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黒猫のはなし

 えっへっへ、あっしのような者でもおはなしさせてもらえるなんて、本当に王様はお困り……いえいえ、お心が広いお方ですねえ。ほら、よく言うでしょう。「黒猫は死を招く」って。えっへ、冗談がすぎますかい?

 それにしても『面白いおはなしを集めるべし』なんてお触れ、後にも先にもないでしょうよ。まあ、あっしはあっしのおはなしが気にいっていただけたらそれでいいんですがね。

 ああ、はい。あっしのおはなしですね。これは誰も知らないおはなしです。あっしのご主人さまのはなしです。


 あっしの主人っていうのがね、これがもう驚くほど怠け者の靴屋でして。皮を切っては飯食って、一針入れては酒飲んで、ようやく片方こしらえたら好き勝手に踊りまわるっていう様子だったらしいんでさ。らしい、っていうのは、あっしが主人の家に住む前のはなしなんで、噂で聞いただけだからです。ええ、そうそう、あっしが知ってる主人は、そりゃあキチンと仕事する働き者ですよ。えっ、なんで怠け者が働き者になったかって? そのはなしをするんですよ。焦っちゃいけません。

 その怠け者だった主人がですね、やっとピカピカの靴を片方こさえて、もう片方の縫い合わせの前に酒を一杯やってた時なんですがね。もうとっぷり日が暮れた森の方から、かすかにピャラピャラ、笛の音が聞こえる。主人の家ってのは、村の中でも森に近いところにあったもんで、その笛の音に気づいたんでしょうな。ほろ酔いで、上機嫌の主人は、靴の仕事を放り出して、ついふらふらっと森の方へ歩いて行ったんです。おおっと、夜の森に入るなんて馬鹿者だ、なんて言ってあっしのはなしをさえぎらないでくださいね。

 とにかく、主人は夜の森をずんずん進んでいった。自分が道をそれて、木の間をさまよっているなんて気づかないで、笛の音だけを頼りにふらふら。いつしか森の深い深いところまで入り込んで、そこでようやく、はたと自分が迷っていることに気づいた。黒々とした森の木々はかさかさ、ひそひそ、主人を見下ろして噂話でもしているようだったそうです。でももう戻る道も分からないし、夜の森は暗いだけじゃなくて、下手にうろつくと危険もある。主人が途方にくれかけたその時、さっきまでかすかだった笛の音が急に大きくなったんでさ。まるで主人が歩くのをあきらめた時を狙いすましたかのように。主人は仕方なく、笛の音の鳴る方へ歩いていきました。どうやらそっちでは火を焚いているらしく、木々の間からちらちら光が見えました。

 光に近付くと、笛の音だけじゃなく、わいわいがやがや、楽しげな声もする。こんな夜更けに、森の奥で、宴を開いてるなんて、こりゃ怪しいぞって主人も思いました。でも、主人はそこに行くしかない。だって他に行くべき道がわからないんですからね。しかも、光の方からは、そりゃあ美味そうな料理のにおいが漂っていたわけですからね。

 主人はそっと木の陰から、宴の場をのぞいてびっくりしました。大小様々、老若男女、人も、獣も、明らかにこの世のものではない生き物も、入り乱れて、踊り狂っていたんです。同じ形の者は誰一人いません。じいさんはじいさんひとり、黒猫は黒猫一匹、小人は小人ひとり、大ドラゴンは大ドラゴン一匹、という具合にね。

 妖精だ、と主人は思いました。妖精たちは時たま集まって奇妙な宴を開くのだ、と主人たちは伝え聞いていたんだそうです。だからピンときたんでしょうな。

 逃げよう、と思った時にはもう遅し。妖精たちは主人に気づき、あっという間に取り囲んで、炎のそばまで連れて行きました。主人は、食われちまうのかとおびえて震えていましたよ。だけど妖精たちは主人を傷つけるどころか、見たこともない、食べたこともないごちそうでもてなし始めたんでさ。

 なんだ、妖精っていったって悪いもんじゃない。こうしてごうちそうしてくれるものはどれも美味いし、酒の味も上等だし、笛の音だって踊りだしたくなるような楽しいものだ。主人はそう思って、ついつい妖精たちが差し出すものに手を出してしまった。

 そうして、腹いっぱい食べて、頬が赤くなるほど飲んで、足が震えるほど踊った主人は、ふらふらと輪の外へ出て行きました。静かなところで一息つこう、と思ったんでしょうな。森の中は、酔いがさめるほど美しい、さえざえとした銀色の月の光が注いでいました。主人がぼおっと月の光に見とれていると、小さな話し声が聞こえてきました。主人はそっと木の陰に隠れて、会話の主を覗き見ました。

 そこにいたのはフクロウの姿をした妖精と、なんとなんと、主人にそっくり同じ顔、同じ身体をした男でした。

 王様は、チェンジリング……取り替え子……ってことばをご存じですかい? 人間の赤ん坊と妖精の子どもを入れ替えちまうっていう、妖精のいたずらです。

 あんまり知られちゃないんですが、これは赤ん坊だけのはなしじゃない。大人だって妖精にさらわれて、そっくりの妖精がそいつの代わりに、人間の世界で生活するってことがあるんでさあ。どういうわけか妖精たちは人間にあこがれて、油断しまくっている人間がいたら、そいつになりかわって人間になっちまおうって企んでいるもんなんです。つまり、そこにいた主人のそっくりさんっていうのは、主人になりかわろうとしている、妖精だったということです。

「あいつは飯を食ったか」主人にそっくりの妖精が言いました。

「食いました」フクロウの姿の妖精が答えました。

「食べてしまった」のぞき見をしていた主人は、いっぱいになった腹を手で押えながら、思わずうめくようにつぶやきました。

「あいつは酒を飲んだか」主人にそっくりの妖精が言いました。

「飲みました」フクロウの姿の妖精が答えました。

「飲んでしまった」主人は赤くなった頬を手で押えながら、不安そうにつぶやきました。

「あいつは踊りを踊ったか」主人にそっくりの妖精が言いました。

「踊りました」フクロウの姿の妖精が答えました。

「踊ってしまった」主人はぶるぶる震える足を手で押えながら、おびえるようにつぶきました。

「よし」

 そう言って、主人そっくりの妖精はにったり笑いながら立ち上がりました。ええ、主人はほんと気のいい男で、凄みなんてものは出せないんですが、主人そっくりの妖精はその凄みってやつに溢れていました。

「妖精の飯を食べ、酒を飲み、踊りを踊った者はもう元の世界には戻れない。私があの男になりかわる準備は完了した」

 そこでようやく主人は、この宴は最初から自分を罠にはめるために開かれていたって気づいたようで。そりゃあガタガタガタガタ震えて、冷や汗もたらたらたらたら。金縛りにあったようにそこから動けなくなりました。

 主人そっくりの妖精は、そんな主人の目の前に来ると、言いました。

「ああ、これでようやくすべてがもとに戻る。お前はこれから妖精の世界で暮らすのだ。私は大丈夫、お前よりよっぽど立派に靴屋の仕事をこなせるさ」

 主人そっくりの妖精の指が、主人に近付きました。

 その時、一匹の黒猫の妖精が闇から飛び出して、主人の頬を引っ掻きました。こう、ピッピッピッと三本線から、血が出るくらいに引っ掻きました。

「ああっ」主人そっくりの妖精は闇を裂くような叫び声をあげました。「なんてことだ! 印がついてしまった! 私はあの印を持たない!」

 そう、引っかき傷は、どんな小さな子どもだって間違い探しができるくらいはっきりとした違いになったんです。主人は大慌てで森の中を逃げ回り、いつしか自分の村にたどり着きました。元の世界に戻れないはずだったのではって? 多分ですが、妖精たちが主人をチェンジリングするのをあきらめたんじゃないですかね。チェンジリングするためには、元の人間とまったく同じ形にならなければならない。たった一匹しかいない黒猫の妖精につけられた印なんて簡単に手に入るものじゃないですから。

 そして、妖精の宴から村に帰った主人は心を入れ替えて、靴屋の仕事に打ち込むようになりました。今じゃ、村中から信頼される働き者ですよ。

 なんであっしがこんなに詳しい様子を知っているかって? そりゃあ、あっしが主人に印をつけた黒猫そのものだからでさあ。主人はあっしの働きに喜んで、あっしを連れて、妖精の宴を逃げ出してきたんです。だからあっしは、元妖精で、今はただの飼い猫というわけです。

 ええ、あっしは今の生活が気に入ってます。人間の世界での生活がね。言ったでしょう、妖精は人間の世界にあこがれるって。だからあっしはわざと主人に印をつけて連れて帰ってもらっ……ああ、口が滑った。なんでもありやせん。

 ただねえ、あっしには未だにわからないんですよ。噂に聞く、妖精の宴に来る前の主人と、今の主人。どうも同じ人とは思えない。それこそ人が変わったようだ。

 そういえば妖精は主人に迫る時に、「もとに戻る」って言ってやした。もしかしたら主人はもともと妖精で、なりかわろうとしていたのは赤ん坊の時にチェンジリングに遭った者だったのでは……? いえいえ、今のは独り言です。おはなしじゃありません。気にしなさんな。


 で、このはなしは気に入っていただけましたかね。もしお気に召したのならお願いがひとつ。今度、森の方からピャラピャラ、笛の音が聞こえたら、どうか妖精の宴へいらしてください。どうやら王様になりかわりたい妖精がいるようで……。

 えっへ、冗談が過ぎますかい?

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