黄昏商店街の秘密
草木も眠る丑三つ時とはよく言ったものだ、とケンゾウは一人ほくそ笑んだ。街灯の明かりも消えた黄昏商店街には、ただでさえ痩せているケンゾウの細く伸びる影と、裏道を走り去るネズミ以外に動くものはない。アスファルトに張り付くその影も月に雲がかかっているせいか、ぼんやりとしか見えない。
こういう夜は絶好の泥棒日和だ。
(それにしても不用心な商店街だぜ)
ケンゾウはここ数日の調査で分かったことを思い出し、にんまりと笑った。この黄昏商店街は十数軒しかないどの店も監視カメラはおろか、しっかりした最新式のカギをつけていない。しかも売上金を夜間金庫に預けずに店の中にしまいこんでいる。そのうえ夏祭りが近いせいか商店街の店主たちは毎晩会議をして疲れているようだった。
(たいした売上じゃねぇだろうけど、ちりも積もれば山となる、ってな。さっさと頂戴してズラかるとするぜ)
生ぬるい風が吹く中、ケンゾウはお得意の忍び足で黄昏商店街を進んだ。立ち並ぶ店のシャッターは落書き防止のために近所の美大生にでも描かせただろう絵で埋まっている。急にケンゾウの背筋にゾゾッ、と冷たいものが走った。八百屋のシャッターに描かれた鬼の目がケンゾウを見つめている気がしたのだ。
(絵の鬼の目にビビってなんかいられるか! よし、まずはこの八百屋から盗んでやれ!)
ケンゾウは八百屋の裏口に回ると、ジャケットの胸ポケットから曲がった針金のようなものを二本取り出した。その針金を裏口のカギ穴に差し込むと、あっという間にカチリ、とカギが開く音がする。カギ開けはケンゾウの得意技なのだ。
(ちょろいかぎだぜ)
ケンゾウは満足そうに鼻を鳴らしてそっと戸を開いた。わずかな隙間から滑り込むと、ひんやりとした空気が流れる狭い土間がケンゾウを迎える。
背負ったデイバッグに脱いだ靴を入れ、家にあがりこむ。木造の廊下がきしまないように慎重に足を進めたケンゾウは、閉じたふすまに耳を当てた。寝息が聞こえる。
(八百屋の店主はおばさんだったな。この部屋は最後にするか)
ケンゾウは一階を後回しにして階段をのぼりはじめた。廊下よりきしみやすい階段には細心の注意を払わなくてはいけない。そっと、抜き足、差し足、忍び足……。
ぎいっ!
階段の半ばあたりで大きな音がして、ケンゾウは冷や汗を垂らした。パッ、と階段下のふすまを見ると、さっきと変わりなく閉じたままだ。
ほっ、と胸をなでおろし、次の段に進もうとしたその時。
「嫌よねぇ。あたしもこのきしむ音大嫌い。早く建て直したいわぁ」
ケンゾウの耳元で、はっきりと、女の声がした。まるですぐ後ろに誰かがいるかのように。
ケンゾウは滝のような汗を流しながらゆっくり振り返った。そして悲鳴を上げないように自分の手で自分の口をふさいだ。
人のよさそうな笑顔のおばさんの頭が浮いていた。
それは八百屋の店主の顔だった。そして首は例のふすまの部屋から太いうどんのように伸びていた。
(ろ、ろ、ろくろ首!)
「あら、てっきりぬらりひょんかと思ったのに。あなた見ない顔ねぇ。もしかして新入りの妖怪さん?」
ろくろ首のおばさんに聞かれて、ケンゾウは目を見開いたまま頷いた。とにかく泥棒だとバレてはいけない。
「あらあら、夏祭りはまだ先なのにもう妖怪が集まってくるなんて。ところであなた何て妖怪?」
ぐるり、と、長い首がケンゾウに巻き付く。ケンゾウはお金を盗みに入ったのに、この場から逃げられるのならいくら払ってもいい気持ちになっていた。ろくろ首がくん、と鼻をならす。
「あなた、なんか人間臭いわねぇ」
「ち、違います! 妖怪です! 妖怪……妖怪……」
「妖怪、何?」
その時、ケンゾウの頭の中に裏道のネズミが走り抜けた。ネズミ……ネズミ小僧……そうだ!
「妖怪カギ開け小僧です!」
ろくろ首は目をぱちくりさせて長い首をかしげた。
「カギ開け小僧? 聞いた事ない妖怪ねぇ」
「ろ、ろくろ首さんほど歴史のある妖怪じゃありませんから」
「でもカギ開け小僧ってことはカギ開けが能力なのよね」
ケンゾウが頷くと、ろくろ首は嬉しそうに笑ってケンゾウの体から首をほどいた。そのままするするとふすまの部屋に向けて首が縮んでいく。がくがく震えながらその様子を見つめていると、ふすまが、すっ、と開き、普通の八百屋のおばさんが現れた。
「降りてらっしゃいな。開けてほしいカギがあるの」
おばさんに連れられてやってきたのは商店街の終わりにある細い横道だった。十歩ほど進むと、高い塀に囲まれた行き止まりになっている。
「ここよ」
おばさんは行き止まりの壁を指差した。そこには黒塗りの古びた鉄のドアがはめ込まれていた。
「これ、何のドアですか?」
ケンゾウは言ってからハッ、と自分の口をふさいだ。
(何も聞かずにさっさと開けて、とっとと逃げた方がいいだろう! 触らぬ神にたたりなしって言うじゃねえか!)
そんなケンゾウをよそに、おばさんは長くため息をついて、口を開いた。
「これはもうひとつのタソガレ商店街の入り口。そっちは黄昏じゃなくて、『誰そ彼』のタソガレ。私たち妖怪のための商店街なの。私たちは普段人間のフリをして暮らしてるけど、一年に一度、夏祭りの夜だけは、誰そ彼商店街も営業するのよ。でも去年の祭りの後、カギがなくなってしまったの」
「カギがなくなった?」
またうっかり口が滑って、ケンゾウは自分の頬を叩いた。
「そう。しかもカギを閉めた後に。今まで色んなカギ屋さんに頼んだけど誰もドアを開けられなかったわ。毎晩どうやって開けるか会議を重ねても良い案は出なかったし……。でもカギ開け小僧さんが来てくれて安心ね」
おばさんは期待に満ちた目でケンゾウを見つめた。ケンゾウのじんじん痛む頬に冷たい汗が流れおちる。
(このカギを開けられなかったら俺はどうなるんだ? ああ、なんで妖怪カギ開け小僧なんて言っちまったんだ!)
ケンゾウはごくり、と唾を飲んだ。もうやるしかない。
「わかりました。開けてみます」
震える声でそう言って、ケンゾウはおばさんに背を向けてドアのカギ穴に向き合った。古びているのはドアだけじゃなくカギ穴も、だ。カギ屋が開けられなかったという事は、きっと中で歪みが生まれているのだろう。
(大丈夫だ。俺は今までどんなカギでも開けてきたプロの大泥棒だぞ。こんなカギくらいちょちょいのちょいさ)
胸ポケットから二本の針金を取り出してカギ穴に差し込む。上手くカギが回るように歪んだ部分を探る。じっとりとした空気のせいで手袋の中の指先が滑りそうになる。ケンゾウは滴り落ちる汗をぬぐいながら慎重に針金を動かした。
(よし、うまく引っかかったぞ。あとはこれをゆっくり、焦らず……)
ケンゾウは息をつめて針金を回した。カチリ、とかすかな音がした。
「やった!」
荒く息を吐きながらケンゾウは両手を上げた。そしてそっとドアノブをひねると、ぎぎぎ、と大きな音が静かな商店街中に響きわたった。おばさんが嬉しそうに手を叩いた。
「開いた! 開いたわ!」
走るおばさんの後を追って商店街に戻ったケンゾウは目を丸くした。さっきまで闇の中で静まり返っていた商店街のあちこちに、ぼう、と光る人魂が浮いている。シャッターからは絵の鬼たちが這い出し、寝ていたはずの店主たちは頭だけで飛んだり、鼻を伸ばしたり、尻尾を生やしたりした姿ではしゃぎながら行列を組んでいた。その行列は歓声を上げながらケンゾウが開けたドアのむこうへ進んでいく。
その様子を茫然と眺めていたケンゾウに、一人の鬼がウインクをした。ケンゾウはその鬼が、八百屋のシャッターの鬼だと分かった
(あいつ、こうなる事がわかってたのか? いやいや、考え過ぎか)
行列が全てドアのむこうに消え、ぎぎぎ、と音をたててドアが閉まると、また商店街に静けさが戻ってきた。
もうカギは開いたのだから、あのドアが閉まりっぱなしになる事はないだろう。ドアを見つめたケンゾウは、自分の細い影がドアに張り付いているのを見つけた。いつの間にか雲がなくなった夜空では、月がだいぶ傾いていた。
(やれやれ、今夜は仕事にならなかったな。結局手に入れたのはカギ開け小僧っていう妖怪の称号くらいか)
長いため息をひとつついて、ケンゾウは歩きだした。抜き足でも、差し足でも、忍び足でもないその足取りは、跳ねまわる妖怪たちのように軽やかだった。
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