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等式をこぼれるもの

前置き

 SNSに友人と楽しそうに写る彼女を見て、楽しそうだなと思うときと私は彼女にいろいろと背負わせてしまったのかもしれないなと思うときがある。大抵前者は私自身が好調なとき、後者は不調を感じているときである気がする。

 つまり私は自分の不調を彼女に対する負い目へと変換することで補足可能な問題へ落とし込み、そして「妹を慮る」善良な存在として再起を図ろうとしているのである、と今更ながら気づいた。そこに妹を中心においた思考はなく、私はその薄情さに我が事ながら驚きを禁じえない。意図せずとはいえ私は彼女を愛玩動物と考え続けてきたのだろうか。

妹が生まれたときのこと

 妹は私達五人兄妹の末っ子で十歳近くの年の差がある。彼女が誕生したのは両親が離婚するちょうどその頃だった。だから妹は父のことをほとんどと言っていいほど知らない。

 お昼間際だっただろうか、そのとき私は軽い空腹を感じていた。理由も理解せず私は初めて来る病院で弟とかくれんぼか何かをして遊んでいた。一階から吹き抜けになった二階のテラスは大きな窓張りで、薄い山吹色を重ねた黄色っぽい青空の下、やや霞んだ山々を望み、山を突き抜ける国道を谷にして川っぱらのように家がそれに沿って建ち並んでいるのが見えた。病院があるのはその流れが沼になった部分で、幾分凝集したような家々と病院前の公園、そして乾いたグレーの駐車場が足元までの景色を作っていた。

 祖母が選んでくれた衣服は「きっと寒いから」とフリースともこもこしたズボン。病院の暖房と遊び回って生じた体熱に加えて、差し込む陽の光が髪の毛を通してもわかるくらい温かいものだから私は祖父母にジュースをねだった。お昼時で昼食を食べれなくなることを心配して渋った祖母だが結局折れて私は弟と一緒にドリンクコーナーに向かった。

 コーラかファンタかスプライトか、汗をかきお腹が減った私はあまり飲ませてもらえない炭酸飲料を嬉々として飲みながら来た廊下を戻った。炭酸の刺激を感じどれと顔を上げた私はさっきいた場所に母が来ていると知った。久しぶりの母の姿に弟たちは「ママ」と駆け寄っていく。私も飲み物がこぼれないように気をつけながら急いで向かった。既に母は弟たちに囲まれしがみつかれもみくちゃになっている。

 そのとき私は必死にそこでの居場所を確保しようとしたと思う。それしか考えていなかったと思う。今脳裏に浮かぶ光景からは少し違うものが見える。祖父母と子供の間で妹を包んだ白い布を抱いている母は少し気怠げに目を細め幸福感からか日差しに溶けてしまいそうな希薄さがあった。そしてその中で母はこれから自分一人で五人の子供を育て上げるのだと決意を固めていたのだ。

 近寄って話しかけて、抱かせてもらった妹は思っていたより軽くてミルクと石鹸の匂いがした。甘くてほんの少し生臭い気もしたかもしれない。そのとき私は落としたらきっと死んでしまう命に手汗が吹いて自分の体に寄せることも離すこともできず、一刻も早く母の腕が伸びてきて妹を引き取ることを望んでいた。可愛さよりも怖さが勝っていた。決して弁償できない高価な壺を急に手に入れてしまったようなそんな気分。

~小学校中学年

 その後妹は大きな怪我や病気にかかることもなく元気に成長した。近所の方々には女の子であることを喜ばれ、祖母には女の子らしく育ってほしいという希望もあったようだが、なにぶん男の子が多い家庭であるから遊ぶとなれば庭でサッカー野球の類。負けず嫌いで手加減せねば大号泣。手に負えない、私たち年長者が叱られる、けろっと忘れてまたやりだす。祖母たちが考えるおしとやかとは程遠い男勝りな女の子になった。

 気分が乗れば彼女と遊んだ弟たちに対して私は積極的に妹の面倒を見た。テレビゲームを弟たちがしているさなか、その輪に入れない妹と二人でバッティングをして遊んだりしたものだ。それは彼女が妹として愛おしいというよりも年長者、そしてひとり親となった母を支えなければいけないという義務感によるものだった。そうすれば私は「さすが」と母らに褒めてもらうことができた。「優しい」「えらい」「しっかりした」子供であることを様々な人に印象づけることができた。中学生になってからはそれが好きな子に対するアピールにもなっていたと思う。妹をおんぶして町を歩いたりして。

 ここで私は手に入れた壺の使い方に気づいたということだろう。高価で壊れやすい壺は磨き大切にすることで私自身の価値を引き上げることが出来る、そう思ってからは怖さに代わり自信がむくむくと育ち始めた。弱い者を慈しみ守ることの出来る自分は世の中にとって有益な存在なのだ、と。子供の面倒見が良い私は好きなあの子にとって素敵なパートナーになれるはずである、と。

 結局私は妹を一度も大切にできていなかったのかもしれない。いつも考えるのは自分のことばかり。どうしたら誇れる自分になれるのか、どうしたらみんなに認められる自分になれるのか、そればかり気になって追求して知人のみならず肉親まで道具として扱った。友人と確信できる人が全くと言っていいほどいないのも当然の生き方をしてきたのだった。私は人を愛したことが一度もなかった。愛したふりをしてきただけなのだ。

妹と離れて

 私が大学進学で地元を離れたとき妹はまだ小学生で、最近彼女が大学進学するまでほとんど会うことがなかった。年に数度しか帰らない実家で彼女は少しずつ大人の体になって対等に話すようになった。いつもくっついてくるような子供から好きなアイドルを語り女子高生らしく友人とカフェに行ってはしゃいだり、大学生になって始めたアルバイトの愚痴をこぼすこともある。私の知らないうちに妹は一人の人間として「妹」から「大人」に変わっていた。「同志」と言ってもいいかもしれない。

 高校時代からきちんとした職につくことを志してきた彼女は現在管理栄養士となるために大学に通っている。そしてそんな彼女を「すごい」と称えると逆に彼女は私のことを励ましてくれるのだ。作家という特殊な職業につこうとする私を見て資格を取ろうと道を決めた彼女が「すごいじゃない」と言うのである。そんなとき私は彼女に背負わせてしまったと感じるのだ。自由を奪ってしまったのではないかと思うのだ。

 人を愛すること、友達を大切にすること、家族を心配させないこと、彼女は見事に私の逆を生きている。それはいくらかの不自由さと荷を背負うことだ。でもよく考えれば良い人生ではないか。私は反面教師として立派に役立ったということなのかもしれない。期せずして、偶然という形で私は愛することなく彼女を愛したような行動をとれたということなのかもしれない。そう思えば少しは救われる。

これから

 あらゆるものは等価交換で、エネルギーは保存される。そういう法則を信じた世界で生きている私たちはそこからの逸脱を忌避する。百円のモノには百円硬貨を支払う必要がある。与えられた愛情は同じだけ返さなければならない。与えた愛情は同じだけ戻ってこなければおかしい。

 化学物質や数字と同じように私たちは人間を式に代入して等式を成り立たせようとする。きっとそれは間違っていない。公平で客観的だ。私はこれまで出来なかった分妹とまっすぐ向き合いたいと思う。

 でもそこからこぼれる例外が人間の数式にはきっと多い。1+1が必ずしも2にはならないこと、与えることで与えられること、その愛に代金はいらないこと。摩擦抵抗のある地球上で完全な慣性の法則は成り立たない。そういう数式や法則からこぼれるものが人間には多い。

 私に足りなかったのはこぼれるものを見ることだった。完全な数式ばかり目指すから損得に生きることになった。高価な壺は欠けたり傷がついたり汚れたりして値段は落ちたかもしれない。でも使ってきて、一緒に生活してきた人にとって代わりのないものになった。新品よりも中の調味料が上手く出来るようになったかもしれない。妹はただいるだけでそれを私に教えてくれた。

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