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面白庭小噺(腕時計)

 あなたは“プロ執事”をご存知か。執事というのがそもそもプロフェッショナルの仕事ではないかという疑問、そのとおり。ではなぜわざわざ“プロ”なのか。それは私が特定の家や人に仕える執事ではなく、その時々必要に合わせて依頼を受けて務める執事、今風に言えばフリーランスの執事であるからだ。そこでは人柄よりも仕事の精度が重要になってくる。人間関係が希薄にならざるを得ない中で甘えやミスは致命的である。

 だからこそ依頼人の、ご主人の要求は絶対だ。私には長年のキャリアで果たせなかった要求は一つとしてない。それが誇りなのだ。だがしかし、今異国の姫を前にして私は動揺し自信を打ち崩されようとしている。彼女はその名にそぐわず尊大な態度を取り、いじめられるというよりいじめる側の御仁である。私は彼女の国の言葉で語りかける。

「シンデレラ姫、そんなに辛辣にされますと出来ることも出来なくなるというものです。彼を解放して下さいませんか」

「ふん、サラリーマンに命令されるなんて気に食わないわね。でもいいわ、こうしてるのも飽きたし」

 私の部下が呻き声をあげて私の前に転がる。十五分間足蹴にされた彼を日本語で労り私は姫に頭を下げた。

「ありがとうございます。彼もこれで捜索に加わることが出来るでしょう。それではもう一度かの御仁の特徴について教えていただけませんか」

 何度言わせるのだと憤慨しながら、姫は数時間前にここで遭遇した“愛しの君”の話を潤んだ目で語った。そこはさすがに現代に生きる絶世の美女、還暦を迎え数年となる私もぐっと引き込まれてしまう。キスまでしたというその男に嫉妬すら感じるものの、仕事は仕事だ。私は手掛りを引き出そうと質問を繰り返した。

「だから何度言ったら分かるの。日本人はもっと頭のいい人々だと思っていたわ。それともあなた方が特別頭が固い人たちなのかしら。いい?覚えている特徴は一つだけ。この腕時計をしていたの。それ以外は……覚えていないわ」

 彼女はその男が忘れていったという腕時計を私に差し出し早く見つけろときつく催促した。そして自身は涼しい木陰でメイドにうちわを扇がせる。こちらは砂浜の上、日差しがじりじりと肌を焼いていく。私は彼女への不満が表情に出ないよう微笑みの裏で歯を食いしばる。もう既に捜索は始めているのだ。しかし、状況は芳しくなかった。というのも、手掛りが腕時計の一つしかないからで、この町の人々に片っ端から「腕時計を失くしていないか」と尋ねていては時間が不足してしまう。

「さきほどはありがとうございました。いくら相手が絶世の美女とはいえ、ああいう趣味は僕にはないので」

 悩んでいるところに足蹴にされていた青年がやってきて、着ている燕尾の裾が見えるほど頭を下げた。よっぽどのことがないと外さないサングラスも今は彼の手に握られている。気の毒な男ではあるが、後進を育てる義務も老いぼれにはある。私は努めて厳しく、かつ愛を込めて彼に一言。

「ご主人は極めて繊細な方であられる。それを害さず仕えるのが我々執事だ。君はまだまだ未熟だ。どんな主人にでも気に入られなければこの世界で生きていくことは難しい。……ああそうか!」

 威厳を保つはずだった私は自分の思いつきに夢中になって青年の肩に置くはずだった手を彼の右手に伸ばし、サングラスをもぎ取ってしまった。青年は気の毒に私の大声に圧倒されて肩を縮こめている。改めて彼の背中をどんと叩き(またもや困惑させたやもしれん)感謝した。

「君のお陰で手掛かりが増えた。分からんかね、日焼けの跡だよ」

 この晴天でターゲットは手首に腕時計型の生白い部分があるはずだ。逆パンダのように目の周りばかり日に焼けていない青年にも指示して捜索に当たらせた。もうこれで王手をかけたも同然だ。

 私の予想に反して手首に焼け残りがある男性はかなり多かった。特にこの時期は学生の合宿が最盛期で日に焼けた連中は数十人ではなかった。私はもはや執事という肩書をかなぐり捨て、軍隊式に彼らを整列させ一人一人挙手を求めその両手首を検閲にかけた。

 それでもなかなか姫の探し人は見つからず、私は長距離走ランナーだという男の骨ばった細い腕を睨みつけ「くそったれ」と呟いた。私はもう立派な軍人となっていた。その眼光に男は腕を下ろすが早いかそそくさと仲間の方へ走っていった。日は沈みかけ、青年たちにはお似合いの青春の一コマとやらになっている。私は砂をかぶって白くなっていたベレー帽をはたき、執事生活最初で最悪の失敗を受け入れようと頭を整理し始めていた。ああ、これで「無敗の男」の称号も今日きりなのだ。

 一台の軽トラが砂浜に乗り込んできた。止まるが早いかドアが開き麦わら帽子をかぶった男が下を見てうろうろと歩き始めた。腰が曲がってよろよろした歩き方、男というのは適当ではない、老人、しかも私より上の世代だろう。私はこれより来たるかの老人と同じ寂しい日々を思ってため息をついた。すがる功績もなくなった今、自分が引退する日は遠くないと急に老けた心持ちに私はなっていた。

「ジョージ!ああ、なんてこと。またあなたに会えるなんて。でもよかった。あなた腕時計忘れていったのよ」

 話せないと思っていた日本語を叫び、生涯走ったことはないように思える細く白い脚を猛然と回転させて姫は、シンデレラはその老人の元へ向かい、たどり着くやいなや首に手を回し何度もその頬に接吻した。驚いて声も出せなかったが、軍隊の反復行動は過たず私の視線をその“ジョージ”とやらの右手に向けさせ白く焼け残りがあることを確かめさせた。

「おお、シンデラレさんかね。今朝はどうも。わたくし、恥ずかしながら腕時計を失くしてしまいましてな、探しに来たんですけれど。おお、そうじゃ。その黒いボロっちいやつですわい。ああ良かった。これは孫からのプレゼントでしてな。いらなくなった“お上がり”ってことなんですが。そんなこと初めてでしてわしの唯一の宝物なんですじゃ。どうも、どうもありがとうございます」

 散々迷惑をかけさせられたこの老人に一言二言文句を言ってやろうと考えていた私も、彼のほっとした顔、心底うれしそうな顔を見てそんな気は失せてしまった。ぺこぺこと姫と私たちに頭を下げるよく日に焼けたこの男に私は毒気を抜かれたのだ。

 浜本譲二、七十五歳のこの男が語る波乱万丈の人生を聞いてシンデレラは彼を第三の祖父と思ったのだそうだ。明日もう一度ここで会う約束をしていたのに急なスケジュール変更でそれが叶わなくなった。だから我々に探させたのだという。彼が落としていった腕時計を手掛かりに。だが一つ合点がいかなかった。

「日本語かお分かりになるのでしたら始めから浜本氏の名前を明かしていただければこんなに時間はかからなかったと思うのですが」

 ジョージと念願の再会を果たし、これから木陰の下で彼と夕食をとろうとする姫を呼び止め、私はそう聞かずにはいられなかった。シンデレラは一瞬顔をしかめたものの、機嫌が良かったからだろう、一言答えた。

「運命的な出会いのほうが素敵でしょ」

 私は微笑み一礼した後、思い切り助走をつけて振りかぶり、ベレー帽を海に放り投げてやった。
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この執事さんはまだまだ引退しませんね。たぶん。

※小噺はひとつのマガジンにまとめていこうと思っていますのでよろしければご利用ください。

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