障がいのある人を理解しましょう!って言われてもさ~やっぱ…わからんわな~
巷で、よく「障がいのある人を理解しましょう!」という言葉を聞くのですが、今回はこのことに関する僕の意見になります。
学生の頃の話
特殊学級というのか?学校には来るのですが、僕らと一緒に勉強せずに別教室で過ごす生徒たちがいました。
その中に、他人から強くお願いをされたら、どんなことでも「はい!」と声を出してから実行に移してしまう生徒がいるらしいと、ちょっとした噂になっていたのですが、確かめてみたくてもなかなか会う機会がありません。
先生には、その教室には無断で行ってははいけないと言われていたのですが、どうしても確かめたかった僕らは、そこへ行ってしまいます。
そこで、僕らはこんなお願いをします。
「ね~●●●●見せて!」
すると噂通り…「はい|」と言いながら服(下着)を脱いでしまって●●●●が丸見え!おまけに、「年齢相応ではない立派でビックな●●●●」
…
「すげ~~~」
僕らは口々にそう言いながら見つめたまま固まってしまいます。
それ以降は、面白がって毎日のように会いに行っては●●●●を見せてもらっていました。
※そして、何度目だったのかは忘れてしまいましたが、とうとう先生に見つかつてしまった僕らは、こっぴどく叱られます…
これも学生の頃の話
しゃべり方が少し変わった生徒と一緒に授業を受けたときのことです。みんなが先生の話に耳を傾けているときに、突然「あらっ!」とか「わ~~」とか声に出してしまったり、手を上げて質問があると起立したまでは良かったのですが、「えっと・・・・・」・「あ、か、か、か・・・・・」という感じでなかなか発声が出来ません。
静まりかえった授業中ですから、いつも以上に声が響き渡ることもあって、クラス中の生徒に笑われてしまいます。(もちろん僕も)
それ以降、友人が、そのときの「ものまね」をするようになるのですが、僕は注意することはなく、一緒になってゲラゲラと笑っていました。
障がいのある人を、どのように見ていますか?
障がいのある人に対して、以下のように見てしまう人は少なくないと思います。
「かわいそう」
「気持ち悪い!」
「汚い!」
「あんなふうになりたくない」
「なにあれ…みつともない|」
「俺も変わっていると言われるけど、あれよりはマシ」
「ま~自分とは関係ない」
「同じ人間と言うよりは、何か別の生き物に見える」
…
それではいけないんだという社会の動きはあります。
同じ人間なんだから、理解をして共に生きていこうよ!
そう言われて、どう思いますか?
そんなこと言われても…ね~
そう思ったりしません?
僕の考えです
今の僕ならば、もっともな意見だとは思います。生まれつきや生存中の事故や病気によって、体や心に何らかの障がいを抱えてしまい、見た目や行動や空気が何か違ったとしても、同じ人間なのは変わりがなく、わかり合える部分はきっと見つかる。そうすれば、先ほど書いたような目線は出来なくなるはずですから!
ただ、健常だった学生ころの僕は上記したように、理解なんてほど遠い、面白がって自分とは別物だと平気で思っていたわけです。
そのことを実際に経験しなければ、本当の理解は難しいのかもしれませんから、理解するための一番の方法は、同じ障がいを持つことだとは思います。
ですが、それは現実的ではない…
じゃ~どうすれば理解できるのか?
たぶんですが…
僕は、自身が車いすマン(障がいのある人)になって、知的に障がいのある人や、吃音で苦しむ人と出会い、同じ時間を過ごす中で、彼らの思いを感じることが出来るようになって、これまでの自分が抱いていた感情や見方や行動が、どれだけ相手を傷つけていたのかがわかりました。
ですから、そのおかげで今のような考え方が出来るようになったことから…
ある程度の時間を共に過ごすことが大事なのではないかと思います。
…
ここでまた問題!
ただ闇雲に、「障がいのある人を理解しましょう!」と言うよりは有効な手段だとは思うのですが、「障がいのある人と、ある程度の時間を共に過ごす」と言うのも、そんなに簡単ではない気がしてきました…
やれやれです…
いかがでしたか?
今回送った「僕からの手紙」が、何らかの形で、みなさんのプラスになれたら、とても光栄です!これからも、たくさん手紙を送りますので、どうか目を通してほしいです。
また、スキを押してもらったっり、コメントを書いてくれたり、フォローをしてもらえたら…僕にとって励みになりますので、どうかよろしくお願いします。
僕が書くすべての記事(手紙)は、長い時間かけて継続して書いてきた記録や、そうでなかれば得られないであろう考え方や貴重な体験を基にしています。いただいたサポートは、その評価だと捉えさせていただき、それを糧に今後も多くの記事を書いていきますので、どうかよろしくお願いします。