彷徨える自分.

素敵な大学生のお話。

人生の生き方、自分のあり方はどの世代においても、節目節目で迷うものなのかもしれない…

そんな各世代が偶然居合せた一室で、それぞれが答えを得ようと対話しながら、もがいた話。

大学生ときたら、当然のごとく来たるシーズンのようにシューカツをして、就職をする。

もし就職浪人しても、院に進んで、次なる行手を一先ずは安心して見定める事ができる。

そのどれもを選択せず、肩書きを欲しがっている大学生がいた。

わたしは不思議がって、その不足感や不安感に似たような叫びで欲してる様子を伺っていた.

今後の人生のあり方を、何か忘れてはいけない大切な指針がある. と、何か話すひっかかりが欲しいな、と心に引っ掛けたまま、ネットをポチポチと、見ていて、一つのnote記事が投稿に上がっていたので、読んでいたら、これだ!と本人にシェアしたのである。

すると、本人から、
「肩書きを欲してた自分が、肩書きや世間体で人を見るところでした。」
と、自分でその文を読み、対峙し、答えを得て、思ってもみなかったうれしい答えが返ってきた。

全部を言ってはないが、そこまで自分が気付き、私が意図しなかった答えまで深く行き着いた彼は、やっぱり考える力があるし、伸びしろがある。

葛藤さえ、答えに行き着く為の大事な過程ではあるし、そこをすっ飛ばしては答えの大事さや深みは分からないのである。

何が豊かか、やはり出会いの喜び、時間を愉しむ悦びであろう。

お金だけ持ってたって一体何なんだというのだろうか.

お金を前に人間は跪いてしまうものなのだろうか?

人間の起源よりお金の起源の方が遅いはず。

お金を持ってたとしても、その受け渡しには心も介していてほしい。人間が持つものならば。

でないならば、持たざるものの方が心の健康には遥かにいいのではないのだろうか?
と、理想じみた事を言ってみる。

まずは心から。

あなたが使った時間、お金は、あなたの何になってるの?

あなたは誰なの?

ーきっとそれを知りたい。



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