見出し画像

映画『マチネの終わりに』で蒔野はなぜスランプを脱せたのか

このノートには映画『マチネの終わりに』のネタバレを含みます。
閲覧にはお気をつけください。

映画『マチネの終わりに』は、映像、音楽、主演2人の美しさにとにかく魅了されてしまい、久しぶりに邦画を観て「良かった」と思える作品だった。

本作はとにかく説明しすぎず、台詞や行動の節々からしっかりと人物の感情や背景を想像させる作りになっている。その絶妙な塩梅が観客をストーリーへと引き込み、魅了するのではないだろうか。何度も味わいたくなる本当に素晴らしい作品だ。

ただ、1回目の鑑賞時には蒔野がなぜスランプを脱せたのか、襲いくる無音になぜ打ち勝つことができたのかがわからず、再び劇場に足を運び2度目の鑑賞で一つの答えにたどり着いた。順を追って解き明かしていこうと思う。

蒔野という人物

まずは蒔野聡史という人物を知る必要がある。

映画冒頭、小峰洋子に一目惚れした蒔野は「実は舞台の上からお誘いしていたんです」と恥ずかしげもなく言う。すると蒔野と付き合いが長いであろうレコード会社の女性が、「お得意の口説き文句は通用しませんよ」と茶化す。このやりとりから、蒔野という人物が日頃から女性に囲まれ、短期的な付き合いを繰り返していることが想像できる。ようはチャラい男である。

そして、もう一つ蒔野という人物を知るためのやりとりがある。それは恩師・祖父江とのマドリードでの演奏会前、洋子とする食事での会話だ。洋子はパリのテロ事件で同僚を失い、心に傷を負っていたが、蒔野のクラシックギターを聴くことで救われたと話す。これに対して蒔野は、洋子の言葉に喜びながらも「誰かを救おうなんて思って弾いていないから」と少し困惑する様子も見せる。

これら2つのシーンから、蒔野という人物が本気で他者を想う(愛する)ことがない、もしくはそういう感覚を忘れている人物。そして、それゆえに「誰かのため」にギターを弾くことがない人物であることがわかる。彼は誰でもない、自分のために弾いている。

そして、そんな蒔野を洋子との出会いが変えていく。

襲いくる無音の恐怖

劇中で蒔野がギターを演奏するシーンは以下の5つ。
・冒頭のコンサート
・マドリードでのコンサート
・洋子とジャリーラのために弾く
・恩師 祖父江の追悼アルバムレコーディング
・洋子に届くことを願い演奏したクライマックスのコンサート

この内、冒頭とマドリードでのコンサートでは、無音に襲われる蒔野が描かれるが、それ以外の演奏ではその演出はない。2つのコンサートとそれ以外との違いは何かを考えると、蒔野がスランプを脱した理由が見えてくる。

蒔野はどうスランプを脱したのか

無音に襲われなかった3つの演奏シーンに共通していることは「誰かを想い」演奏しているということ。

同僚の死から立ち直れず無茶をするジャリーラと、それを諌めようと苛立つ洋子、2人を笑顔にするための演奏。

恩師である祖父江が闘病の末死亡し、その娘から祖父江の想いを聞かされた蒔野は、追悼アルバムへの参加を決意する。そこには「恩師を想う」気持ちはもちろんだが、洋子に届いて欲しいという想いも垣間見える。

そしてラスト、2回目のデビューコンサート。最後の曲が終わり挨拶をする蒔野。洋子が来ていることを知らない蒔野は、この演奏が大切な友人(洋子)に届いて欲しいと話すが、その直後に客席に座る洋子を見つけて予定にない「幸福の硬貨」を演奏する。挨拶の内容からコンサート中は終始「洋子を想い」演奏していたことがわかる。

無音に襲われない3つの演奏は、そのどれもが誰かを想い、誰かのために弾いている。映画前半でスランプに陥っていた蒔野と、それを克服した蒔野との大きな違いはそこだ。これこそが、蒔野がスランプを脱することができた理由だろう。そして、それ故にこの映画は、蒔野と洋子の2人にとっては決して幸せな結末にはならないことも示唆している。

蒔野は「幸福の硬貨」で何を買うのか

2度目のデビューコンサートを終えた蒔野は、昼の公園を散歩する。洋子に会えるかもしれないという期待があることは間違いないだろう。もちろん、洋子も同じ考えだ。噴水を挟んで対角に歩く2人を俯瞰で眺めるカメラ。この時、2人の間にある噴水は綺麗な円形をしている。まるで、2人が再開するという幸福を象徴する硬貨のように。

そして噴水の前で2人は再開し、映画は幕を閉じる。誰もが、2人はこのあとどうなるのだろうと想いを巡らせるだろう。しかし、6年の月日を経て誰かのために生きるという変化を遂げた蒔野にとって、洋子と添い遂げるという選択肢はおそらくない。 

今、蒔野にとって、1番大切なのは娘だろう。それはスマホの待ち受け画面が物語っている。早苗から過去の過ちを告白され怒りに震えたが、最後の一歩を踏み出せずコップを割れなかったのも、娘という存在があったからだろう。彼は、早苗の告白を飲み込み娘を想い生きる。そこに洋子との生活はない。

蒔野は手にした「幸福の硬貨」で、洋子との最後の時間、別れの時間を過ごすのだろう。それは洋子にとっては残酷な時間かもしれないが、それによってあの日が、早苗によってふたりの運命が大きくもつれたあの日の記憶が、未来によって書き換えられていく。きっと2人はワインでも飲みながら、ここ数年間の出来事を話すのだろう。その僅かばかりの時間は、未来によって書き換えられることなく、幸せなひと時として記憶に残り続けることを願うばかりだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?