内のホテルの殆どが17日から閉鎖される可能性があると教えてもらった。

これを聞いて、午後に会う予定はキャンセルして、なるべく早期に帰国することを決定した
エールフランス以外の航空会社の便も一応調べてみたが、乗り継ぎがめちゃくちゃ大変 (40時間とか) 、 価格が高騰($6,000とか)していたので却下した。

列に並び始めてから3時間ほどしてカウンターにやっと到着。
が、ここで日本の旅行代理店が手配してくれた18日の便は欠航していると知らされる。最短で帰国できるのは次の日の19日の便とのこと。
ただ、予約した航空券が確認できるエールフランスの手元のアプリでは、18日の便で予約ができているようだったので、どうゆうことだ、と食い下がったが、話が通じない(私の英語能力的に)。

困っていると、隣りにいたおしゃれなマダムが日本語とフランス語の通訳を買って出てくれた。最終的に、この方のおかげで、18日に帰国できる便をとることができた。
マダムからは「実は 9.11のときにアメリカにいたんけど、その時にくらべればこれは”大丈夫”よ、”成田離婚”なんてしないでね」と励まされたり、とにかく感謝しかなかった。

マダムに、泊まる予定だったパリのホテルが17日に閉鎖してしまうという話もしたところ、マダムが滞在中だったホテルは閉鎖しないことが判明。そのホテルを紹介してもらえることになった。
紹介してもらうにあたり、直接ホテルに行く必要があったので、一旦、空港で解散し、後でそのホテルでマダムと合流することになった。
我々はもともと泊まる予定だったホテルに出発した。

ホテルに到着し、チェックインの際に、既に支払っていた17日以降の宿泊費を返金してもらえる事となった。
部屋に入って荷物を下ろし、18日に泊まるホテルの予約のため、地下鉄で20分のところにいるマダムに会いに行った。(妻はホテルで休憩して私一人)
時間は19時頃、外はほとんどお店が閉まっていたものの、プラハのようにカウンターを外に出して営業している店が何店舗かあった。人通りも少ないわけではなく、マスクをしている人は半数くらい。スーツケースを引きずっている人も割といて、地下鉄の切符を買っている時に道を聞かれたりした。

マダムのホテルに到着し、無事予約が完了。
ロビーでマダムとなぜかエスプレッソを飲んで、お礼を伝えて妻のいるホテルへ帰った。

ちょうど同じ時間帯、明日17日の正午からフランスで外出禁止令を発令するとマクロン大統領から発表があったと、今日会う予定だった人から教えてもらう。
また、17日以降でも、閉鎖するホテルと閉鎖しないホテルがあることが判明した。そして、空港内のホテルに空きがあることがわかり、18日はそちらに宿泊することになった。(結局マダムのホテルはキャンセルした)

一通り落ち着き、ホテルに帰ってテレビを点けると、(フランス語だったので言葉はわからなかったが)外出禁止令の発表でモノプリ(スーパー)で買い占めが起きていることを報道するような映像が流れていた。

2020年3月17日

【感染確認者数】
日本:829人 チェコ:383人 フランス:6573人

朝食は Uber Eats でフランスパンのサンドを食べた。
昼食や夕飯をどうしようか気になったので、配達に来てくれた人に、今日の午後から外出禁止だけど、Uber や Uber Eats も営業停止なのかと聞いてみたら、そんな訳ないじゃん、と笑われた。曰く、Uber Eats に関しては配達員はアルコールを携帯していて、手は常に除菌しているし、その上で商品には一切触れないようにしている、とのことだった。
(空港のホテルでも Uber Eats を利用するつもりだったが、利用可能エリア外と後で知った)

正午に外出禁止令が発令される前に、空港のホテルへ向かうことにした。
ホテルをチェックアウトするとき、初老の男性が見送ってくれた。ポーターかと思ったら、ホテルのオーナーだった。
オーナーは、今回政府の要請とはいえホテルを突然閉鎖することになった事態について丁寧に謝罪しつつ、無事帰国できそうか、今晩は安全に過ごせそうかと気遣ってくれた。

空港のホテルへ Uber で出発。車の窓から外を見ると、外出禁止令まであと1時間という状況だったが、普通に人が出歩いていて、ランニングしている人もいたりした

空港のホテルにチェックインし、食べ物を買いに空港内のコンビニへ向かった。途中、帰国の便やホテルが取れなかったのか、空港泊していたらしき人がちらほらいた。
コンビニの食材棚は空っぽになっていたので、ご飯はホテルのルームサービスを利用することにした。

この後出国までホテルからは一歩も出ず、なんだかんだ疲れていたので部屋でゆっくり過ごした。

2020年3月18日~3月19日(帰国)

【感染確認者数】
日本:829人 チェコ:434人 フランス:7652人

日本へ帰国開始。
チェックイン後、搭乗口で待機中に、日本で21日から、欧州からの入国者の2週間の待機要請が決定したことを知った。

帰りの便は、成田空港経由で大阪に帰る便だった。
成田空港では到着後、滞在先を聞かれたものの、特に検疫などはなかった。ただ、二人共時差ボケと疲れ(奥さんはつわりも)で参っていたので、救護室を利用させてもらった。
救護室を利用するには検温する必要があったが、二人とも平熱だった。

救護室の近くで、「YOU は何しに日本へ」の腕章をつけた取材班のたちを見かけた。この時期に撮れ高あるのだろうか、と思った。

救護室でしばらく睡眠をとってから大阪に出発。途中、会社から2週間自宅待機の指示が下る。この時既に日本では帰国者による感染拡大の第二波をくいとめなくてはいけないという動きが強まっていたため、然るべき対処だったと思う。

2020年3月20日 ~ 2020年3月26日

帰国後、私は自宅待機、妻はリモートワークで、生活必需品の買い出し以外は外出を控えて過ごしていた。
毎日朝夕に検温を行ったところ、私の体温が晩だけ37度前半になる日が続いた。
喉に痛みもあったため、帰国者・接触者相談センターと保健所に状況を連絡したところ、新型コロナウイルスの PCR 検査を受けることになった。

連絡の次の日病院に向かい、まず問診、インフルエンザ検査、肺のレントゲン写真撮影をしてもらった。
医師からは、インフルエンザは陰性で、レントゲンにも目立った影は見当たらなく、普通なら風邪として自宅で様子をみてもらうことになるが、渡航者なので、念の為検査を行ったほうが良いかもしれない、と言われる。
新型コロナウイルスの PCR 検査を受けますか?と聞かれたので、はいと答えた。(受けない選択肢もあったようだった)

次の日の夕方に結果がわかり、陰性反応とのことだった。その後喉の痛みも引いて体調も良くなったが、晩に体温が上がるのは相変わらずだった。

2020年4月1日 ~

渡航から2週間が経過。
PRC 検査から体調不良もなく1週間が経ったものの、晩だけ体温が上がることだけ不安があったので保健所に状況報告と相談をした。窓口の方は忙しそうな中も丁寧に対応してくださった。

食後にも体温は上がることがあるので、晩の微熱はそれが原因かもしれないとのことだった。
新型コロナウイルスの感染の可能性については、帰国後時間が経ち、目立った症状もないので可能性は低いと判断する、とのことだった。

その後

二人とも体調に異常はなく、2020/04/10の現在まで、生活必需品の買い出し以外はほとんど家にいる状況です。
帰国者からの感染拡大がニュースになる中、運良く我々は発症もなく健康に生活することができていますが、帰国途中で無意識のうちにウイルスを広げてしまっている可能性は十分にあり、旅行前の認識の甘さを反省しています。

最初に書いたように、この記事では何かを訴えたいわけではありません。
ただただ、今度こそは、状況を甘く見ず、やるべきことをやって、事態が早く収束することを願っています。


※このページに掲載している感染確認者数の情報は WHO の Situation Reports Dashboards から引用しています。



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