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面白庭小噺(トランプ)

「諸君、おはよう。今日の気分はどうかね」

 私には大変愉快な同僚がいる。今日も彼女はすこぶる調子が良いようだ。純黒のショートカットをかきあげて、生革のジャケットを片方の肩に引っ掛け堂々と職場に足を踏み入れる。もちろん始業時間から半刻は過ぎている。いつものことだ、誰も彼女に注意したりはしない。そしてなんといっても今日彼女の“スタイル”はとびきりのやつだからだ。

「菅原、あのプロジェクトの進捗状況を説明したまえ」

 田中はどしりと私の席に座ると足を組み顎に右手の親指中指を添え、私を見上げた。私は仕方なく手近な席に座り、彼女に現在進行中の新企画について説明した。カードの壁すり抜けマジックを誰でも簡単に出来るように設計した手品用トランプの開発である。
 この商品の売りは一枚のみならず三枚まで同時に貫通させることが出来る点だ。どうやってそれが可能なのか、というのは企業秘密だが、たとえそれを明かしたところで我々の二番煎じに過ぎない。小さな会社ではあっても技術力で他社に負けない自信があり、常に先んじることが出来ると思っている。

「素晴らしい。素晴らしいぞ菅原くん。うん、君はそのまま仕事を続けたまえ。いや、それにしてもトランプというのがなおいいな」

 彼女がトランプに反応するのは当然のことだ。彼女には毎日終業後行う“儀式”があるからだ。
 “儀式”にはデスクの引き出しに入っている多種多様な化粧用品とアクセサリー、家に保管されているという服一着一着の写真リスト、そしてよくシャッフルされたトランプが必要とされる。終業後、おもむろにそれらを取り出した彼女は同僚の誰かにトランプの束から一枚を選択させる。昨日は私がその役割を仰せつかった。

「課長、も、も、も、もし、か、か、可能なら、ここから一枚を引いて私に見せて下さいませんか。お願いします」

 黒縁メガネとグレーのカーディガン、くるぶしまで届くダークグリーンのロングスカートを着た田中は私と視線を合わせるのが恐ろしいかのように目を泳がせてそう言った。“これ”は“これ”で扱いづらいので、私はスペードの3を引き当てるべく祈った。そのときが一番まともに仕事をしてくれたからだ。

 彼女の儀式では彼女の翌日の“スタイル”を決めるのだ。赤か黒かで女性性と男性性のどちらを重視するかを、スペードなら仕事人間に、クローバーなら自由人に、ダイヤなら堅物に、ハートなら協調性に重視を置く。数字は細かな性格を決めているらしいのだが詳しいことは分からない。だが、前日に決定したこのスタイルを彼女が徹底的に踏襲することは確実だ。そして今回私が引いてしまったのが最悪のカード、ジョーカーだった。

「菅原、何をしているのかね。手が止まっているぞ。どんなに良い案も形にしなければ絵に描いた餅なのだ」

 今日の彼女は我社のCEO、スタイルらしい。なるほどこんな身なりの敏腕取締役、風なら私たちの企業雰囲気もおしゃれな上場企業のようになるかもしれない。現社長は毎日燕尾服とシルクハットを合わせてステッキをついて出社してくる前時代的マジシャン風の装いだからそれよりはずっといいだろう。だがしかし。

「どうした菅原。そんな怖い顔で私を睨んで。手を動かせと言っているだろう。それともなにか、新しい企画を思いついたのかね」

「はい、CEO。極めてクリティカルな提案、というか命令なのですが」

 田中は“命令”という言葉に眉根を寄せ顎で続けるよう促した。彼女はまだ入社二年の若手。間違った道は正してやらねばならない。私は心を鬼にして(いやきっとこれはむしろ仏の心と言っていいはずだ)彼女に告げた。

「あなたを私の友人が所属する芸能プロダクションに推薦しておきました。つまり、事実上の解雇です。役者としてあなたをやり直させる、これが我々の新しい方針です。……田中、これはお前の才能を思ってのことなんだ。さっさと荷物をまとめて二週間の休暇を楽しみたまえ」

 私は積年の恨みを込めて彼女にそう告げ、歓喜の念に拳を握りしめた。もうこれでこの女に毎日振り回されることはないのだ。

 数年後、私は娘とババ抜きをしながら彼女がお茶の間で“表裏しかない強烈個性の新進気鋭女優”として人気になっているのを知った。私は複雑な感情で彼女の活躍を受け止めた。

「お父さんの番だよ」

 このとき私が引いた札は何だったのか。みなさんならお分かりだろう。次の手で娘が私からスペードの3を引き、私は敗北した。

 人生はカードを引くくらい、時として容易に変わってしまうものなのかもしれない。私は蝶ネクタイを締め、シルクハットを片手に玄関を出た。
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 田中さんのような同僚がいても楽しいかもしれないと思います。
 ここまででなくとも人間いろんな一面を持っているものですよね。だから本当の自分って何なのだろうと悩むこともあるのですけれども。

※小噺はひとつのマガジンにまとめていこうと思っていますのでよろしければご利用ください。

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