見出し画像

見ているものと見えているもの


これを読んでいるあなたは今何を見ているでしょうか?

「お前さんの文を読んどるよ」

というお言葉、ありがたく受け取っておきます。


それはつまり、逆に言えば

この文章以外は目に入っていないことになります。

スマホで見ているのかパソコンで見ているのか

それはわかりませんが、その周りにあるものを

はっきりと捉えられてはいないと思います。


そして、この文章は僕が伝えたいように

あなたに伝わっているかは分かりません。

それは、あなたがこの文章に対してどのような解釈をするのか

僕には全く分からないからです。



見ているものと見えているものは違います。

どちらかは意識しているもので、どちらかは視界に入っているものです。

またさらに段階があり、

今度は意識してみているものをどのように解釈するか

ということが問題となってきます。



ん?と思った方。

冒頭の例では僕の言わんとしていることがわかりにくいので、

ちょっとこの感覚を体験していただきます。

まずは、今いる環境で『赤いもの』を探してその数を数えてください。





『赤いもの』見つかりましたか?





ではここで問題です。

周りを見ずに、その環境にある『青いもの』の数を答えてください。






おそらく多くの人は0もしくは1つくらいではないかと思います。

もしかしたら2~3つ見つけたよという場合もあるかもしれません。

しかし、『赤いもの』を探していたことにより、『青いもの』に

意識が向いているということは基本なかったと思います。

これこそが


見ているものと見えているもの


の違いとなるわけです。

また、最初の『赤いもの』というのもどこまでを赤にするのか

というのは人によって変わってきます。

同じものを見ていても、

「これはちょっとオレンジすぎかな?」

「これは茶色っぽけどほぼ赤でしょ」

という意見が出てくるのは自然なことです。

これが見ているものに対する解釈の違いです。



これは、幸せに生きることとも深くかかわってきます。

いかに自分が幸せであるかを見るか

いかに自分が不幸であるかを見るか



そして、

何を幸せとして

何を不幸とするか



つまるところそれが幸せに生きるための要の部分となるわけです。

人の幸せとは、脳に強制的にそうさせるようなもの(麻薬とか)以外の

精神的な幸せについては、この2つによって説明がつきます。

幸せは自分で決められるわけですね。



そうはいっても

「自分は不幸だ・・・」

と思っている人もいます。



それはそれでも全然いいのです。

不幸でいることが悪いわけではないですからね~。

変にこうでなきゃああでなきゃと

自分を縛り付けてしまう方が大変です。

ただ、見方を変えることで別のものが見えるということを知っておくと

少し気が楽になるのではないかと思います。


というわけで、また気が向いたら書きます。

多分一週間以内。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?