先輩の姿は永遠に後輩の目標になる!彼のメッセージを受け取った後輩は羨ましな~と思います
僕には、「パラリンピック」という障がいのある人の世界大会へ、日本代表として出場(パラリピアン)した5人の知人がいます。
今回は、ボッチャ競技で日本代表選手であった人を紹介します。
初めてお会いした(見たことがあった)のは、以前車いすツインバスケットボールの試合をたまたま観戦していたときです。
彼は、体を思うように動かしにくい障がい(おそらく脳性麻痺)のようで、片方に2つのハンドリムがある?(片手で容易にまっすぐ進む)特殊な車いすを器用に操っていたのを覚えています。
ただ、左右にリムがある車いすよりもスピードが出せないようで、ボールになかなか絡めずにコートを右往左往するのが精一杯のように見受けられました。
再びお会いしたのは、それから数年後、僕が障害者スポーツ指導員の資格を所得した20代のころです。
(できるだけ多くの障害者スポーツを体験することは指導員としてプラスになるはずだ!)
当時は自分が取り組んでいた車いすマラソン(陸上競技の1種目)しか詳しく知らなかった僕は、そう思って各障害者スポーツの練習会場に足を運んで体験させてもらっていました。
「ここにいる選手はね、実はみんな40代なんだよ」
「え~!てっきり僕くらいなんだろうと思っていました…」
発足して間もなかったボッチャのチームが練習している会場では、先輩指導員がゲームの説明や練習方法などをレクチャーする中、40代とは思えないほど動きや風貌が若々しい選手のみなさんが熱心に話を聞いていました。
「あれ?あの選手…ツインの大会で見たことがあるんですが、勘違いかな?」
「いや、数年前にツインからボッチャ競技へ転向したんだよ」
「そうだったんですか~」
彼はツインの時に乗っていた(自走が必要な)特殊な車いすではなく、バッテリーを乗せた電動車いす(電動アシスト自転車のようなもの?)を操っていました。
ボッチャは、ツインのように動きが激しくありませんし、狙ったところにボールを寄せる(止める)ことが出来る技術が他の選手よりずば抜けていた彼はメキメキと頭角を現していき、晴れて日本代表選手に選出されます。
パラリンピックから凱旋帰国後、彼は母校に立ち寄って、後輩に当たる障がいのある人へメッセージを伝えたそうです。(彼は養護学校の卒業生らしいです)
そのメッセージがどんなものであったのかはわかりませんが、先輩の姿は永遠に後輩の目標になることは間違いないと思います。
いかがでしたか?
今回送った「僕からの手紙」が、何らかの形で、みなさんのプラスになれたら、とても光栄です!😊
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できましたら、これからもたくさん手紙を送りますので、どうか目を通してほしいです。🙇
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