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悲嘆のきっかけ

悲嘆反応と言う言葉がある。
私は事件後に初めて知った言葉だ。

悲嘆反応にも色々分類があると思うが、ざっくり言うと「大切な人が亡くなった時に経験する悲しみのこと」と言う事になるらしい。

犯罪や事故が原因で身近な人を暴力的な形で突然亡くすという体験をすると、心的外傷性悲嘆反応というものが生じるらしい。

突然の不幸の記憶に伴う感情があまりにも痛切になれば、それに耐える事は難しく、人間は無意識に、感情を揺り動かされる様な事をなるべく避けようとするらしい。

例えば、写真を見れない、映像を見れない、声を聞けない、書いた字を見れない、描いた絵を見れない、使っていた食器を見れない、身に着けていた衣服を見れない触れない、思い出を振り返る事もできない。

私もそうであったし、引き続きまだできない事がある。(妻も当然同じだろうが、悲嘆反応はそれぞれなので、私の事だけ書く)

フラッシュバックと言うものがある。
ある事を引き金にして、あるいは地雷とでも言った方がよいか、自分でも想定しきれない事がトリガーになって、フラッシュバックが起きる。

私の場合最も強いのは娘の遺体と初めて対面したとき、そして、娘の棺がいよいよ閉じられようとしているとき、それがフラッシュバックになる。

子供の写真をスマホの待ち受けや、SNSのアイコンにしている人は多いだろう。
私も、今も、更新されていく事のない娘の写真を待ち受けにしている。
寝る前に必ずベッドで娘の写真を見る。
そして、大体いつも、娘の遺体を思い出す。

本当に何をどうしても、絶対に取り返しがつかない光景。
それが、娘の遺体である。

自分が死のうが、加害者を殺しに行こうが、誰かに理不尽を訴えようが、決して取り返しがつかない光景。

事件前は意識もしなかった事だが、テレビや日常会話で、「死」と言う言葉は驚くほど頻繁に使われている。

 死ぬ気で
 死ぬほど腹減った
 暑くて死にそう
 死んでも死にきれない
 死ぬわけじゃないし

あるいは

 殺すぞ
 殺されるかと思った

とか。

職場ではこういう言葉は飛び交っていたし、世間でもこの手の比喩は別になんてことはない表現だろう。

テレビや映画も今となってみれば、驚くほど、遺体や葬式のシーンが多い。

 交通事故みたいなもんだ。
 交通事故で人が死ぬ確率に比べたら可能性は低い。
 車で人をひっかけちゃうとえらい事になる。

こんな発言も案外、普通に使われている。
「死」、「殺す」、「事故」、「事件」、「犯罪」こうした言葉を私も何の思いもなく使っていた。

しかし、今は、こうした言葉の全てに反応してしまう様になった。
こうした言葉を前触れもなく見聞きするたびに、娘の遺体が頭に蘇る。
こうした言葉が出そうな気配がすると、全身で身構える。
そしてやはり娘の遺体が頭に蘇る。
日常は地雷だらけになった。

信号と言うものが信じられなくなった。
青でも赤に見える。赤でも青にみえる。
何度も意識的に確認する。

青で横断歩道を渡っていても、車が突っ込んでくるような気がする。

街で、子供が横断歩道を渡っているのを目にすると、轢かれてしまうのではないかと心配になる。
そして、やはり娘の遺体が頭に蘇る。

普通の人にとっては気色悪い話だと思うが、私は目の前にいる人が棺桶に入ったらどの様な感じになるか、想像する癖がついてしまった。

遺体と言うのは、棺の中で深く沈んでいるものである。
私は、それを、いつでも頭に思い浮かべる事ができる。


私は今年、民事裁判を闘わねばならない。
しかし、まだ裁判は起きていない。
私も被害者だから、損害の評価に時間がかかる。(保険屋はなるべく払いたくないのだ)

自身の負った外傷を詳しく書類などで把握はしていない。
当然に分かっているのは、左足を開放骨折し、顔から耳の後ろ、そして頭部にかけて裂傷を負い縫合した事。

そうした事が民事裁判でどの様に取り扱われるのか、まだよく分かっていない。

民事裁判のエビデンスとして、私の診断書やCT、レントゲンなどを然るべき相手に提出する必要がある。
個人情報の兼ね合いがあるのか、そうしたエビデンスを私自身で取り寄せねばならないと弁護士に言われた。

救急で運ばれた病院、リハビリで転院した病院、退院後にリハビリで通院した病院、この3つの病院全てに診断書とレントゲンがある。
これを取り寄せるのは苦痛だった。

加害者サイドの保険屋に何とか取り寄せてくれないかと掛け合ったら、同意書を書けば代行で取り寄せてくれると言う。
そして、取り寄せられたものが自宅に届き、昨日その画像を見た。

全てCD-Rに納められている。

救急で運ばれた病院の物を見た。

2020/3/14 21:36:10
その様に記載のある私の胸部のレントゲンがあった。

2020/3/14 21:56:35
頭部のCT画像があった。

2020/3/14 22:25:05
完全に折れている左足のレントゲンがあった。

2020/3/14 23:29:44
カテーテル手術の様子を収めた動画があった。

2020/3/15 11:07:47
左足膝下にチタンの棒が埋め込まれているレントゲンがあった。

担ぎ込まれて最初にレントゲンを撮った2020/3/14 21:36:10時点で娘はどうなっていたか、妻はどんな様子だったか。

頭に釘を刺される様な思いになった。

そして、また、娘の遺体の顔が私の目の前に現れる。

初めて対面したとき。

棺の蓋が閉じられる直前に花に埋もれているとき。

私にとって、あれ以上苦しく、忘れる事ができない光景は無い。

カウンセリングも投薬も、そして俗に言う時間薬も、あの光景の前では無力である。






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