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葬送のフリーレン「くだらない」の中にある哲学〜星野源「くだらないの中に」と比較して〜

皆さま、こんにちは。

ここ最近、わたくし、youjiaはアニメ「葬送のフリーレン」に熱を上げており、父親は熱を出してしまいました。心配です。
心配してくださった貴方、ありがとう。父は無事です。同窓会には、行けません。




葬送のフリーレン、皆さま、ご覧になっていますか。
本当に素晴らしいアニメです。
何が素晴らしいって、物語の面白さ、描画の緻密さは勿論ですが、何より、人間の哲学が織り込んであるのです。

星野源の哲学と「葬送のフリーレン」の共通点

星野源氏を敬愛する私は、この作品を見て、楽曲「くだらないの中に」を連想して仕方がありません。(ファンなので源ちゃんって呼びたいところですが、以下星野さんで進みます。源ちゃん…)
きっと、この作品の哲学って、星野さんの哲学に近いのではないでしょうか。

星野さんの哲学については、一言では言い切れませんが、本稿で照らしたい面は「日常における愛の抽出と描写」です。
「くだらないの中に」は、普通の生活の中に織り込まれた、愛が感じられるような場面を、五感を巧みに使って抽出・描写されています。それはもはや変態的、とも、婉曲に愛を伝える耽美な曲、そう説明がつくのではないでしょうか。

個人の感覚的には、耽美派の小説家 谷崎潤一郎を読んでいる時に感じる、あの見え隠れするエロティックに近い覚えがあります。

台詞「くだらない」の中に

幾度となく、アニメ「葬送のフリーレン」作中でも登場する「くだらない」という台詞。先の楽曲の題名にもある「くだらない」という概念は、この物語の根幹を担っていると考察します。
その台詞の多くは、特に、お花畑を生み出す魔法や、勇者ヒンメルの行動を形容する時に、登場人物によって生まれます。どちらも結果主義の思考では不必要で、「なんでそんなことをする必要があるの?」と言外に含んでいるのが感じられる描写です。

お花畑を生み出したところで、敵は倒せない。
困っている身近な人を助けたって、魔王を倒すのには関わりがない。
みなで楽しく食卓を囲ったって、魔王軍壊滅には手がかからない。

本当にそうですよね。
遠回り、無意味、そう捉えられても仕方がありません。
仕事場なら、上司に白い目で見られること、確定です。その場合は、白目を剥いておくことをお勧めします。その際、見られないよう十分周囲を警戒してください。

けれど、私がその時、猛烈に感じたこと。
それは、「くだらない」の中の「くだらなくなさ」を感じられて良かった、という強烈な安心感でした。
それはまるで、機械と人間の違いを、確信したかのよう。
だって、先ほど挙げた「くだらない」どんな場面にも、だれかの愛が感じられるのです。親子愛、師弟愛、異性愛、友愛、隣人愛。どんな愛の形であれ。

どの行動も、気づかなければ分からない。
言葉で伝えているわけではないから、伝わらない。
けれど、ふと思い返したとき、気づいたとき、きっとそれは訴えかけてくるはず。その行動が、密やかに、それでいて全力で、愛を象徴することを。

ここに、はっきりとものを言わない日本語から生じる特性、「ハイコンテクストカルチャー」(言語以外のあらゆる表現、文脈に基づいて行うコミュニケーション)の利点・美学が見え隠れしますね。
まるで、昭和の頑固親父のようです。
尚、筆者は平成生まれです。解釈、違いましたら、すみません。


楽曲「くだらないの中に」

そもそも、星野さんはどういった思いを抱えて作詞・作曲、
特に作詞をしたのでしょう。

“ラブソング”っていう言葉の響きが恥ずかしかった(笑)。自分では、そんなつもりで作った曲じゃなかったし。前から「愛してる」って言葉は、滑稽でおこがましいと思ってたんです。「僕は“愛”をしてるんだよ」って歌うのって、ものすごく偉そうな気がするんです。愛はするものじゃなくて、そこに「ある」かどうかだと思うから。だから、嫌いだった。なので、「愛してる」と言わないで、そういう気持ちを伝えられたらいいなって、ずっと思ってはいました。

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本当に面白い視点です。「"愛"をしてる」、おもしろい。

星野さんのなかで、愛は、存在する現象、空間的な認識、と仮定します。断定はしません。批判が怖いです。
そうであれば、その空間の構成員で、主観的存在であるひとりが、「"愛"してる」と客観的な現象を述べるのは、憚れるということでしょうか。
言うなれば、天を仰ぎ、「あ、俺、愛、しちゃってるジャ〜ン」と言っているような印象がある、というべきでしょうか。

解釈、あっていたら、いいな。

星野さんの場合、ことばを紡ぐことで、愛を表現しています。
「葬送のフリーレン」は、愛を孕むことばや行動を紡ぎ、キャラクターや読者・視聴者は、隠された愛を探し出すことを要求されます。
その意味だと、順番が逆、ですね。逆、だなあ。面白いなあ。


下記に当該楽曲の歌詞をお載せしています。
どんな行動をして、そこに愛が隠れていること。
芸術的なまでに隠匿され、「愛」の存在をを示唆する行動。
どうか、感じてみてください。

髪の毛の匂いを嗅ぎあって くさいなあってふざけあったり

くだらないの中に愛が 人は笑うように生きる


魔法がないと不便だよな マンガみたいに

日々の恨み 日々の妬み 君が笑えば解決することばかり


首筋の匂いがパンのよう すごいなあって讃えあったり

くだらないの中に愛が 人は笑うように生きる



希望がないと不便だよな マンガみたいに

日々の嫉み とどのつまり 僕が笑えば解決することばかりさ



流行に呑まれ人は進む 周りに呑まれ街はゆく

僕は時代のものじゃなくて あなたのものになりたいんだ



心が割れる音聴きあって ばかだなあって泣かせあったり

つけた傷の向こう側 人は笑うように



髪の毛の匂いを嗅ぎあって くさいなあってふざけあったり

くだらないの中に愛が 人は笑うように生きる

人は笑うように生きる

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最後に

「くだらないの中に」過去のインタビューには、星野さんよりメッセージがありました。

♪僕は時代のものじゃなくて あなたのものになりたいんだ♪っていう歌詞には、
“僕の歌は、あなたのものになりたいんです”っていう気持ちも入ってて。
これを聴いた人には「星野の歌だ」じゃなくて、「自分の歌だ」って思ってもらいたいんです。「くだらないの中に」を、そういうふうに聴いてもらってもいいなと思ってます。

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「くだらないの中に」を言い換えると、「日常の中に」となるのではないでしょうか。
日常に溶け込んでいて、意味がないように感じられる行動も、
ひとつとってよく目を凝らすと、愛が隠されていることがわかりました。


勇者一行の旅路にまかれた「くだらない」「日常」における行動などから、
隠された愛情、そうでなくとも、意図や感情を読み取ろうと努めるフリーレンの姿は、切なくもあり、愛おしいものです。

フリーレンは「ローコンテクストカルチャー」(言語に基づいて行うコミュニケーション)の思考を自然に備える人物なんでしょうか。
秘書仕事、圧倒的に向いてなさそうです。現代日本へ異世界転生した暁には、頑張ってほしいところです。

正直、わたくし、youjiaも、人の感情を言語化して欲しいと思ってしまう性です。しかし、星野源、葬送のフリーレン、そして、そのふたつの要素を取り上げた今回の記事を通し、ハイコンテクストカルチャーの美しさを知りました。

フリーレン、一緒に頑張ろうね。





どうぞ、よしなに


youjia


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