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障害者スポーツの父を知っていますか?


みなさんは、障害者スポーツをご存知ですか?

僕は、車いすマラソンなど多くの障害者スポーツに取り組めたおかげで、ここまでくることができたと思っています。

ですから、その恩返しの気持ちもあって、障害者スポーツ指導員の資格を取得して、(体調が思わしくなくなるまでは…)練習会場や大会へ微力ながら足を運んでいました。

そんな障害者スポーツ指導員の資格を取得して活動を始めたころに出会った…というか存在を知った人のことを、今回は書きたいと思います。

その人は中村 裕(なかむらゆたか)…おお〜と!呼び捨てにするのは「おこがましい」ので以降は先生と表記しますね。。

先生は、大分県別府市の病院に勤務していた整形外科医です。


先生は「日本のグットマン」とも称されていました!
先生は「日本のグットマン」とも称されていました!

研修で訪れたドイツの病院で、たまたま入院患者さんが車いすバスケットボールを楽しんでいる光景を目にするのですが、そのときに研修先の医師であったグッドマン先生から、以下のようなことを言われます。

「あれは脊髄損傷で車いすが必要になった患者さんに対する体力やコミュニケーション能力を高める治療の一つで、ここを退院した後は多くが社会参加(就労や家庭を持つなど)することになるんだ」

先生はそれを聞いて唖然とします。

当時の日本は、医学的に治療ができたのに、残念ながら障がいを持つ(車いすが必要になる)ことになった人へ対しての社会的基盤が整っていませんでした。

そのため、退院した患者さんの大半は、外出すら困難であり、一生自宅で隠れるようにして過ごしていたそうです。(座敷牢のような状態)

研修が終わって帰国した先生は、「スポーツを治療に用いること(リハビリテーションスポーツ)・障がいのある人が治療の域を超えて趣味や余暇活動としてスポーツを取り入れること」を日本に伝えます。

これが、「障害者スポーツの父と言われる所以」です!

しかしながら、依然として障がいのある人が社会参加するための基盤は整っていきません。そこで先生は、「太陽の家」という障がいのある人が働くことのできる就労施設を作ります。

「これからも、病気や事故などが原因となって、体や心に障がいを抱える人は出てくるかもしれないが、仕事をする上でそれが弊害となってはならない。そのためには障がいがあっても仕事がきちんとできるんだと言うことを社会に認めてもらう必要がある。だから、失った機能を数えるのではなく今ある機能を最大限に活かして、ここ(太陽の家)で一生懸命働こう!そして、健常な人と同じく国に税金を納めよう!そうすればきっと社会は変わっていくから…」

先生がこの世を去って、おそらく30~40年ほどになると思うのですが、今では国内に多くの障害者スポーツが存在し、障がいのある当人が興味あるものを選択して取り組めるようになりましたし、就労や家庭を持つことも決して珍しいことではなくなっています。

このような社会的基盤を築くには、僕がいくら一人で頑張っても到底できないなこと…先生や障がいのある諸先輩方が一丸となって力を注いでくれたおかげです。それを忘れないで、今後も精一杯頑張っていきたいです。


先生方のおかげで今があるよ~!
先生方のおかげで今があるよ~!

いかがでしたか?

今回送った「僕からの手紙」が、何らかの形で、みなさんのプラスになれたら、とても光栄です!これからも、たくさん手紙を送りますので、どうか目を通してほしいです。

また、スキを押してもらったっり、コメントを書いてくれたり、フォローをしてもらえたら…僕にとって励みになりますので、どうかよろしくお願いします。

僕が書くすべての記事(手紙)は、長い時間かけて継続して書いてきた記録や、そうでなかれば得られないであろう考え方や貴重な体験を基にしています。いただいたサポートは、その評価だと捉えさせていただき、それを糧に今後も多くの記事を書いていきますので、どうかよろしくお願いします。