見出し画像

日常の何気ない写真を撮ってる姿は、全然何気なくない。

写真を撮るということは、一旦していた作業を中断し、わざわざスマホカメラを取り出して、対象物を画面に写し出して、こんな感じかな?とわざわざ考えて、いい感じと思ったらパシャリ。

・・・どうも違うと思ったら、もう一度同じ動作をして、パシャリ。

何気ない日常感を醸し出してる写真でも、このめんどくさい一連の動作をわざわざしてる。日常のちょっとしたいい感じをわざわざ演出して写真を撮っている。

インスタ映えを狙ったカフェでは、お目当ての食事が届いたら、いただきますの前に、「何これ、可愛い〜!すごい〜!」とか言いながら写真撮影。それが普通。もはや普通。最近では、そこらへんにいるさえない男性でもパシャパシャと写真を撮っている。

とまぁ、昔に比べて何でもかんでもスマホで写真を撮る行為自体に違和感はだいぶ減った。しかし、ゼロではない。

少なからず「写真撮っとるわ」とは思ってしまう。「あの人、あんなとこで写真撮ってはるわ」と思ってしまう。

ってことは、僕自身どこかで写真を撮っているとき、その姿を見た第三者は「あ、あの人写真撮ってはるわ」と思われている可能性が高い。

こう考えると、恥ずかしくなる。

何が恥ずかしいって、写真を撮るときのわざわざ感だ。その瞬間していたことを一旦中断して、写真を撮るためだけにスマホをわざわざ取り出して、アプリをわざわざ起動させて、わざわざピントを合わせて、パシャリ。あの一連のめんどくさい動作。めんどくさいのに、わざわざやってる感が恥ずかしい。

うすうす0.1mmの「わざわざ写真撮る必要ある?」がいまだに拭いされない。

平日仕事帰りに自分の目にとらえた何気ない夕日を撮ろうとしているのに、やってることは、全然何気なくない矛盾感がある。

していることを一旦中断するってのが、全然何気なくない。わざわざ写真撮るために全行動をとってるところが、何気なさのかけらも感じられない。

この恥ずかしさ、わかってくれる人いますか?

だから、スマホで写真撮るとき、1番恥ずかしいって思うのは、何気ない日常を醸し出した写真を撮る行為の気がするんです。

特別感のあるインスタ映えとか、旅行の写真は、もはや写真を撮る場面だと思うから恥ずかしくない。

けど、日常のちょっとした出来事感というか、vlog感のある写真、日常何気ない系の写真をsnsで見たとき、この写真を撮るためにわざわざ立ち止まったんだろうな。

とか考えてしまうと、もう恥ずかしいなぁと思ってしまうのです。


・こぼれ話

けど、撮っちゃうよね。日常あるあるを共有したいのは、一般人あるあるだし、有名人の日常を覗き見するだけで距離が縮まる感覚あるもんね。自分自身、今この瞬間の日常の何気なさを写真にしたいって思うときあるんですけど、スマホに写って撮ろうとした瞬間萎えるんですよね。目に映っているのは日常のなんかいい景色なのに、スマホに写った瞬間それは全然日常ではなくて、どちらかというと非日常に見えるみたいな。だから、日常で出会った本当に好きな景色は、写真ではなく、五感で感じたことを忘れないように脳の記憶に落とし込んだ方がいい。みたいなw。これ、誰か共感してくれる人います?w


この記事が参加している募集

最後までお読みいただき、ありがとうございます!サポートしていただいたお金はビールかスーパーカップかおむつ代に使わせていただきます。 これからもゆるく頑張らせていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。